マスター&ママの寺社めぐり
宇都宮二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)&大谷寺(おおやじ)を訪ねて
2019年6月16日

昨日までの天気が、嘘のように、今日は快晴だ。
二荒山神社の駐車場に、午前9時半頃に、到着した。
駐車場は神社横にあり、少しわかりにくかった。
 
無料の駐車場に、車を置き、緑に包まれた道を、神社に向かう。
なだらかな道を、少し行くと、神馬の銅像があり、境内に出た。
前方に赤と白に塗られた、放送塔が青空に、鮮やかに映えていた。
 
まだ早朝のせいか、境内に人影が、少なかった。
玉砂利を踏みしめ、境内に出る。
境内から眼下を見下ろすと、急傾斜の石段が見える。
  
その途中に、赤いTシャツを着た人たちが、石段に並び、記念撮影をしていた。
石段を注意深く、一段一段、踏みしめるように降りる。
石段を降り切ると、広場があり、先ほどのTシャツの人たちが、大勢いた。
 
今日は、職人祭りであった。
このあたりでも、ガテン系の職人さんが、不足しているのであろう。
幾つもの特設ブースがあり、職人さんが特殊技術を、公開していた。
 
そして鳥居を回りこみ、正面に回り一礼をし、大鳥居を潜る。
先ほど通った、参道を進み、石段を数えながら、一歩一歩登った。
上りの急峻な石段は、かなり応える。

途中、外国人の親子とすれ違う。
石段を登りきる手前、木漏れ日の中、石段の左右に、末社が6社ずつ、並んでいた。
そして石段を登りきり、神門に到達した。
  
石段は95段あった。
神門を潜り、右手に休みどころがあった。
木造りの休憩所は、ひんやりとしていた。
 
境内を眺めながら、一休みしたあと、手水舎へ行き、お浄めをする。
参道を進むと、左右に並ぶ、阿吽の狛犬が、迎えてくれた。
二荒山神社は、延長5年(927)に完成した、延喜式・神名帳延喜に載る、由緒ある神社である。
  
創建は第10代崇神天皇の、3世紀にさかのぼる。
本殿は神明造り、拝殿は入母屋造りの、格式高い社である。
だが、拝殿の造りは、素朴で簡素であった。
 
拝殿の前に進み、お賽銭を添え、拝礼した。
そのあと、神社の横に回ると、ひっそりと堂宇があった。
手を合わせ、境内へ戻る。
 
古木に閉められた紙垂が、眩しかった。
神社前に人影はなく、記念写真を撮った。
時間は午前10時。
  
次の目的地、大谷寺へ向かった。
宇都宮市街から、30分ほど車を走らせると、目的地に着いた。
寺の山門の前にある、無料の駐車場に、車を停める。
  
石段を上がり、左右に阿吽の仁王像に守られた、仁王門を潜る。
左手の社務所で、入館券を400円払い、境内へ出た。
そこにはガイドがいて、大谷寺の仏像について、簡単な説明をしてくれた。

説明を聞いたあと、順番に寺の中に入る。
寺は大谷石の洞窟となり、霊気が走っている。
洞窟内に、釈迦三尊、阿弥陀三尊や薬師三尊などの磨崖仏を中心に、ひときわ大きな本尊千手観音の、崇高な姿があった。

この観音さまに会うのは、今回で2回目である。
平安時代の810年に、弘法大師作と伝わる、高さ4メートルの像が、大谷石に刻まれ、
痛みも激しい。
だが1200年以上の間、人々の信仰の中に、生き続けた尊厳な姿が、威光を放っていた。

かつて、観音さまは朱色に塗られ、塗りこめられた漆の上に、金箔が貼られ、燦然と耀いていた。
現在はすべてが、剥がれている。
それがかえって、素朴で威厳に満ちている。

日本一古い石仏は、どこか異国の雰囲気を、漂わせている。
最近の研究では、バーミヤン石仏と共通点が多く、アフガニスタンの僧侶が、彫刻したと考えられている。
観音堂を出ると、境内に降り注ぐ陽光が、ひときわ眩かった。
 
そして隣接する宝物館を見て、弁天堂のある、池へ向かった。
池には色とりどりの鯉が、優雅に泳いでいる。
池の向こうに、朱色の橋が弁天堂に架かる。
  
その弁天堂の斜め前に、白蛇像が横たわる。
その昔、この池に毒蛇が住み、毒をまき、人々を困らせていた。
この話を聞いた弘法大師は、秘法を持って、退治した。
 
そののち、毒蛇は心を入れ替え、白蛇となり、弁財天にお仕えしたという。
朱色の木橋を渡り、七福神の中で、紅一点、開運と財運の神様の、弁財天にお詣りする。
そして池の方へ少し降り、白蛇の頭を撫ぜる。
 
優しく頭をさすると、ご利益があるそうである。
橋を戻り、大谷寺の仁王門を出て、階段を降りる。
そして平和観音へ向かった。
 
道路を少し行くと、前方に観音様の姿が見える。
高さ26.93メートルの石像は、青空にくっきりと、聳えている。
かつて大谷石の採石場であるとを物語る、削られてできた絶壁に、挟まれた参道を行く。

そこは広場になり、観音像を見上げる。
胴回り20メートルの、観音菩薩さまが、ほほ笑んでいる。
戦争の傷跡も深い、昭和23年(1948)に竣工され、昭和31年(1956)に開眼した。

太平洋戦争の戦死者を、弔うために、飛田朝次郎が、精魂込めて制作した。
凝灰岩層壁面に、総手彫りで彫り上げた観音さまは、優美で慈愛に、溢れている。
さらに平和観音は、大谷寺のお前立観音になっている。

巨大な平和観音の横に、階段があった。
この階段を登るのも、10年以上前に来て以来、これで2回目である。
観音さまを仰ぎ見ながら、鉄製の階段を登る。
 
階段は思いのほか、急峻であった。
やがて平和観音の尊顔近くに到達した。
切れ長な眼と、優美な眉。
  
口元が、平和を祈願する、言葉を囁いているようだ。
さらに遠くに目をやると、大谷の町が、彼方に広がっていた。
そして大谷寺をあとにし、宿泊予定の、鬼怒川へ向かった。