マスター&ママ寺社めぐり
さいたま市浦和区・調神社を訪ねて
〒336-0973 埼玉県さいたま浦和区岸町3  
2019年5月26日

大分以前の話だが、調神社に訪れたことがある。
神社の前を、通りかかると、凄い人出であった。
どうやら祭りのようで、賑やかさに誘われ、立ち寄ったのだ。

今回はこの神社に、あらためて出かけてきた。
調神社と書いて、ツキ神社と読む。
伊勢神宮に納める貢物の初穂を、この神社から運んだらしい。
 
 創建は約2000年前で、第10代崇神天皇の勅命により誕生し、「延喜式神名帳」に記載されている。
無料の駐車場に車を置き、正面の参道へ回る。
神社の参道の両脇に、狛犬でなく、愛らしい狛兎がいた。

調をツキと読み、古来からの月待信仰と重ね、月に見立てたのであろう。
煌々と輝く月で、杵で兎が、お餅を搗く。
かつて日本の子供たちは、楽しい夢物語を、楽しんだものである。

その月に、今では宇宙船が着陸し、弾丸で破砕した土を、地球へ持ち帰る。
竹取物語のかぐや姫も、幻滅するであろう。
参道を行くと、正面に鳥居のような、石柱が迎えてくれた。

よく見れば、石柱だけであり、鳥居ではないようだ。
参道横の説明板に、鳥居でない理由が書いてあった。
伊勢神社に、調物を運ぶときに、障害になるので、敢えて造らなかったと書いてある。
  
参道の奥に、神楽殿が見える。
舞台の上に、今年の干支が描かれた、大きな絵馬が置かれている。
その前の鉄製のベンチに、若者たちが座っている。
 
参道の石柱の間を抜けると、右手に手水舎があった。
兎の石像から、お清めの水が、流れ落ちる。
そして作法にのっとり、手と口を浄めた。
 
参道に戻り、少し行くと、左手に拝殿が姿をみせる。
格式の高い神社のわりに、町の鎮守様のような、佇まいである。
昼下がりの陽光を受け、境内の玉砂利が、反射する。
  
参道の石畳を歩き、拝殿に手を合わせる。
安政6年(1859)に竣工された、総欅権現造りの拝殿を見上げると、屋根下に透かし彫りの龍がいた。
古来から、水神と崇められた龍が、この社を火災から、守り続けてきたのだろう。
  
拝殿の前に、天皇陛下御即位を祝う、垂れ幕が飾られている。
そして拝殿の左横に、鉄製の大きな水瓶が置かれ、その上に木桶が重ねてあった。
拝殿から神楽殿の横を行くと、正面に小さな神池があった。
  
小池の中に、石灯籠が置かれ、その横に兎の石像があり、口から水を噴き出していた。
この神社に、いった兎は何羽いるのだろうか。
神池沿いを行くと、お稲荷様があった。
  
ガラス張りの建物の中に、神社があった。
神社は総欅一間社流造りで、享保18年(1733年)に、造営された。
一代前の旧本殿で、現在は稲荷神社として、祀られている。
 
旧本殿に手を合わせ、石の鳥居を潜り、朱色の鳥居を抜けて境内へ出た。
欅や銀杏の老樹に包まれ、鎮守の杜は深閑としている。
多くの兎たちに守られた調神社は、若者たちのパワースポットでもある。
  
さらにツキにかけて、勝負事や金運のパワースポットになっている。
そういえば、駐車場で車を停めたとき、隣に赤いジャガーがいた。
ひょっとしたら、大博打に勝ち、神社にお礼に来たのかもしれない。