マスター&ママ寺社めぐり
越ケ谷の名刹・大聖寺を訪ねて
( 埼玉県越谷市相模町6-442)
2019年4月21日

久し振りに、埼玉県越ケ谷まで、足を延ばすことにした。
越ケ谷には、日帰り温泉が幾つかあり、たびたび訪れた。
都心から離れているせいか、温泉は広々としていて、のんびりできる。

今日は、越ケ谷で一番古い寺を、訪ねることにした。
創建は良弁僧正により、天平勝宝2年(750年)の昔である。
真言宗豊山派の寺で、本尊に不動明王を祀る、大相模不動尊大聖寺。

徳川家康が、関ケ原に向かう途次、戦勝祈願をした。
そして、寺に宿泊し奉納刀を納め、大聖寺の寺号を与えたことに由来する。
お寺に着いたのは、午後2時。

寺の無料駐車場に、車を停める。
山門は正徳五年(1715年)に建てられ、現在に至る。
かつてこの寺は、幾度となく大火に見舞われ、灰燼に帰す。
 
しかしこの山門だけが、奇跡的に焼失を免れた。
山門の両脇を、筋骨隆々の阿吽の仁王像が、目をむき出し睥睨している。
山門の屋根下に、寛政の改革をした、松平定信揮毫の「真大山」の額が見える。
 
山門を潜ると、八重桜が満開で、本殿に続く参道を飾る。
その桜並木を、南無大聖不動明王と書かれた文字が、朱色の幟旗に踊る。
右手に虹団子で有名な、茶店がある。
  
数に限りがあるので、祝祭日は売り切れることが多い。
茶店でお団子を買い求め、床几に座り、お茶を飲みながらいただく。
みたらしと生醤油の団子は、1本130円、大ぶりで程よい硬さであった。
 
味は素朴で、昔懐かしい風味である。
茶店の前で、お団子を食べながら、店を眺めると、お客様が切れ目なく続く。
参道に目をやると、喪服姿の人たちが見える。
 
車を送りだしながら、頭を垂れていた。
この寺の檀家で、法要を終えたのであろうか。
茶店で一休みしたあと、参道を進む。
 
長方形の大きな石組みの石畳が、真っ直ぐ本殿に伸びる。
この石畳を、どれほどの人たちが、歩いたのであろうか。
石畳を飾る八重桜が、陽光に煌めきながら、微風に揺れる。
 
その影が、石畳に陰翳を与えていた。
遥か昔、天平創建の本殿は、素朴な造りで、私たちを迎えてくれた。
手水舎で清め、本殿にお賽銭を添え、鰐口を鳴らし手を合わせる。

そしてお賽銭箱の横に書かれた、不動明王ご真言を唱え瞑目する。
本殿の中には、御仲立不道明とご本尊の不動明王像が、安置されている。
だが12年に1度の酉年の御開帳以外、扉は閉ざされ、拝謁することは出来ない。
 
その扉の前に、常時拝むことのできる、御前立不動明王が見えるはずなのだが。
堂内の薄明かりでは、見ることができなかった。
本堂の棟下に、色彩豊かな彫り物が見える。
 
彫り上げられた七福神は、ユーモラスで楽し気だ。
参拝する人に、ご利益を授けるような、陽気さである。
参拝を終え、境内を散策すると、生け垣に牡丹が咲いていた。
 
桜が終わると、つつじが咲き、そして牡丹が咲き始め、季節は華やぐ。
薄桃色の高貴な大輪を、咲かせていた。
そして振り返り、先ほど参拝した、本殿を仰ぎ見る。
 
屋根瓦に唐獅子が、青空の中に踊っていた。
本殿の前を通り過ぎると、左手におびんずる様が、鎮座している。
その朱色のお堂の左手に、御前立の石造りのおびんずる様が、置かれていた。

参拝する人たちが、願いを込めて撫ぜるので、ぴかぴかに光っている。
私も腰と心臓の辺りを、思いを込めて撫ぜる。
おびんずる様の向かいに、樹齢500年、樹高8m、幹回り4メートルのタブノキが、立ち誇る。
 
太い樹幹の途中は大きく割れ、深く抉れている。
500年の風雪を耐え、力ずよく根を張っている。
これから先の数百年、生き続けることであろう。

まさに霊木は、無言の歴史の証人である。
タブノ木の老樹から、参道へ戻り、山門へ向かう。
途中右手に、表情も楽しい、ぴんころ地蔵さんが、こちらを見ている。

マイクを左手に持ち、カラオケを歌う、ユニークな表情をしている。
死ぬまで、カラオケを歌い、ピンピンころりと、天寿を全うし、あの世へ旅立つ。
人の命の最高の終わり方、私もあやかりたいものだ。
 
そしてピンピンころりを、お地蔵さまに願った。
参道へ戻り、山門を進む。
すると、左手に藤棚があり、咲き始めた花房を、陽光が照らしていた。
 
薄紫の藤は、妖艶な匂いを、微かに漂わせていた。
桜が終わり、ツツジが咲き始め、牡丹や藤が咲き始める。
ゴールデンウィークと共に、暦では立夏が訪れ、いよいよ初夏を迎える。
 
参道は八重桜の、回廊となり、石畳に樹々の影を映す。
昼下がりの三々五々、参詣人が大聖寺を訪れる。
そして駐車場へ戻り、近くの日帰り温泉へ向かった。