南禅寺三門
南禅寺三門の楼上
琵琶湖疎水
真宗本願寺

マスター&ママ京都旅情Ⅲ
京都の旅、最終日は南禅寺から東本願寺へ
2019年1月21日

京都の日程は、昨日ですべて無事に終わった。
3日目の京都。
ホテルのチェックアウトは、正午までOKだが、午前10ごろにチェエクアウトした。

ホテルのロビーに、荷物を預け、京都洛東にある、南禅寺へ向かった。
ホテルの前のバスターミナルから乗車し、市営バスから、京都市街を眺めるのは楽しい。
早く行くなら、地下鉄が良いようだが、今の京都はシーズンオフ。

バスは渋滞することなく、由緒ある町々を、通り抜けて行く。
時間にゆとりのあるときは、バス路線がのんびりとし、普段着の旅ができる。
やがて35分くらいで、目的地に着いた。
 
バスを降りる人も少なく、臨済宗南禅寺派の大本山、南禅寺に向かう。
途中に動物園があり、月曜日で門が閉まっていた。
道路に沿って、趣のある寺や屋敷が並ぶ。
  
しばらく行くと、交差点があり、南禅寺の方角を、教えてくれた。
左手に折れると、前方に南禅寺の三門が見える。
石畳の参道を進むと、南禅寺名物の、豆腐料理の幟が、風にそよぐ。
 
やはり京都と言えば、豆腐料理。
豆腐料理のコースメニューを見ると、けっして手ごろな値段ではなかった。
そして中門を潜り、左に進み、勅使門の前を行くと、前方に大きな三門が見えてきた。
 
さらに少し行くと、正面に名高い楼門が、威厳をもって聳えていた。
真っ直ぐに、三門に続く石畳を行き、石段を上る。
見上げると、三門の上階に、人影が見えた。
 
三門の前で、軽く頭を下げ、南禅寺の総門を潜る。
巨大な三門の柱は太く、すべての組柱は、荘厳でさえある。
三門は別名「天下龍門」と呼ばれ、日本三大門の一つに、数えられている。

寛永5(1628)年に、大坂夏の陣で亡くなった、武将や兵士の菩提を弔い、藤堂高虎が、寄進建立したものである。
三門の右手に行くと、そこは三門の楼上へ行く、入り口であった。
拝観料500円を収め、靴を脱ぎ、用意されたビニール袋に入れて、木目の浮き出た、階段を登る。
 
かなり急こう配で、上に行くと、更に急峻で狭くなった。
すると上から陽がさし込み、青空が広がる。
楼上に出ると、そよぐ微風が冷たかった。
 
高さ22メートルの三門、広がる眺望は、まさに絶景である。
歌舞伎「楼門五三桐」で、石川五右衛門の有名な科白、「絶景かな、絶景かな」が、聞こえそうだ。
三門の擬宝珠の彼方に、京都市街が広がる。
 
欄干越しに見下ろすと、ひやりと背筋が寒くなる。
先ほど通った、参道の石畳が、真っ直ぐと伸び、静謐さを醸す。
その周りの木々は、冬枯れの色を、滲ませていた。
 
さらに回って、反対側に行くと、法堂が見える。
その奥に、1611年建立され、国宝指定の方丈が、一直線に並ぶ。
階段を降り、境内へ出る。

狭く急な階段を、降りてきたからか、開放感があった。
そして参道を、法堂へ歩く。
人気ない参道を歩くと、自分の足音が、微かに響くほど、静寂である。

法堂は荘厳な佇まいで、正面に立つ。
大香炉にお線香を焚き、お清めをする。
そして石段を上がり、お賽銭を添え、手を合わせる。

この法堂の創建は古く、応仁・文明の乱で焼失し、文明11年(1479)頃に復興される。
その後、豊臣秀頼の寄進により、大改築されたが、明治26(1893年)に焼失する。
現在の法堂は、明治42年(1909)に再建されたものである。

法堂の中を覗くと、敷き瓦の中央に、本尊釈迦如来、左右に文殊菩薩と普賢菩薩の三尊像が、安置されていた。
高い天井を見上げると、明治から大正に活躍した、今尾景年画伯の壮大な幡龍が、天井一面に踊っていた。
龍神は水をつかさどり、天井から睥睨することで、火災を防いでいるのである。
 
法堂から南禅寺の方へ歩く。
すると、レンガ造りの橋脚が見える。
近づくと、大きなアーチと小さなアーチで、異国情緒を醸しだす。
 
それは琵琶湖から、京都市内へひかれた疎水であり、1885年に着工し、1890年に竣工したものだった。
そして琵琶湖疎水の橋脚から、三門の横を通り、中門を潜る。
参道の銀灰色の参道に、影が模様を写していた。

正午過ぎの道を、バスの停留所へ行く。
バスはほどなくして到着し、東本願寺に向かった。
本願寺の甍は、ホテルから望めた。

木造建築の歴史的遺構が、ビル群に隠れず、遠くから眺められることに、京都の都市の良心を感じた。
バスに乗ると、30分ほどで、目的地に着いた。
道路を渡ると、黒と白のコントラストも美しい、御影堂門の前に出た。
 
御影堂門は閉ざされていたが、軒を支える棟木の下に、真宗本廟の扁額が見える。
さらに少し、鯉が泳ぐ堀沿いに行くと、阿弥陀堂門に出た。
門から眺めると、正面奥に阿弥陀堂が見える。
 
門を通り右に曲がり、参道を進むと、荘厳な御影堂の前に出る。
靴を脱ぎ、階段前に置かれた、ビニール袋に、靴を入れ階段を上る。
そして御影堂の中へ入る。

堂内の天井は高く、927畳の広い参詣席の、座敷が広がる。
その奥に、宗祖親鸞聖人の御影が、正面を見据えている。
この広大な堂内で、一堂に会した信者の前で、僧侶の読経が響くであろう。

そのとき、本願念仏の信仰心で、この御影堂が、溢れ満たされることだろう。
御影堂の中に、殆ど人影もない。
座敷の最前列に行き、御影の前で、しばらく沈思黙考した。

堂内は物音ひとつせず、清涼な空気が漂う。
そして席を立ち、阿弥陀堂へ向かった。
御影堂を出て、木目が浮き出た、広い渡り廊下を行くと、阿弥陀堂の入り口に出た。

人気ない堂内に入る。
御影堂ほどではないが、その広さと重厚な雰囲気に、圧倒される。
欄間には、色彩豊かな彫り物が施されている。

その奥に、本尊の阿弥陀如来を、安置していた。
そして阿弥陀堂を出て、御影堂の廊下を渡る。
廊下は磨き上げられ、鏡板のようである。
 
天井を支える柱は太い。
柱を切りだし、京の地に運び出す苦難は、計り知れなかっただろう。
遠くに御影堂門が、昼下がりの陽光を、浴びていた。
 
そして先ほど上った階段を下り、境内に出た。
すでに時間は、午後2時を回っていた。
これで2泊3日の、京都の旅は、無事に終わった。