女優市原悦子さんとその時代

2019年1月15日

一昨日、女優の市原悦子さんが、82歳で亡くなった。
彼女を最初に観たのは、ベルトルト・ブレヒト作品で、「セツアンの善人」であった。
もちろん演出は、千田是也である。

当時、20歳代後半の市原悦子の、透明感のある、伸びやかな声が、劇場に響いた。
そして、軽やかな身振りと、揺れ動く心の内面を、しなやかに表現していた。
演劇を勉強し始めていた私にも、その豊かな才能が伝わってきた。

そのころ、俳優座には、平幹二郎や加藤剛、原田芳雄もいた。
まさに新劇界は、魅力ある個性的な俳優が、犇めいていた。
文学座には、杉村春子がいて、若手三羽烏として、江守徹、石立鉄男、細川俊之が脚光を浴び始めていた。

森本薫作木村光一演出「華々しき一族」を、新宿にあった、厚生年金ホールで観たとき、
杉村春子の存在に圧倒されたものである。

そして若き三羽烏は、颯爽として輝いていた。
そのころの、劇団民芸には、滝沢修、宇野重吉の大御所が健在で、米倉斉加年が、頭角を現してきた。

そして観たアーノルド・ウェスカー作渡辺浩子演出「フォーシーズン」の二人芝居に、鮮烈な印象を、記憶している。
世界の若者に愛され、怒れる若者たちと呼ばれた作家・ウェスカーの作品を、
米倉斉加年と松本典子が、見事に演じ切っていた。

そのころ、岸田森や草野大悟たちが結成した、六月劇場が若者に人気があった。
ジャンポール・サルトル作「汚れた手」を上演し、悠木千帆(後の樹木希林)の存在感は、圧倒的だった。
さらに、俳優座演劇養成所の、三期生が中心になり結成した劇団三期会(現在の劇団東京アンサンブル)の、
木下順二作広渡常敏演出「蛙昇天」も印象に残る。


当時、研究生だった、佐藤友美のタイツ姿の肢体に、息を飲んだものである。
まさに1960年から1970年代は、新劇の時代であり、状況劇場の唐十郎、
早稲田小劇場の鈴木忠志と劇作家別役実、劇団黒テントの佐藤信。
串田和美が劇作家斎藤憐や吉田日出子たちと立ち上げた、自由劇場があり、
さらに劇団天井桟敷の寺山修二など、綺羅星のごとく活躍していた。

あの時代は、新劇の梁山泊であった。
上演する側も、観客も燃えていた、熱い時代だった。
だが、ここに書いた、多くの俳優は、この世を去っている