韮山反射炉にて
願成就院にて
源氏山公園展望台からの眺め
 

マスター&ママの初冬の伊豆長岡旅情Ⅰ
韮山反射炉&願成就院を訪ねて
2018年12月17日

韮山反射炉に着いたのは、午前8時半頃だった。
深夜に雨が、激しく降りだし、見学は諦めていた。
だが早暁とともに雨は上がり、伊豆の山脈に、霧が流れていた。


やがて空に光が満ち、青空が広がった。
だが韮山反射炉の玄関は閉ざされ、開門は午前9時からだった。
柵の外側から、耐火レンガ製の、反射炉を眺める。


江戸時代末期、この西洋式の溶解炉は、海防用の鉄製銃や、大砲鋳造のために造られた。
韮山代官・江川英龍が築造の責任者となり、その子英敏の親子二代により、3年半後の1857(安政4)に完成した。
ペリー来航以来、風雲急を告げる幕末。


この高さ16メートルの煙突を持つ、耐火煉瓦製反射炉が、あまたの鉄製の銃や大砲を製造した。
そしてここで製造された、28門の大砲が、品川台場に配備された。
まさにここが、日本の近代鉄鋼業の、発祥の地であった。


朝日を浴びた、江川英龍(ひでたつ)の銅像の後ろに、反射炉が見えた。
ヒュゲニン著『ライク王立鉄大砲鋳造所における鋳造法』という蘭書をもとに、反射炉は江川英龍親子により完成した。
稼働した反射炉として、国内で唯一、完全な形で現存し、1922年(大正11)、国の史跡に指定されている。

穏やかな伊豆長岡、初冬の陽光が、柔らかく降りそそぐ。
その朝日を浴びた、韮山反射炉をあとにし、願成就院(がんじょうじゅいん)へ向かった。
車で15分ほど行くと、目的地に着いた。

大御堂の拝観は午前10時。
駐車場に車を停め、山号天守君山、高野山真言宗の山門を潜る。
境内に人影はなく、正面に昭和30年に建立された、大御堂が建っていた。

国の史跡に指定された、境内の参道を進む。
朝日さす境内に、静謐な空気が漂う。
大御堂横の寺務所で、拝観料を添えて、大御堂の中へ。

作務衣姿の寺務所の男性が、大御堂へ案内してくれた。
大御堂内には、運慶作の5体の尊像が祀られていた。
文治2年(1186)に、願成就院を開基した、北条時政公の発願により、運慶が彫り上げた。

その時、運慶は35歳ころと伝わり、東日本に現存する、最古の運慶作の仏像である。
正面に、像高143.5センチの、阿弥陀如来像が、胸前で両手を挙げ、説法印を結ぶ。
その面立ちは、神秘的で慈愛に溢れていた。

その左に、逞しく上半身を晒す、不動明王が、宝剣を右手に、羂索を左手に持ち、威嚇している。
その左右に、一回り小さい、脇侍の童子立像が、たちならぶ。
そして阿弥陀如来の右手に、鎧姿の逞しい毘沙門天像が、右足を踏み出し、2匹の邪気を押さえつけていた。

運慶作の5体の像は、写実的で躍動的であった。
願成就院の仏像や、寺の歴史を、分かりやすく、作務衣姿の寺務所の男性が、説明してくれた。
男性は外国人で、流ちょうな日本語を話す。

訊けば、生まれはスコットランドで、願成就院の娘さんと結婚し、真言宗に改宗したそうだ。
穏やかな語り口に、人柄を感じた。
すると大御堂横に、鉄の扉があり、その奥に宝物館があると、教えてくれた。

宝物館の中に入ると、正面に 像高51.6の地蔵菩薩像が、穏やかな表情で座っている。
その像は北条政子に似ていることから、北条政子地蔵とも呼ばれる。
北条家三代目の北条泰時が、政子の七回忌に、奉納したものである。

その右手に、地蔵菩薩より、一回り小ぶりで素朴な、北条政子の父親、北条時政公肖像が、並んでいた。
鎌倉幕府初代執権・北条時政の、現存する唯一の肖像である。
宝物館を見学し、本堂の裏手に出る。

そこは樹々が紅葉し、秋の気配を残していた。
小さな池に、枯れ葉が浮かび、池水の藍色に、模様を描く。
かつて、この地から北方に、多くの堂宇や塔が、聳えたっていたようだ。

そして巨大な苑池があり、その中に、小島が浮かび、橋で渡れた。
その微かな名残を、今に偲ばせる。
池伝いに、本堂の前に出る。

この本堂は、北条氏の末裔・北条氏貞が、寛政元年(1789年)に建立した。
かつて北条時政、義時、泰時の三代にわたり、願成就院は、栄華を極めた。
だが戦国時代の延徳3年(1491年)に、北条早雲の動乱により、堂塔は全焼。

その後、再建されるが、豊臣秀吉の小田原征伐により、またも灰燼に帰した。
願成就院の本堂の前に立つ。
簡素な茅葺の本堂は、静寂を湛えていた。

この本堂の中に、願成就院の本尊・阿弥陀如来坐像が、安置されている。
戦乱の最中、僧侶たちが、必死な思いで、願成就院の仏像たちを、消滅から守ったのであろう。
境内に戻り参道を、山門方向へ歩く。

すると右手に、5体の地蔵が並び、その前に案内札があった。
見ると、北条時政公御墓と記されていた。
10メートルほど行くと、墓の前に出た。

鎌倉幕府初代執権の墓は、石造りの簡素な佇まいであった。
平日の境内は、参観する人もほとんどなく、ゆっくりと散策できる。
山門を出て、長岡市街に出る。

お昼時、昼食をすることにした。
だが、ホテルが郡立し、商店もあるのだが、食事をするところがない。
やっと見つけた、蕎麦屋の駐車場は、満杯であった。

順番待ちをして、昼食をとる。
時間は午後の1時頃。
ホテルのチェックインは3時だ。

そこで時間つぶしに、源氏山公園へ行く。
標高150メートルの山へ、山頂近くまで、急峻な道を行くと、展望広場があった。
車を置き、展望台から、伊豆の山脈を眺める。

天気は快晴、山々が燦々と降りそそぐ陽光に、輝いていた。
そして市街地を見渡す山肌に、ひな壇のように、お墓が並んでいた。
その横に、展望台と書かれた、立札があった。

お墓の横に、狭く険しい登りの道がある。
見上げると、この先に展望台があるようだ。
かなり厳しい道で、途中で、休みたくなったが、展望台が見えたので、一気に登りきる。
 
展望台から、湯煙の里、伊豆長岡市街地が耀く。
そして天城の山並が、青空に包まれている。
展望台辺りは、遅紅葉が残り、樹々が朱色に燃えていた。
 
冬の伊豆、陽光がさし、穏やかで温かい。
車に戻ると、すでに3時を過ぎていた。
山を下り、チェックインし、4階の部屋に入る。

窓の前に、ホテルが立ち並び、正面に葛城山が見える。
やがて陽が傾き、山影も趣を増してくるだろう。
長いいで湯の歴史を誇る、伊豆長岡温泉の湯味を、充分に堪能しよう。