マスター&ママ伊香保旅情Ⅱ 群馬県渋川市伊香保町の水澤観音を訪ねて 群馬県渋川市伊香保町水沢214 2018年8月17日 伊香保で3日目、東京への帰路、水澤観音へ向かった。 ホテルをゆっくりチェックアウトし、観音様へ着いたのは、11時30分頃だった。 広い駐車場に車を置き、境内へ行く。 けいだ ここへ来るのも、4回目になるであろうか。 広い石畳の参道は、深い緑に覆われ、木漏れ日が、樹々の影を映し出す。 やがて、前方に昭和50年(1975)に完成の鐘楼「大和の鐘(たいわのかね)」が見える。 鐘楼を越すと、右手に石像が、私たちを迎えてくれた。 昼前の陽光で、境内は活力を、漲らせている。 やはり神社仏閣のお詣りは、朝から正午に、特別な霊気が漂う。 境内の空気に、朝と夜では、大きな違いがあるように思う。 だからお詣りは、できる限り、陽光が強いうちに、済ますことにしている。 正午近くの夏の陽光が、境内に燦々と、降り注いでいた。 石地蔵の前を通り過ぎると、銅板瓦棒葺の六角堂(開運六地蔵)の前に出る。 天明七年(1787年)に竣工された堂宇は、鈍い朱色で、何処か異国情緒を醸す。 内部に、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の六道を示す、黒い色の地蔵尊が、紅色の涎掛けを、着けて立つ。 堂宇の前の大香炉に、お線香を手向け、手を合わせる。 六角堂の六地蔵の下の、握り棒をつかみ、時計と反対周りに回す。 六道輪廻の相を表す、地蔵尊を3回すと、心が清浄になり、心の供養が、叶うと言う。 最近はこの六角堂が、今はやりの、パワースポットに、なっているようだ。 お線香を添え手を合わせ、六地蔵尊を回すと、幸運や健康運などが授かると、評判を呼ぶ。 私たちは、すでに榛名神社参拝している。 ここも屈指のパワースポット。 そして更に、六角堂と連日、パワースポット巡りをした。 さてそのご利益は、はたして如何に? 堂宇の2階には、宇宙の真理を現す、大日如来が安置され、すべてを見守っている。 その堂宇の傍に、本堂(観音堂)があり、境内の中心に位置する。 御堂は六角堂と同じく、天明7年に竣工され、堂内に本尊十一面千手観世音菩薩を安置している。 本堂の前に立ち、一礼をして、木製の階段を登る。 中央左手に、水澤観世音と墨書された、大提灯が吊るされている。 その上の軒に、彩色も鮮やかな、彫刻が掘りぬかれていた。 そして中央の天井近くに、鰐口が吊られ、その前に、紅白の組みひもが、数本垂れていた。 祭事になれば、参拝客が、大勢いることを示している。 お賽銭を添え、一礼し鰐口紐を引く。 鰐口が、くわーんッと、鈍い音を響かせる。 そして無心に、手を合わせる。 遠い昔、伊香保姫の持仏だった、秘仏十一面千手観世音菩薩が、御堂内に安置されている。 その観世音は、この世で苦しみ悲しむ、衆生の声をを聞くと、化仏を放ち、人々を救済する。 その化仏は、33に変化するといわれる。 全国に存在する、三十三観音霊場巡りは、これに起源を持つ。 その観世音菩薩は、観自在菩薩とも称され、33の慈悲を象徴する。 参拝を済まし、左手を見ると、御賓頭盧(おびんずるさま)が、控えめに鎮座していた。 近づくと、おびんずる様は、ぴかぴかに照り輝いていた。 大勢の人たちに、長い間、手で撫ぜられ、愛されてきたのだろう。 階段を降り、境内に下りる。 強い陽光が、境内に降り注いでいた。 境内を包む樹々は、陰翳を深く、木漏れ日が、模様を刻む。 その中に、存在感溢れる、老杉が聳えていた。 樹齢700年の老樹は、創建以来、1300年以上続く、この観音堂を、守り続けてきたのであろう。 木陰にある、境内の長椅子に座る。 観音堂の前を、仏教を象徴する、五色の吹流しが、微風に揺れていた。 観音堂の甍は、陽光に照りかえり、黒光りしている。 その甍を抱きかかえるように、樹々の緑が耀く。 推古天皇・持統天皇の勅願により、高麗の高僧恵灌僧正が開基した、 坂東三十三番札所・中第十六番・ 天台宗・水五徳山・水澤観世音。 これからも、悠久な時の中を、生き続けるだろう。 一休みしたあと、立ち上がると、右手に見える、石段が急峻に下る。 その先に鈍い朱色の、仁王門が見える。 この仁王門が、五徳山水澤観音の、正式な山門である。 だが山門前には、小さな駐車場しかなく、大きな駐車場、車を停め、参詣する人が多い。 だが、大晦日やお正月は、この山門を潜る参詣人で、長蛇の列になるだろう。 天明7年(1787)に竣工された、銅板葺き入り母屋造りの上階に、釈迦三尊像が安置されている。、 そして門の左右に、風神と雷神が、祀られている。 境内の弁財天にお詣りし、鐘楼へ。 鐘楼で、若い女性が、鍾木で鐘を突いていた。
見れば、100円奉納すれば、誰でも鐘を突くことができるとあった。 私も100円納め、鐘楼に登り、大きな深呼吸をして、鍾木を力いっぱい引き、鐘を突いた。 ごわ~ん、ごわ~と境内にこだまし、長い間、余韻が響いた。 古来、鐘の音は、御仏の声ともいわれ、聴く者の煩悩を払い、心を清浄にしてくれると信じられている。 鐘の響きの中、水澤観音に、別れを告げた。 |