マスター&ママの榛名旅情
群馬県渋川榛名神社&榛名湖を訪ねて

2018年8月16日

昨日は伊香保の石段近くにあるホテルの、「黄金の湯」で、旅の疲れを癒した。
今日は連泊予定のホテルを、午前11時頃出発し、榛名神社へ向かった。
天気は快晴、旅日和である。

快適に車で、標高900メートルの、榛名神社へ向かう。
⒛分ほどで、榛名湖畔に出た。
そこからさらに、車は目的地に向かう。
 
道はなだらかな下り道。
途中の高原の中に、板橋区の保養施設があり、板橋区住民として、懐かしいものを感じた。
そして10分ほど行くと、朱色の大鳥居に出た。

近くの無料の駐車場に、車を停め、大鳥居を潜る。
ここから、榛名神社へ続く、石畳の参道となる。
両側に趣のある、宿坊が軒を連ねる。
 
江戸時代には、榛名講の参拝者のため、この地・社家町(しゃけまち)に、100軒の宿坊があった。
関東一円に信仰された、榛名神社へ、御師に導かれ、参拝者が宿泊したのであろう。
宿坊では、昔から蕎麦がふるまわれた。
 
現在、宿坊は10数件に激減し、昔ながらの屋号を書いた、看板掲げ、食事処になっていた。
なだらかな上りの参道を行くと、正面に鈍い灰色の鳥居が見える。
その奥に隋神門が控えていた。
 
鳥居を潜り、
入母屋造、瓦棒銅板葺きの八脚門・ 隋神門が、正面に建つ。
弘化4(1847)年に、建てられたときは、お寺の仁王門だった。
当時は神仏習合の時代で、榛名山厳殿寺(がんでんじ)という、お寺の山門だった。
 
だが慶応4(1868)年に発布された、神仏分離令により、仏教色が排除された。
それは用明天皇の時代(585~587年)に創建された、榛名神社に先祖返りしたのである。
お堂の中を望めば、仁王像はなく、ところどころ、朱色が剥落した、随神像が鎮座していた。
  
隋神門を潜ると、みそぎ橋が、迎えてくれた。
橋から眼下に目をやれば、清流が流れていた。
ここから聖域となり、霊妙な空気が流れている。
 
参道は緩くカーブし、杉木立の古木に、包まれている。
森閑とした参道に、流れる空気が、爽やかで美味しい。
この参道を行くのも、今回で2度目だ。
 
榛名神社までの行程が、想像できるから、前回に比べ心地よい。
やがて七福神の寿老人が、行く人を迎えてくれた。
参道の右手眼下に、榛名川の清流が、音もなく流れ下る。
 
参道脇の杉の古木は苔むし、風趣を醸し出していた。
やがて空に、厚い雨雲が広がり始める。
そしてぽつりぽつりと、雨が落ち始めた。

やはり榛名神社は、山間の神社、山の天気の不安定に、さらされている。
布袋さんに出会うころ、さらに雨足は早くなり、行き交う人の歩調も、足早となる。
万が一のために、傘を1本用意していたので、急場はしのげた。

そして三重塔を望む、売店に来たころ、本降りとなった。
店の軒下で、少しの間、雨宿りをする。
やがて微かに薄日が差し、雨脚が弱くなった。

参拝者も参道を、歩き始めた。
私たちもまた、参道を行き、朱色の三重塔の前に出た。
明治2(1869)年に創建された塔は、神宝殿と呼ばれ、県内で唯一の、市指定重要文化財である。
  
さらに少し行くと、奇岩が張り出し、梁で支えられた、トンネルが現れた。
光りが薄いトンネルの先に、雨に打たれた木々が、緑色に輝いていた。
トンネルを通り抜けると、神橋が出現し、太鼓橋の床が雨に塗れ、鏡板のように、周りの景色を、映し出している。
 
突然の驟雨にに見舞われたが、雨に降られた参道の景色に、趣があり愉しい。
橋を一つずつ越すたびに、霊域を深め、奇岩や怪石が出現する。
榛名神社のご神体が、この山塊だということを納得する。

やがて遠く右手に、お神酒を入れる酒器に見立てた、瓶子(みすず)の滝が見えた。
緑に包まれた岩を、切り裂くように、一条の滝が、飛沫をあげながら、流れ落ちる。
先ほどの雨で、水量を増し、巨大な白蛇が、滑り落ちるようだ。
 
そして少し行くと、手水舎があり、作法に倣って、お清めをする。
ここからいよいよ、急峻な階段となる。
左手に、巨大な矢立杉が、参拝する人たちの、安全を祈願するように、立っていた。
 
樹高55メートル、周囲9.4メートル、国の天然記念物に指定さる老樹は、圧倒的な威厳を持つ。
この古木に、武田信玄が、箕輪城攻略のための、戦勝祈願をし、矢立神事を行ったと伝わる。
その木陰に、古色を帯びたお堂が見える。
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お堂を左手に見ながら、注意深く、雨に濡れた、石段を登る。
するとまたもや、ぽつぽつと雨が落ちてきた。
山の天気は気まぐれだ。
  
石段の両脇は、巨岩が囲み、石段を登りきると、双竜門が迎えてくれた。
安政2年(1855)の建立された四脚門は、入母屋造りの総欅造りで、質朴な雰囲気を、湛えていた。
門を潜り、先ほどよりは、勾配も緩やかな、石段を登ると、榛名神社の境内に出た。
  
境内の朱色の神楽殿の前に、榛名神社の神様の案内役を務める、鴉天狗の像が、厳めしい顔で、境内を守る。
本殿には、参拝者の列ができていた。
雨足はだんだんと、強くなり始めた。
 
辛うじて参拝を済ましたころ、雨は本降りとなり、近くの堂宇の軒下に避難した。
激しく降るが、空に明りがさし、一過性のあめのようだ。
本殿の屋根越しに見渡すと、御姿岩(みすがたいわ)が、雨に煙っていた。
 
文化3年(1806)に建てられた、権現造りの本殿と、御姿岩とは繋がり、岩の中の洞窟に、御神体が祀られている。
やがて雨は小止みとなり、空に光が溢れ始めた。
だが気まぐれな山の天気、足早に境内を後にする。
 
すると本殿脇に、緩く曲がりながら、下る石段がある。
きっとこれは、混雑時に一方通行になる、迂回路であろうと、見当をつけて下った。
途中、ガクアジサイの花が咲き、葉の上の雨滴が、微かに光っていた。
  
階段を降り切ると、想像した通り、双龍門の前に出た。
左右の龍に見送られながら、門を潜り、勾配が険しい、石段を降りる。
眼下に手水舎の屋根を見下ろし、遥か前方に、水量を増した、瓶子の滝が、水煙をあげながら、下り落ちる。

石段を降り切り、手水舎から右に折れ、川沿いの参道を下るころ、雨がやみ始めた。
雨に濡れた参道の、石畳を進むと、先ほど渡った、神橋に出た。
橋は雨に濡れ、朱色と岩肌の緑が、美しい調和を見せていた。
 
雨は完全にあがり、榛名川沿いの参道に、清涼な空気が流れる。
やがて布袋さんの前に出ると、隋神門まであと僅か、足取りも軽くなる。
やはり雨のせいなのか、榛名神社へ向かう人たちは、殆どいない。
  
みそぎ橋を渡ると、正面に隋神門が見えた。
門は逆光となり、額縁となって、人影と遠くの大鳥居を、浮き出していた。
どうやらこれで、雨の心配から、解放されたようだ。
 
1400年くらい前に、創建されと伝えられる榛名神社。
927年に完成の「延喜式神名帳」(えんぎしきしんめいちょう)に、「上野国十二社」(こうずけのくにじゅうにしゃ)の一つとして載る、格式高い神社を後にした。
そして宿坊の食堂で休憩し、標高1084メートルにある、榛名湖に向かった。
 
榛名神社から、榛名湖まで、曲がりくねった、なだらかな上り坂。
榛名神社は、奇岩・怪石に抱かれた、険しい山峡の中にある。
だから、榛名湖は、当然のごとく、下った所にあるように合点してしまう。

しかし調べてみれば、榛名神社は標高900mで、榛名湖は標高1084mである。
それゆえ、184mの下りで正解なのである。
やがて10分ほどで、榛名湖に到着した。

湖畔の土産物売り場に、人影はなく、榛名湖が、静謐を湛えていた。
正面に標高1391メートル、榛名山の噴火で誕生した、中央火口丘・榛名富士が、優美な姿で、薄曇りの空に映えていた。
湖畔のホテルは、モダンな姿で、華やぎを添える。

その風情は、河口湖などの、湖畔の情緒に近似している。
日本人が思い描く、湖畔の風景の最大公約数的、姿なのであろうか。
榛名山のカルデラ湖・榛名湖は、周囲約4.8キロメーター、面積約1.2平方キロメーター。

湖の最深部は、約12から15メートルと言われる。
ホテル近くの湖面に、色とりどりの貸しボートが、係留されていた。
湖面にボートが1隻浮かび、釣り人が糸を落としていた。
  
ブラックバスを、釣っているのであろうか?
冬場のシーズンになると、ワカサギ釣りの人たちが、湖上を埋める。
湖面に微風が吹き、魚鱗のような、漣が光る。
 
遥かさかのぼれば、 榛名湖は『万葉集』のころから、上野国を象徴する「伊香保の沼」として知られた。
そして大正時代から、本格的に観光開発され、近接する伊香保温泉の利もあり、文人墨客に愛された。
そして、1940年(昭和15年)に、高峰三枝子(1918-1990)が歌い、「湖畔の宿」は大ヒットした。
 
その歌謡曲「湖畔の宿」は、榛名湖をモチーフに、詩人佐藤惣之助(1890ー1942)が作詞し、服部良一(190 -1993)が作曲した。
さらに明治から大正にかけ、憂いに満ちた情感の美人画で、大正ロマンの寵児となった、竹久夢(1884-1934)が、度々訪れた。
湖畔には、はやコスモスが咲き、微風にゆらゆらと揺れ、すでに秋色が訪れていた。