マスター&ママの伊香保旅情
群馬県渋川市伊香保を訪ねて

2018年8月15日

 
伊香保の温泉街にある、ロープウェイ駅前の駐車場に、着いたのは、午前8時40分頃だった。
伊香保の町は、まだ眠りを覚まさず、駐車場に人影はなかった。
見渡すと、かつて泊ったホテルが見えた。
 
もちろんロープウェイの改札に、まだ時間があった。
やがて駐車場の係員が、管理事務所に現れ、そのあとに、駅に隣接した観光案内所の女性が現れた。。
300円の駐車代を払い、女性に山頂近くにある、見晴らし台へ行く道を聞いた。
 
すると女性は丁寧に、車で行く道を教えてくれた。
榛名湖方面に向かい、途中で左折すると、緑深い道に出た。
さらに狭い参道を進むと、群馬県総合スポーツセンター・伊香保リンクがあった。
 
管理事務所に行き、展望台への道順を訊くと、親切に教えてくれた。
スポーツセンターの、駐車場に車を置き、展望台へ。
スケートセンターの端の壁横に、鉄骨の階段があった。
  
その階段を上ると、右手に広いスケートリンクが見える。
冬になれば、ここでスケート競技が、開催されるのだろう。
大勢の観客の熱い歓声や、選手たちの応援が聞こえるようだ。
 
階段を上り8分ほど行くと、上の山公園の案内板が現れた。
そこから程なく、ロープウェイの「見晴らし駅」に到着した。
駅の時計は、9時20分を指していた。
 
駅の構内に入り、遠く見渡すと、山肌に抱かれて、市街地が霞んでいた。
駅を出て、緑深い道を、展望台へ上る。
木漏れ日が、道に陰翳を与えている。
 
路傍にアジサイの花が、色とりどりに咲いていた。
東京近郊では、紫陽花の季節は、かなり前に過ぎている。
やはり群馬県の標高932mの山頂近く、気温が違うのであろう。
今が盛りのように、アジサイが、咲き匂っていた。
さらに展望台への道を進む。
まだ時間が早いせいか、人に出会わない。
山の清涼な空気を、吸いながら行くと、前方に陽光を浴びた、展望台が現れた。
展望台に登ると、群馬の山々が見渡せた。
正面に、標高1963mの谷川岳が、雲間に微かに山容を見せていた。
  
さらに下方に目をやれば、水上温泉の市街地が、朝日に輝いている。
展望台中央に、「耀望の鐘」が吊られ、壁を鳴らすと、美しく響き渡った。
ここは若いカップルの、デートスポットであるようだ。
  
夜になれば、無数の星が空に輝き、山々に抱かれた、市街地の町の灯が、煌めくだろう。
ここも今はやりの、パワースポットに、なっているかもしれない。
山頂で真夏の陽光を浴び、流れ来る風を愉しみ、展望台を後にした。
 
下りの道を行くと、展望台へ向かう人たちとすれ違う。
これから、この公園が、賑やかになるのだろう。
道ばたに、つつじ通りと書かれた、看板が立っていた。
 
季節になると、つつじの花々が、咲き匂うのであろう。
そして先ほどの階段を下り、スケート場の駐車場へ向かった。
駐車場は閑散として、人影はなかった。

時間は午前10時過ぎ、伊香保温泉へ向かった。
伊香保の市街地から、車で伊香保神社に行く。
途中、観光センターの中にある、蕎麦屋で食事した。

蕎麦は手打ちで腰があり、想像以上に美味しかった。
ひと昔前と違い、観光地の食事の質が、どこでも上がっている。
少し早めの昼食を終え、伊香保神社へ。

お店の人に、神社への道を訊き出発した。
広い道路から、勾配が急な狭い、川沿いの道を進む。
川沿いに旅館が、へばりつくように立ち並んでいた。
 
上るに従い、道はさらに狭くなり、遠くに朱色の橋が見えた。
車を通行の邪魔にならないところに置き、坂道を歩いて行く。
川は赤褐色に染まり、流れ下る。
  
伊香保の源泉が、川に流れ、空気と触れ、赤褐色に染まっているのだ。
川の景色を愉しみながら行くと、朱色の河鹿橋に着いた。
橋は太鼓橋で、渓谷の深い緑と調和し、優美に佇む。
  
そして河鹿橋から、さらに奥の伊香保露天風呂に向かう。
緩い坂道を、川沿いに、350m進むと、伊香保温泉飲泉所があった。
置かれたカップに、温泉を入れ飲む。
  
生暖かい温泉は、ほろ苦く、不思議な甘さで、喉を湿らしてくれた。
さらに少し行くと、右手に露天風呂があった。
伊香保に何度も来ているが、未だにこの露天風呂に入っていないのが、少し残念である。

源泉かけ流し、緑に包まれた露天は、最高の湯味であろう。
露天風呂の前の、小高い四阿に、帽子の形をした、ガラスのカプセルがあった。
上から覗くと、こんこんと源泉が、湧き上がっていた。

この先は行き止まりである。
さて伊香保神社に、行くにはどうするのか?
何時もは石段を登って、お詣りをした。

源泉の湧くカプセルを後に、伊香保温泉の医学的効用に貢献した、ベルツ博士の銅像に別れを告げ、河鹿橋へ。
橋のたもとの案内板を、もう一度見直す。
どうやら、神社はここより、下にあるようだ。
  
車に戻り、さらに下ると、神社へ続く、上り道があった。
そしてゆっくりと進むと、伊香保神社の裏に出た。
神社の屋根が、正午の強い陽光に反射し、煌めいていた。
  
温泉や医療の神様が祀られる神社で、親戚やお客様の健康と安寧を祈る。
境内の朱色の大鳥居から、遠く望むと、青空の下に、山脈が広がる。
その下に、伊香保名物の石段が、鋭く傾斜していた。
 
境内から、元来た道を戻り、車へ帰り、ホテルへ向かった。
ホテルに到着したのは、午後1時過ぎだった。
チェックインまで、時間があるので、石段街へ出かけた。
 
石段街の中腹に、今日の宿のホテルはあり、徒歩5分もかからなかった。
灰白色の急傾斜の石段を、一歩一歩確かめるように登る。
強い日差しを浴び、背中が汗ばむ。

しかしここは、標高約700m付近、榛名山の中腹に位置する。
渡りくる風が、爽やかに吹き渡る。
しばらく行くと、創建825年、1000年以上の歴史を刻む、先ほど参拝した、伊香保神社に出た。

境内には、先ほど以上に、多くの参拝客が溢れていた。
そして境内から、石段を下る。
石段を見下ろすと、石段はかなりの急勾配であることを、再認識する。
 
途中、数年前に泊った、木造三階建の旅館に立ち寄る。
昔と変わらず、優雅な姿で、情趣を湛えていた。
伊香保には、木造建築が似合う。
 
石段街には、たくさんの店が、軒を連ねる。
土産物屋さんや食堂も、レトロな雰囲気を醸し、何処からか、温泉まんじゅうの匂いが、甘く漂う。
そして懐かしい、射的屋さんがあった。

中を覗くと、お父さんが息子に、射的の手ほどきをしている。
童心に帰る父と、息子の顔は、真剣であった。
伊香保のシンボル・365段の石段の下に、小間口権者組合加入の宿に、温泉を供給する施設が整備されている。
 
江戸時代から続く、小間口の施設を覗ける、ガラス窓が、石段途中に、度々顔を出す。
伊香保特有の、赤茶けた40・9度の「黄金の湯」が、かなりの速さで流れ下る。
この制度が整備されるまで、様々な確執と争いが、繰り広げられたことであろう
 
石段をさらに下ると、足湯が掘られた、休憩所があった。
家族ずれや、外国人が談笑しながら、ゆったりと黄金湯を、楽しんでいた。
開湯は1900年前とも伝わり、万葉集にも登場する、伊香保温泉。

そのシンボルともいえる石段街は、戦国時代に遡る。
武田勝頼が、家臣で上州を支配する、真田昌幸に命じて整備させた。
長篠の合戦で大敗し、たくさんの負傷した兵士たちを、療養させるために、伊香保が選ばれた。
 
その時、石段も計画的に整備された。
まさに、武田勝頼は伊香保温泉の祖として、名を刻む。
だがその後、織田家の軍勢に追われ、悲劇の武将として、自害して果てた。