マスター&ママの花巡り
群馬県館林「つつじが岡公園」を訪ねて

2018年4月22日
 
群馬県館林市のつつじヶ岡公園に、着いたのは1時50分。
無料の広い駐車場は、何処もいっぱいだった。
係員の誘導に従い、公園から少し離れた、特設の駐車場へ停めた。
畑に囲まれた、赤土がむき出しの、駐車場であった。
 
その混雑ぶりは、想像を絶するもので、公園入り口前の、駐車場には、大型観光バスが、何台も停まっていた。
公園入口横の入場券売り場で、1人620円の入場券を購入。
正面玄関から、公園の中へ。
  
公園に向かう道は、ツツジ見物の人たちが溢れていた。
その道を挟むように、土産物売り場や、食堂が建ちならぶ。
それにしても、すごい人出である。
 
200mぐらい進むと、正面にツツジの花々が、陽光に輝く。
そこは旧公園で、大勢の人たちが、カメラで記念撮影をしていた。
右手に、鮮紅色のツツジに囲まれた、低い回廊があった。
見物客の列に続き、頭上に注意しながら、回廊をゆっくりと進む。
順路を示す看板に従いながら行くと、回廊は終わり、淡紅色のツツジが迎えてくれた。
さらに少し行くと、小さな広場に出た。
 
その正面に、ツツジの、大きな老樹が、威風を誇っていた。
それは推定樹齢800年の「勾当内侍遺愛(こうとうのないしいあい)のツツジ」だった。
後醍醐(ごだいご)天皇の建武(けんむ)の新政で活躍した、新田義貞(1301-1338)が、妻の勾当之内侍(こうとうのないし)のために植えたと伝えられる 。
 
当初は新田郡武蔵島村(現在の群馬県太田市尾島町)に、咲き誇っていたが、
1627年(寛永4)に、館林城主・松平(榊原)忠次(ただつぐ)が、この地に移植したものである。
古木は雅な佇まいながら、長い風雪を耐え、咲き続けた生命力を、絢爛と放散していた。
  
このあたりは、旧公園の「躑躅ヶ岡」で、昭和9年に、国から文化財名勝に指定された。
名勝とは、「歴史上や学術上、または鑑賞上の価値が高いものとして、文化財保護法にもとづき、国が指定した記念物」
(館林市つつじが岡公園作成・園内散策マップより引用)だそうである。
 
この地は、古来からヤマツツジが自生し、室町時代の書物にも「躑躅ヶ崎」の名で記されている。
さらにくだり、江戸時代の初期、館林城主 榊原(松平)忠次が、「勾当内侍遺愛(こうとうのないしいあい)のツツジ」などの古木をこの地に移植。
その後、代々の大名たちにより、保護育成された。
 
さらに、1721年に松平清武一行が、ここで花見を行ったこと が、記録されているという。
ツツジの名所として、江戸時代から名声を得ていたが、一時的に荒廃した。
だが人々の努力により復活、約400年の間、ツツジ園は守り続けられた。
 
地元の人々が「花山」と呼ぶ、公園の東側に位置する、この旧公園は、様々なつつじが繚乱し、陽光に輝く。
小高い岡は、つつじが匂い咲き、薫風がかおる。
さらに、やまつつじの朱色が、鮮やかに燃え上がっていた。
 
旧公園の細い散策道を進むと、お休みどころがあった。
広い店内で、老人たちが談笑していた。
さらに行くと、遠くに城沼の水面が、陽光に煌めいている。
 
下りの散策道を行くと、青草が茂る広場に出た。
沼は広く、たくさんのボートが浮かび、右左に水面を滑ってゆく。
すると、公園の拡声器が、「真夏日なので、休みながら、見物するよう」にと、放送していた。
 
後で知ったことなのだが、舘林は夏日で、全国で1番暑かったようである。
私たちがツツジ鑑賞していたとき、気温は32度に、上がっていたのである。
だが陽射しは強かったが、微風が吹き、ツツジの鮮やかに魅せられ、夏日の暑さを忘れていた。
 
沼の前の草叢に、狸の大きな像があり、家族ずれが記念撮影を、楽しんでいた。
館林には、昔話「ぶんぶく茶釜」で有名な、茂林寺がある。
茶釜に化け、元の姿に戻れなくなった狸を、和尚さんが助け、その茶釜を大切にしたという話が、寺に伝わる。
 
舘林は狸の里でもあるから、地元の人は、狸の像にユーモアと、愛着を感じるのであろう。
そして城沼沿いの広場と、旧公園の間の、広い散策道を行く。
左手に広がる、旧公園の小高い岡は、朱や薄桃色や白のツツジが、燃え盛っていた。
 
そのツツジに包まれ、赤松が情趣を添えている。
赤土と木でできた、素朴な階段を上ると、ツツジの花園が広がっていた。
狭い散策道の両側を、ツツジの花々が、美しさを競うように蔽っている。
木々は古木が多く、散策道に、複雑な枝ぶりで、はみ出している。
ツツジに見とれ、注意が散漫なとき、ゴツッ! と頭を打ち付けてしまった。
私の頭も痛かったが、思わずツツジに、ゴメンッ! と、心の中であやまった。
 
そして曲がりくねった散策道を行くと、青空を背景にして、大きな石碑が建っていた。
それは明治19年5月10日に、皇后(昭憲皇后)、皇太后(英照皇太后)の両陛下の行啓を記念し、
大正4年11月に建碑されたものであった。
  
ちなみに天皇の出行を、行幸(ぎょうこう)というのに対し、
行啓とは皇后(天皇の妻)や、皇太后(先代の皇后)、皇太子が出行することを言う。
石碑の近くに行くと、遥か彼方に、城沼が広がり、その手前に、四阿が見える。
  
さらに振り返り見れば、朱色に染まるツツジの花園の中に、赤松が不思議な姿で聳えていた。
すると、団体の観光客たちがやって来た。
聞けばどうやら、中国語を話しているようである。
公園内には、大勢の外国人がいたが、圧倒的に中国人が多いような気がした。
世界一のツツジ公園と言われるだけに、外国人の人気スポットでもあるのだろう。
行啓記念碑からまた、絢爛な古木に包まれた、曲がりくねった散策道を進む。
ツツジの狭い回廊で、人々は一様に、同じ方向を歩く。
暗黙の秩序なのであろうか、すれ違う人がいないから不思議だ。
そして坂道を下ると、広場に出た。
  
前に小さな沼があり、そのほとりに、朱色の野点傘と、緋毛氈の敷かれた、床几が置かれていた。
その一つに座り、記念写真を撮ってみた。
ツツジ見物で、知らず知らず相当歩いたようで、座ると一息つきほっとした。
  
一休みし、床几をたち、さらに広場を進むと、右手に沼があった。
その水面に、薄紅のツツジが、逆さに映っていた。
若緑の水面に、ツツジが鮮やかな姿を、刻んでいた。
  
沼辺の若葉が繁る、木を見上げると、鳩のつがいが、木陰で仲良く休んでいた
沼辺りを離れ少し行くと、右手に表示板があり、宇宙ツツジのことが書いてあった。
館林市出身で、アジア初の女性宇宙飛行士・向井千秋さんが、この公園のツツジから種子を採取。
 
その種子とともに、スペースシャトル・コロンビア号に搭乗し、帰還後、種子を発芽し育てた「宇宙ツツジ」であると、書かれていた。
桜にも似た可憐なツツジは、すでに名残となっていた。
そのツツジの傍に、開花を待つ、純白のツツジが、昼下がりの陽光に照り返されていた。
 
ツツジにも、様々な種類があり、開花時期も、それぞれに違うものなのだと知らされた。
そしてまた、岡を上がり旧公園へ行く。
相変わらず、鑑賞を楽しむ人たちで、溢れていた。
このツツジ公園は、年間20万人が訪れるというう。
まさに、日本を代表するツツジ園であろう。
日本には、私たちが知らない、花の名所は、全国各地にあるのであろう。
  
私たちがが暮らす、関東にもたくさんの花の名所がある。
これからは藤が咲き、芍薬が匂い、蓮が水面に広がる。
7月から8月にかけ、この城沼の水面も、蓮の花々が咲き、微風にゆらゆらと揺れるさまは、優雅であろう。
ツツジに誘われながら、降り注ぐ陽光を浴びながらの散策は愉しい。
ぐるりと公園を散策すると、最初の広場に戻って来た。
広場の前の長椅子に、一休みする人たちの姿が見える。
 
公園の時計を見ると、午後3時を過ぎていた。
広場から、公園の出口に向かう、土産物屋や食堂は賑わっていた。
そして公園の入り口前に、これから入園を待つ、団体客が並んでいた。