雑感・桜の季節
2018年3月30日


バスを降りると、路傍のツツジの生け垣に、ぱらぱらと薄紫の花が咲いていた。
すでに、満開の桜も、桜吹雪となり、薄桃色の絨毯となり始めた。
桜の季節は一瞬、すでに名残になろうとしている。

そしてツツジの季節が訪れ、初夏へ向かう。
今年は、近くの公園や学校や病院で、充分に桜を堪能した。
だが今年の桜の季節は、悲しみの季節でもあった。

私の店の二人のお客様が、後を追いように、天国へ旅立った。
一人は私の店よりはるかに古い、ミュージックパブを、大山に開いていた。
ブルース好きで、自分も歌う主人は、長い間、難病と闘っていた。

だが、去年の夏ごろに店を閉め、家で療養していた。
その半年後に、安らかに、永遠の旅に出た。
もう一人の人は、体力も気力も人一倍で、エネルギッシュな人であった。

小さなセキュリティー会社を、社長と共に、日本の代表的な、セキュリティー会社にした。
そして、芸術的素養に溢れ、陶芸家や画家と、深い親交を結んでいた。
人のために、お金を使える、素敵な人であったことを、懐かしく思い出す。

だが、突然の心筋梗塞で、帰らぬ人となった。
奇しくも、二人は同い年の、71歳である。
人間の寿命、人間がこの世に、生を受けたとき、すでに定まっているような気がする。

諦観するわけではないが、人間にはどうすることもできない、運命があるのかもしれない。
だからこそ、人は一日一日を、こつこつと、必死に生きて行くのであろう。
私も今年、71歳の誕生日を迎える。

71歳は、人間の鬼門なのかもしれない。
今年はたくさんの桜を、愉しむことができた。
これから先、何回の桜の季節を、迎えるのであろうか?

20年以上前、母が病院に入院した。
病室の前に、満開の桜が、陽光に輝いていた。
そして母が寂し気に、来年、この桜が見れるのだろうかと言った。

だが、その年、母は亡くなり、桜の花を、二度と見ることはなかった。
昔は冗談で言ってたことが、現実味を帯びてきた。
あと何回、満開の桜を観ることが、できるのかと、真顔で思う。