晩秋の信州、善光寺から戸倉上山田温泉へ 2017年11月26日 長野県にある善光寺の山門を潜ったのは、午前9時ころだった。 御開帳も含め、何回来ているだろうか。 思い返せば、何時も紅葉の時に重なっている。 今回の信州路の旅の目的は、戸倉上山田温泉を訪ねることである。 その途次、善光寺を訪ねた。 幸いにも、信州の朝は快晴で、辺りに凛とした冷気が漂っていた。 山門から真っ直ぐのびる、石畳の参道を進む。 そして阿吽の巨大な仁王が左右に控える、荘重な栩葺き(とちぶき)屋根の、仁王門の石段を上る。 高村光雲(1852年 -1934年)と弟子の米原雲海(1869年ー1925年)作、朱色の逞しい金剛力士像が、仁王門を警護していた。 そして前方に壮大な三門が見える。 参道脇の仲見世は、店開きの用意をしていた。 さすがにこの時間、仲見世通りを歩く参拝者もまばらだ。 荘厳な佇まいの巨大な三門の梁に、善光寺の金文字の扁額が、朝日に輝いていた。 その途中の左手に堂宇があり、参拝者につられて寄り道をした。 狭く短い参道を進むと、山門の左手奥に、佛足跡と彫られた石碑が立っていた。 近づいてみると、大きな仏様の足跡が、石碑の前の台石に、彫りこまれていた。 それは仏像が造られる以前から、お釈迦様の象徴として、人々に崇拝されていたという。 私たちも「健脚」「足腰健全」を祈願した。 そして奥のお堂で参拝を済ませ、本堂へ続く参道へ戻る。 真っ青な秋空に、本堂の威容が、くっきりと刻まれていた。 参道の真ん中に位置する、青銅の大香炉の薫煙で身を清める。 さらに本堂手前の右にある、手水舎で手と口を浄める。 本堂の木の階段を上り、本堂の中に入る。 朱色の漆塗りで鈍く光る、びんずる尊者が、出迎えてくれた。 長い年月、多くの人に撫ぜられた、顔の目鼻が擦れ消えている。 すでに朝の勤行を終えた本堂は、静謐な空気が流れていた。 前回も前々回の2009年の御開帳のときも、貫主によるお数珠頂戴を、参道でいただいた。 参拝を済まし本堂を出る。 本堂前に垂れた純白の幕に、卍の黒が朝日に輝いていた。 参道が伸びる境内は、参拝人の数が、先ほどより増えていた。 大香炉の薫煙の彼方に、大勢の人が歩いてくるのが見える。 三門を潜り抜けると、仲見世のお店はすべて開店し、活気が溢れ始めていた。 すでに午前10時、山門を抜けるころには、大勢の参詣人が、本堂へ向かっていた。 そして次の目的地・聖高原へ向かった。 善光寺門前を、真っ直ぐに行くと、市街地に出た。 国道117号から、国道19号を進む。 朝の陽に輝く千曲川を渡り、国道403を行く。 しばらく行くと、道は山間部に入り、急峻な峠道になる。 左手眼下遥かに、市街地が小さく霞む。 やがて千曲高原カントリー倶楽部を左手に見ながら、さらに峠を行くと、聖高原・聖湖畔へ、11時半頃に着いた。 空は晴れ上がっているが、湖から吹き渡る風は冷たかった。 このあたり一帯は、聖山高原県立自然公園に指定されている。 聖高原の主峰聖山は、筑北三山の1つに数えられ、標高1447.1メートルある。 古くから「雨乞いの山」として、深く信仰され、山麓には36寺院が点在する。 冬になれば、高原に樹氷がおおい、幻想的な景観が一面に広がる。 今は晩秋、聖湖に釣り糸を垂れる太公望の姿が見える。 ここはへら鮒釣りのメッカで、最盛期には全国から、釣り人が訪れる。 釣り専用の桟橋に座り、釣り糸を垂れる人。 そして風を避け、テントの中から釣りを楽しむ人もいた。 聖湖畔は錆び色の葦が広がり、ススキの枯れ穂が、風にゆらゆらと揺れていた。 すでに晩秋も終わり、秋色は消えていた。 湖面は吹き寄せる風にあおられ、波だっていた。 あと1週間余りで師走を迎える。 このあたりは銀世界に変貌するのであろう。 厳冬を迎えるつかの間のとき、湖畔は寂莫とした趣を添えていた。 湖畔のレストランで食事をし、12時40分頃に聖湖をあとにして、戸倉上山田温泉へ向かった。 国道403号を戸倉上山田方面に下る。 車窓を開けると、冷涼な空気が流れ込む。 つづらな峠の道を下るに従い、右手眼下に市街地が広がり、千曲川の姿も霞む。 やがて千曲川展望台に到着し、広がる晩秋の信濃を愉しむことにした。 燦々と降り注ぐ晩秋の陽光に照らされ、名残の紅葉を装う山々が照り映える。 そして山々に抱かれて、千曲川の水面が青く光っていた。 そしてさらに峠を下り、戸倉上山田に向かった。 篠ノ井線姨捨駅の踏切を渡り、県道338号から、県道77号を行くと、趣のある街並みが出現した。 すでに道はなだらかな傾斜に変わっていた。 そして先ほどの展望台から40分ほどで、最終目的地の戸倉上山田温泉にたどり着いた。 信州は北信、東信、中信、南信と、夫婦で様々な土地を旅した。 しかしこの地だけは、何故か訪れることがなかった。 23歳のころ、50年近く前になるのだが、芝居仲間と訪れたこと以外には。 上田に実家がある芝居仲間の友達が、上田市内から車を飛ばし、この温泉場へ来たのだった。 友だちの彼女が、ホテルで歌ってるので、それを聞きに来たのである。 午後8時頃、ホテルの楽屋口から、会場へ入った。 舞台は照明が煌めき、場内は見物客の熱気で溢れていた。 まさに日本の高度成長期、日本が元気な時代だった。 戸倉上山田温泉が、最盛期を迎えていた時であろう。 やがてバブル経済は破綻し、大ホテルは苦難な時代を、余儀なくされた。 そんなことを思い出しながら進むと、戸倉上山田温泉と標す、歓迎ゲートが迎えてくれた。 その向こうに広がる山に、戸倉上山田の白い文字が浮かび上がる。 昔ながらの温泉街の風情を残す、入り組んだ道を行くと、予約したホテルに到着した。 ホテルにチェックインして、4階の部屋へ行く。 広い部屋から、晩秋に色ずく山の前に、千曲川が豊かな水量で流れていた。 その清流の中で、釣り人の姿が見える。 くだり鮎に遅いこの時期、何を釣っているのであろうか? 傾き始めた陽光に、川面が銀鱗のように輝いていた。 |