老いらくのピクニック
2017年8月9日

私が通う駅に、エアコンがきいた休憩所がある。
真夏のこの頃、ガラス張りの休憩所に入ると、外界の暑さが嘘のように涼しい。
その建物の中に、午後4時ころ、何時も物静かで、上品なお爺さんが座っている。

服装もこぎれいで、帽子をかぶり、置物の大黒様ようである。
お爺さんを見かけるようになったのは、半年くらい前であろうか。
私が休憩室の椅子に座り、電車を待っていると、この時刻、何時もお爺さんが前に座っている。

電車で通勤している風でもなく、椅子に座り、時にはウトウトしている。
この近くに住み、散歩がてら駅のホームで、時間つぶしでもしているのであろう。
ある日のこと、何時もより駅に着く時間が遅くなった。

するとお爺さんの隣に、お婆さんが座り、何かお爺さんに、小声で話している。
お爺さんは恵比寿顔で、小さくうなずきながら、話を聞いている。
そうか、ここで二人は待ち合わせていたのだ。

どうやら、お婆さんは白山方面から、地下鉄でやって来たらしい。
私は電車が来たので、休憩所を出て電車に乗った。
二人は兄妹でも、もちろん夫婦でもないであろう。

電車に乗りながら、いろいろと思いを巡らせた。
その後のある日のこと、私は何時もの時間より、少し遅れて駅に着いた。
すると駅の改札の斜め前の階段で、二人が仲良く寄り添うように座り、食事をしていた。

きっと近くのコンビニで買った、お弁当なのであろう。
二人は楽しそうに食事をしていた。
それからしばらくの間、そんな二人の光景を、たびたび見かけるようになった。

さながら、老いらくのピクニックのようだ。
年齢からして、二人にはお孫さんがいるであろう。
二人の服装からして、家庭環境には恵まれているように見える。

どこか年齢に相応な、豊かさを感じる。
でもなぜ、この時間に二人で……。
かつて遠い昔、二人は恋人同士であったのであろうか?

何かの複雑な事情により、結婚できなかったのか……。
今はそれぞれが、相方に先立たれ一人になった。
そして或るとき、二人は街で偶然に出会った。

それ以来、結婚はできないが、過ぎ去った時を、愉しんでいるのかもしれない。
何時になったら、駅で別れるのであろうか。
時間になると、この駅で別れ、何事もなかったように、家庭に戻るのであろう。

ある日のこと、私は悲しい光景を目撃した。
何時も座る駅の階段で、お婆さんが一人で座り、お弁当を食べていた。
だが、その隣にお爺さんはいない。

お婆さんは肩を震わしながら、嗚咽しながら食事をしていた。
どうやら、お爺さんが来ないようなのだ。
二人ともかなりの高齢である。

何時の日か、永遠に待ち人が来ないこともあり得る。
他人事ながら、お婆さんが可哀想になった。
お爺さんに、何事もなければと、小さく祈った。

その後、何日かして、お爺さんとお婆さんが、駅の階段で食事をしていた。
私は心の中で、「よかったッ!」と呟いた。
その後も、駅の休憩室で、二人は仲良く座る姿を、何度も見かけた。

この幸せで平和な時を、二人は何時まで、続けられるのであろうか。
健康でいる限り、愉しい二人の時を、紡いでゆくことができるであろう。
だが人は老い、何時の日か、自由が奪われる時がくる。

一日でも、二日でも長く、老いらくの逢瀬を、愉しんでほしい。
だが、何時の日か、どちらかが永遠に待ち続ける時が、必ず来る。
それはあまりにも、残酷で悲しく、想像するだけで辛くなる。