懐かしき、東方邦美術協会!
2017年8月4日

私の好きなテレビ番組に「日曜美術館」がある。
先日、川端龍子(1885年-1966年)を特集していた。
画伯は日本画の大家で、会場芸術を標榜し、日本画の世界を、劇的に絢爛豪華な空間に変えた。

そして青龍社を結成し、多くの弟子を育てた。
その四天皇の一人に、時田直善氏(1907-2000)がいた。
川端龍子亡き後、青龍社は解散。

時田氏は師の芸術を継承し、昭和42年に、東方美術協会を組織した。
私が上野広小路の料理屋で、支配人をしていたころ、時田氏は弟子の息子・時田尚武氏と、店に度々来店してくれた。
温厚で物静かな時田氏は、氏の大作が飾られた、1階の座敷の前に座る。

そして自分の絵の状態をチェックし、亀裂が入っているときは、自宅のアトリエに運び、修復してくれた。
私の店の旦那は、絵画や彫刻に造詣が深く、店内には様々な絵が、飾ってあった。
銀座の老舗酒店・伊東酒販の社長も、挨拶がてら旦那を訪ねてきた。

社長は日本画家・伊東深水や、彫刻家・平櫛田中などと、深い親交があり、たくさんの作品を収蔵していた。
そしてその所蔵する作品を、地元上諏訪に伊東近代美術館を造り、展示していた。
その当時、店の床の間や座敷やホールの絵を、季節の折々に、交換するのも、私の仕事であった。

そんなこともあり、店の什器備品である、漆器や磁器や陶器などはもちろん、日本画の勉強をすることとなる。
さいわいなことに、湯島に住んでいたので、美術館や博物館が近くにあり、良い環境に恵まれた。
さて時田直善氏の話に戻る。

氏が主宰する東方美術協会は、年に2度くらい、上野で協会の展覧会を開く。
そのあと、全国から集まった協会員の、表彰式と懇親会が、私の店の3階大広間で開かれた。
その数は90人くらいであったであろうか。

とても和やかな懇親会であった。
1階の100号くらいの鯉の大作も、氏の展覧会の出品作品であり、清澄な水の中を、大きな錦鯉が優雅に泳ぐ。
日本画の世界を、教えてもらったあの頃を、懐かしく思い出した。