埼玉県北本市石戸宿「石戸蒲ザクラ」を訪ねて
(東光寺:(埼玉県北本市石戸宿3-119)
2017年4月9日

小雨降る午後1時頃、自宅を出る。
新大宮バイパスから、上尾道路を通り、1時間ほどで、埼玉県北本石戸宿に到着した。
無料の駐車場に、停車する車は、まばらであった。
 
車を降りると、まだ小雨が、微かに降っていた。
だが、西の空をみると、垂れ込めた空の彼方に、微光がさし始めている。
雨傘をさしながら、寺への参道へ向かう。
 
路傍には菜の花の黄緑が、雨に濡れ情趣を添える。
100メートルほど行くと、細い参道に出た。
正面に東光寺が見え、蒲ザクラが咲き匂う。
 
雨のせいなのであろう、参道に人影もない。
境内に、僅かな見物の人の姿が散見された。
寺の石段の横に、満開のソメイヨシノの老樹が、我々を迎えてくれた。
 
石段を上ると、左手に素朴なお地蔵さんが、優し気にほほ笑んでいる。
階段を上り境内出た。
正面に東光寺の小さな堂宇が、慎ましく控えている。
 
東光寺一遍上人開基による時宗(じしゅう)の寺である、川越市東明寺の末寺。
西亀山(さいきざん)無量院東向寺とも号し、かつては阿弥陀堂と呼ばれ、蒲冠者・源範頼の開基といわれている。
源範頼の早世した娘・亀御前のために建立し、現在も範頼と亀御前の位牌が、安置されると伝わる。
 
このころ、降り続いていた小雨も上がり、空は明るくなり始めた。
境内は思いのほか狭く、石戸蒲ザクラの老樹が、雨にぬれ桜の芳香を放つ。
樹齢800年以上、樹高は14m、根回りは7.4m、幹周りは6.6mの古木。
 
エドヒガンザクラと、ヤマザクラの自然交配により誕生した。
かつては、この老樹が世界に一本だけという、稀有な品種であった。
学名も「Prunus Kabazakura」、大正11年(1922)国の天然記念物に指定され、 日本五大桜の1つである。
だが現在は、北本市の努力により、後継の蒲ザクラは、市内各所に植樹されている。
800年以上の悠久の時を、生き抜いた古木は、神秘的で霊妙な気韻を漂わす。
老樹は大地に、躍動するように根を張り、逞しく呼吸している。
 
2つに大きく分かれた根元に、古色を帯びた石塔が建つ。
それは
源頼朝異母弟で蒲冠者(かばのかじゃ)と呼ばれた、源範頼の墓石と言われている。
源頼朝は1193年(建久4年)に、謀叛の罪で、伊豆修善寺に幽閉された。
 
その後間もなく、梶原景時に襲われ、自刃したと伝わる。
しかし、源範頼は生き延びたとされ、様々な土地に、伝説を残している。
石戸宿もその1つであり、1200年(正治2年)に、この地で病死したといわれる。
雨上り、境内から遠く見渡すと、観桜の人たちが、こちらに向かって歩いてくる。
先ほどまで、閑散としていた境内も、大勢の人たちで溢れ始めた。
お寺の横の建物の屋根に、雨に打たれ散った桜が、美しい模様を刻む。
 
境内も散り敷かれた桜の花が、妖艶な風情を湛えている。
坂口安吾が描いたように、散り積もった桜の花の下には、妖しくも幻想的な世界が埋もれているようだ。
境内から見渡すと、広場にテント張りの露店が、何件か並んでいた。
 
そしてさらに遠くに目をやると、先ほどの駐車場は、車が満杯であった。
東光寺の堂宇の横手から、裏道へ出た。
そして露店のある広場に出た。
 
露店で草団子を買い、参道へ戻る。
先ほどまでと異なり、見物客で境内が溢れている。
午後3時、これから石戸蒲ザクラ見物は、本番になるのであろうか。
 
蒲ザクラの柵に、ライトアップの照明器具も、設置されていた。
夜桜は一味違う、艶麗で幻想的な世界を演出するであろう。
さぞや暗紫色の空に、薄桃色に咲き匂う桜の花が、雅な世界を映し出すであろう。
 
東光寺に別れを告げ、参道を戻る。
梅林の彼方を、菜種の花が、黄色く染め抜いている。
梅の老樹は、黄緑の苔が、雨に濡れて輝く。
  
梅の梢に、小さな梅の実が、薄緑色に顔を出す。
桜が終わり、ツツジが咲き匂い、やがて初夏がやってくる。
その時、梅の老樹は、梅の実をたわわに実らせる。
 
参道を戻ると、左手に民家の生け垣があった。
雨に濡れて、ツツジの花が、赤紫色に咲いていた。
その隣の木には、朱色の椿が、名残の花を咲かせている。
 
路傍には菜の花が咲く。
長閑な北本の里は、春爛漫である。
駐車場からは、蒲ザクラ見物の家族連れが、参道を歩き、東光寺へ向かっていた。