早春の南房総半島、洲埼灯台、野島崎灯台、清澄寺を訪ねて
2017年2月5日ー6日

立春を過ぎ、春浅い房総へ出かけた。
都心から100キロほどに位置する、南房総半島の春を目指し、東京湾アクアラインを渡る。
木更津から、国道128を南下し、最初の目的地、館山市洲崎にある、洲埼灯台(すのさきとうだい)に、午前10頃に着いた。
 
洲埼灯台は、房総半島南部で、最西端にある灯台である。
有料の駐車場に、200円を払い車を置く。
土産物屋兼食堂のような、店の脇の狭い階段を上る。
 
やがて遠くに、青空に聳える灯台が、くっきりと見える。
さらに灯台を正面に見ながら行くと、路傍に水仙が楚々と咲き、菜の花が、咲き匂う。
柔らかな朝の陽光を浴びながらゆくと、程なくして灯台に到着した。
1919年(大正8年)に点灯した、地上15メートル、円筒形のコンクリート製灯台が、青空に映えていた。
この灯台の東京湾を挟む、三浦半島最南端に、剱埼灯台(つるぎざきとうだい)がある。
洲埼灯台と剱埼灯台を結ぶ線が、東京湾の境界を形成する。
  
灯台の敷地の先端部分に、小さな展望台があった。
そこに360度のパノラマを説明する、眺望案内板が建っている。
快晴の日には、ここから富士山や箱根、伊豆大島などの伊豆の島々が見えると書かれていた。
さらに伊豆半島の天城山や下田、そして三浦半島が、彼方に望むことができるとある。
残念なことに、遠く彼方は霞み、海上を進むタンカーが、見えるだけ。
灯台の下を見下ろすと、小さな入江があり、そこに漁船が停泊していた。
 
そして洲崎灯台を後にし、次の目的地、白浜町の野島崎灯台まで、国道410号、房総フラワーラインを行く。
約17km続くその道は、「日本の道百選」にも選ばれ、沿道に四季折々の花が咲く。
早春の路傍に、菜の花が咲いていた。
洲崎灯台から⒛分足らず、午前11時⒛分頃、遠くに白亜の野島崎灯台が見えた。
海に面した無料の駐車場に車を置く。
駐車場には、ぎっしりと車が止まっていた。
そして漁船の船着き場の前の道を行くと、正面に厳島神社の鳥居が見え、その奥に野島崎灯台が聳える。
石段をを上り、神社の鳥居を潜り参道を進むと、正面に拝殿が鎮座していた。
真っ直ぐ参道を進み、拝殿でお詣りをした。
  
厳島神社の創建は1776で、七福神が祠られていると言う。
ご祭神は広島の厳島神社から勧請し、女神の弁財天だけが、社殿に納められている。
安房の名石工・武田石翁が、1779年に彫り上げ、他の6体の男神様は、境内の参道横に並んでいた。
   
その姿はユーモアに溢れ、木陰でほのぼのと鎮座している。
参拝済まし、遠く眺めると、神社の屋根の梁と、灯台が美しいコントラストを見せていた。
両脇に常緑樹が並び、青く塗られた道を行くと、正面に灯台が屹立している。
  
辿り着くと、真っ白な壁の銅板に、野島崎灯台と刻まれていた。
右手に回り、八角形をした灯台を、周りながら見上げると、展望台に人影が小さく見える。
そして受付で、入館料の200円を払い、灯台の中へ行く。
  
小さな入り口を入ると、螺旋階段が待ち構えていた。
階段には段数を教える、数字が貼られている。
一歩一歩上ってゆくと、急峻な金属製の階段が、待ち受けていた。
 
さらに行くと、階段はさらに狭く、勾配は極めて大きくなる。
頭上にも気をつけなから、階段を上りきると、正面に巨大なレンズと、回転させる動力が現れた。
このレンズは31km先まで照らす性能があり、東京湾を航行する、船舶の安全を守り続けた
 
そして展望台に出ると、冷たい風が吹き付け、黒潮洗う房総半島最南端の、岩礁が見える。
快晴ならば、伊豆七島の島影が洋上に浮かぶという。
展望台を回ると、彼方にホテル群が見渡せた。
 
今から遡ること151年前の幕末の動乱期、西洋列強に屈し、米欧4ヵ国と結ばれた「改税約書」(江戸協約)
日本全国の8ヶ所の灯台が、条約灯台として建設されること決まる。
ランソワ・レオンス・ヴェルニー(Francois Leonce Verny 、1837年-1908年)を中心に、フランス人技師たちが設計し建設した

当初は、白色八角形の煉瓦造灯台であり、1870年1月19日、観音埼灯台に続いて、日本の洋式灯台として、2番目に点灯した。
基礎から灯火までが 30 m の高さ、フランス製の第1等フレネル式レンズを使用した、第1等灯台であった。
だがその灯台も、1923年(大正12年)の関東大震災により、地上6メートル辺りで折れ、轟音を立てながら倒壊した。

そののち1925年に、コンクリート製で再建された。
だが太平洋戦争で、大被害をこうむり、戦後1946年(昭和20年)に完全復興、現在に至るという。
風光明美で温暖な南房総の最南端で、まさに歴史に翻弄され、過酷な歴史の証人となった。

現在は「日本の灯台50選」に選ばれ、国の登録有形文化財に登録された。
正午近く、青い空が高く広がり、天空を鳶が幾羽も、優雅に旋回していた。
黒潮が流れる海面に、波はなく穏やかである。
 
彼方を眺めると、霞が漂い春日に輝いていた。
360度のパノラマを愉しみ、灯台の螺旋階段を、注意深く下り地上へ出た。
海風が生暖かく、吹き抜けて行く。
  
灯台の前の石段を下りると、広い公園になっていた。
前方に勇壮な岩礁が広がり、その横に遊歩道が、岬の先まで続いている。
ここは房総半島の最南端の南国。
 
ヤシの木が並び、南国情緒を醸し、その彼方に、白亜の野島崎灯台が見える。
そして公園を進むと、先ほど漁船が係留する、入江に辿り着いた。
時間は正午。
 
駐車場近くの食堂で昼食にし、灯台を眺めながら、ゆっくりと食事をして店を出た。
すると小雨が降り出してきた。
午後は雨の天気予報通りであった。

野島崎灯台近くのホテルに、2時ころにチェックインした。
翌日の早朝、目を覚まし、窓外を眺める。
野島崎灯台が、岬に朧に見える。

岩礁に波が押し寄せ、飛沫が陽光に輝いていた。
朝風呂を浴び、朝食を済ませ、11時ころにホテルを、チェックアウトした。
そして日蓮宗総本山清澄寺へ向かった。

外房の雄大な海岸沿いに伸びる、国道128号のフラワーラインを北上する。
国道を行き交う車も少なく、車窓を開けると、柔らかな空気が流れ込む。
窓外の岩礁を、大きな波が洗い、壮大な景色が連続する。
 
千倉から安房鴨川、安房小湊を通過し、安房天津辺りで、前方に清澄寺の、大きな看板が現れた。
国道128号から、県道81号へハンドルを切り、鄙びた山間の、なだらかな上り道を進む。
そして10分ほど、人気ない道を進むと、大きな鳥居のような門構えが出現した。
 
門を潜りさらに行くと、無料の駐車場があり、駐車場に車は、1台もなかった。
車を置きなだらかな坂道を歩いてゆくと、清澄寺仁王門が見えた。
色褪せた朱色の、文久3年(1863)に建てられた、仁王門を潜る。
  
左右に、宇宙の始まりと終わりを表す、阿吽の金剛力士像が、厳しい形相で、山門を守っていた。
日蓮宗の開祖・日蓮上人も、12歳の時、父に伴われ、この山門を潜ったのであろうか。
山門を潜ると、左手に社務所があり、境内の奥正面に、千年杉が見える。
  
境内出て、左手の手水舎でお清めを済まし、本堂へ向かった。
小高い丘の常緑樹に包まれた本堂が、威厳をもって佇んでいた。
石段を上り行くと本堂の、摩尼殿(まにでん)が迎えてくれた。
参拝の人たちの姿はなく、静寂な空気が漂っていた。
参道を進み、階段を上り、お賽銭を添えて手を合わせる。
天和2年(1682)に造られた摩尼殿には、曼荼羅御本尊が勧請されている。
  
その本尊の前に、天瑞和尚作虚空蔵菩薩像を、安置している。
本堂内に人影はなく、内部は静謐で神聖な空気が流れていた。
天上を見上げると、朱色の梁は、獅子や象などの、彫り物に飾られている。
 
参拝を済ませ、境内から階段を下り、千年杉の前に出る。
樹高約47メートル、幹周り約15メートル、樹齢およそ800年の老樹。
近くで見る千年杉は、厳しい風雪に耐えた、逞しい生命力を示し、根本の幹は太く盛り上がっていた。
 
千年過ぎの横から、旭が森へ向かう道を進む。
杉木立に包まれた道は、森閑としている。
木立の合間から、彼方に海に反射したような、真っ青な空が見える。
  
微かに右に、曲がってゆく道を進むと、右手に急こう配の石段が現れた。
見上げると石組みの上に、、鈍い青色放つ、日蓮上人の銅像が見える。
険しい階段を上ると、銅像に到達した。
  
銅像の前は展望台になり、海と空と山々が、遥かな眺望となっていた。
12歳で安房2番目の、標高310メートルの清澄山に入り、道善法師に師事し、出家得度した日蓮上人。
厳しい修業ののち、仏教の奥義を極め、建長5年年(1253)4月28日32歳の時、ここ旭が森で早暁の朝日と出会う。
  
海の彼方から、燦々と朝日が耀き、空を黄金色に染め、洋上には光の一筋の道が煌めく。
その時初めて、立教開宗の第一声をあげ、法華経の布教を決意したと伝わる。
日蓮上人の銅像が、朝日の立ち上る方角に、凛々しく手を合わせる。
 
階段を下りると、石の案内板があった。
ここから20mほど行くと、仏舎利塔があると教えてくれた。
案内に従い、進んでゆくと、正面に巨大な、純白の仏舎利が現れた。
 
沙羅の樹の下で、入滅の時を迎える、涅槃像が金色に輝いている。
仏舎利塔を左手に見ながら、暖かな日を浴びながら正面へ回る。
左右に純白の獅子が、威厳ある表情で、仏舎利の正面を守っていた。
 
塔の半円形の屋根の中央に、ブッダが金色の光彩を放つ。
純白の仏舎利と碧空、ブッダの金色が、見事な交響曲を奏でる。
6月頃になると、あたり一面は約13,000本のユリの花が、極彩色の桃源郷を織りなすらしい。