戸隠へ紅葉狩り、そして高山温泉郷山田温泉で、癒しの時!
2016年10月30日

久し振りの信州、何年ぶりであろうか。
前回は善光寺御開帳の時である。
今回は戸隠へ、紅葉狩りに出かけてきた。

信州は我々のお気に入りで、様々な処を旅した。
だが、不思議なことに、戸隠だけは盲点であった。
戸隠神社宝光神社に到着したのは、早朝の8時半頃。
 
戸隠神社は、宝光社・火之御子社・中社・奥社・九頭龍社の五社からなる。
その歴史は創建以来2000年を超す。
神社の駐車場に車を停め、外に出る。
 
空は澄み渡り快晴である。
標高の高い戸隠、霊気が満ちた宝光神社辺りは、肌寒かった。
駐車場前に石段があり、その先に大きな鳥居が見える。
  
急峻な階段を、漂う霊気を浴びながら上る。
樹齢数100年の杉の大木が、森厳な趣を添える。
階段を上りきると、それほど広くない境内に、素朴な姿で宝光社が鎮座していた。
 
拝殿に進み手を合わせる。
見ると左手に、神輿の収まる堂宇が見える。
近づくと神輿が金色に輝いていた。
 
そして境内から、急峻な階段を下りきると、なだらかな坂道になった。
さらに行くと、先ほど上った階段の前に出た。
この神社は、1000年ほど前に、奥社の相殿として創建された。

祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)。
中社の祭神である天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)の子で、学問や技芸、そして婦女子の神とされる。
駐車場に戻り、次に予定する、 火之御子社(ひのみこしゃ)へ向かった。
  
なだらかな坂道を下り、10分たらずで、目的地に着いた。
神社の下にある、狭い駐車場に、車を停める。
石造りの鳥居の先の階段を上ると、簡素な佇まいの、火之御子社が、端然と正面に控えていた。
 
創建は天福元年(1233年)、祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)で、舞楽や芸能の神である。
天岩戸に隠れた、天照大神を、妖艶な舞で誘い出した女神である。
その神話の世界を紡ぐ、神を祀る神社にしては、あまりにも質朴簡素であった。
  
参拝を済ませ、先ほどの階段の前に来ると、境内の杉の老木の向こうに、秋色が広がる。
陽光を浴びて、燦然と輝いていた。
そしてまた車に乗り、次の中社に向かう。
  
15分くらい行くと、目的地に到着した。
駐車場はすでに満杯で、空くのを待つと、程なくして駐車することができた。
大きな石造りの鳥居を潜ると、遠く正面にお社が見える。
   
真っ直ぐで、なだらかな参道を行くと、静謐な境内に出た。
境内はすでに、大勢の参拝の人で、賑わっていた。
神社は深い黄葉に包まれていた。
  
創建は遡ること900年を超し、祭神は天八意思兼命。
天照大神が天岩戸に隠れたとき、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開く知恵を授けた神で、知恵の神として崇められている。
手水舎でお清めを済まし、拝殿にすすみ参拝する。
 
拝殿の横に目をやると、小さな滝が流れていた。
神の里は清流が豊かなのであろう。
朝日を浴びて、きらきらと輝いていた。
 
そして参道に戻ると、正面右手に、杉の大木が見える。
推定樹齢は700年、幹囲目通り約7メートルの御神木である。
さらに鳥居付近に、樹齢800年の三本杉の一つが、堂々としてそそり立っている。
  
この鳥居付近の老樹を中心に、他の2本の杉の老樹が、72m間隔の正三角形で存在することから、三本杉という。
人魚伝説にまつわる、八百比丘尼(やおびくに)伝説を今に伝える。
根の部分が三っつに別れた巨木は、風雪に耐え、今なお生命が躍動している。
 
御神木に触れると、ひんやりとして、神霊が伝わるようである。
厳しい風土の中で、800年以上にわたり、生き続ける力に圧倒される。
そして人間の存在の卑小なことを、改めて教えてくれた。
 
急傾斜な階段を下ると、大鳥居が待ち構えていた。
ここが中社への、表参道なのである。
朝日に照らされ、鈍く光る石の鳥居の両脇を、威風堂々と狛犬が、左右に控えていた。
 
そして駐車場に戻り、10分ほどなだらかな坂道を行くと、奥社駐車場に着いた。
広い駐車場は満杯で、順番待ちのあり様である。
暫くすると順番が来て、ようやく駐車し奥社に向かう。

参道への道は、赤銅色の枯葉の絨毯になっていた。
すると正面に大鳥居が見える。
鳥居をくぐると、小さな橋が掛っている。

ここから先が結界となり、聖地に足を踏み入れることになるのだ。
奥社参道まで、約2キロの表示が見える。
秋色に染まる、真っ直ぐな参道を進む、大勢の人の姿が遥かに続く。


微かな上りの道を進む。
参道の端に、清冽な小川が流れ、歩くに従い冷涼な空気が、あたりに漂う。
土の道に枯れ葉が敷かれ、足裏に柔らかなクッションが伝わり心地よい。
 
進むに従い、雑木は深くなり、老樹の幹に、大きな空洞が見える。
厳しい自然の中で、遥かな時を生き続けた、証なのであろう。
木々の紅葉が深くなり、秋色を鮮やかに映し始める。
 
そして杉の大木が、あちらこちらに現れ始めた。
遠くに随神門が見える。
やっと中間点の、1キロに到達したのだ。
 
茅葺の随神門は、素朴な佇まいで迎えてくれた。
その門前を、我々を睥睨するように、狛犬が左右で守っていた。
門の中へ入ると、左右に鍾馗様の木造が、鎮座していた。
 
かつて明治政府による、神仏分離以前は、このあたり一帯に、坊舎が立ち並んでいた。
だが廃仏毀釈により、子坊は取り壊され、僧侶は還俗した。
門の向こうに、杉の並木が、奥深く続いていた。

門を潜ると、17世紀に植栽された、杉並木が威厳に満ちて、立ち並んでいる。
ここからが杉並木であり、参道に木漏れ日が落ちていた。
杉並木の道幅は半分ほどになり、厳粛な空気に満ちている。

道の上り勾配も幾分きつくなる。
この雰囲気、箱根芦ノ湖辺りの、旧道に似ている。
高く真っ直ぐのびた杉の大木から、微かに木香が、香水のように漂う。
  
中天から差し込む陽光が織りなす、木漏れ日の道を行くと、道ばたにシダなどが顔を出す。
そして大きな石は苔むしていた。
右手には、水量豊かな清流の瀬音が聞こえる。
  
やがて参道は石交じりで、ごつごつしてくる。
さらに行くと、段差が大きい石段となる。
思いもよらない参道の状況に、これから先、少し不安を覚えた。
 
すでに参道脇で、腰を下ろしたり、休憩している人もいる。
遡れば、平安時代、この地は修験道の道場として、都にまで知れ渡る、霊場であったことを思い起こす。
随神門から30分ほど歩いたであろうか。
 
やがて石段の前方に、奥社の鳥居が見えた。
参詣者たちの顔に、安堵の表情が浮かんでいる。
鳥居を潜り境内の手水舎に行くと、順番を待つ人の、長い列ができていた。

手水舎で清め、奥社で参拝をした。
祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
神代の昔、太陽神・天照大神が、弟の素戔鳴尊の乱暴狼藉に怒り、天の岩屋へ隠れてしまった。

すると、世界は光りを失い闇になり、様々な悪神が出没し 、世の中は頽廃した。
そこで善良なる神々は思案し、天照大神を岩屋より、戻す算段をした。
そして岩屋の前で、天鈿女命(あめのうずめのみこと)に、妖艶な舞を踊らすことを、天八意思兼命が思いつく。
 
予想通り天鈿女命は、見事に舞い、神々は歓呼した。
するとその騒ぎに誘われ、天照大神が、岩戸を微かに開けた。
その瞬間、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が、渾身の力で岩戸をこじ開け投げ捨てた。
 
伝説によれば、その「天岩戸」が飛来したのが、この地であったと。
奥社で参拝をして階段を降りると、九頭龍社がある。
素朴な佇まいの神社の創建は、奥社より古いと伝わり、祭神は九頭龍大神で、地主神として崇拝されている。

竜神は古来より、水の神として崇められている。
そして縁結びや歯痛にも、ご利益があるという。
参拝を済まし、戻りの参道を眺めると、手水舎に長蛇の列ができていた。
  
そして白装束の人たちが、一列になり下って行く姿は、ここは修験道の霊山なのだと教えてくれた。
階段横に祠があり降りると、小さな滝があり、奔流となって清冽な水が流れ下る。
水場に下りて、滝水に触れると、ひやりと冷たかった。

そして先ほどの嶮しい階段を下り、やがて杉並木の平坦な、下り坂に辿り着く。
上りの参道では、たくさんの人たちが、切れることなく歩いてゆく。
皆の顔に余裕すらうかがえる。

だがこれから迫りくる、厳しい現実を、誰も予想できないであろう。
やがて隋神門に辿り着く。
時間は正午であった。
 
隋神門の彼方に、大勢の人たちの、長い列ができている。
秋色の道を進むと、奥社の大鳥居に出た。
その横に、隈研吾設計の蕎麦屋があり、昼食にした。

名物の戸隠そばを食べ、ゆっくりしていると、チェックインの予定時間になっていた。
旅館に少し遅れる連絡を入れ、本日投宿する、松川渓谷山田温泉へ向かった。
長野善光寺から須坂を抜け、高山村へ向かった。

やがて高山村に到着すると、道路沿いのリンゴ畑に、たわわにリンゴが実っていた。
さらに鄙びた道を行くと、200年以上前に、引き湯・開湯の歴史を持つ、高山温泉郷山田温泉に到着した。
すでに午後4時を回り、秋の陽は大きく傾いていた。
 
2階の部屋にチェックインすると、広い窓一面に、黄葉した渓谷の風景が広がる。
そして一休みしたあと、温泉を浴びに出かけた。
浴場には誰も人がいなかった。

身体を洗い湯に浸かると、信州の温泉特有の源泉かけ流しの熱さ。
水で薄めて湯に浸かると、身体に湯がしみ込んでくる。
湯の中に、白い綿のような、湯の花が浮遊していた。

翌朝、6時頃目が覚めた。
窓から外を眺めると、彼方の山稜が朝もやに煙り、降り注ぐ朝日に輝いている。
空は晴れ上がり、紅葉した山が映え渡っていた。

 
そして朝食後、9時半頃、チェックアウトし、雷滝に向かった。
坂を上ってゆくと、途中、観光バスが止まっている場所があり、大勢の人がいる。
そこは八滝展望台で、私たちも駐車場に車を停め、展望台へ向かった。
  
展望台は紅葉に包まれ、朝日を浴びた葉叢が、美しく照り返されていた。
展望台に上り彼方を眺めると、山肌を切り裂くように、滝が8段に流れ落ちる。
総合落差は180m、松川渓谷を泳ぐ竜の様である。
 
そして秋に燃える八滝を後に、雷滝に向かう。
松川沿いのカーブの多い上り坂を、10分ほど行くと、雷滝の駐車場に到着した。
だが駐車場に観光バスが、何台も止まり、駐車待ちをしなければならなかった。
 
そこでさらに奥にある、七味温泉に行くことにした。
かつてその温泉にある旅館の経営者の息子さんが、私の店のお客様に連れられて、来店したことがある
その友達は高校時代、その息子さんと同級生で、夏休みや冬休みにアルバイトをしていたそうだ。
曲がりくねった、松川渓谷沿いの坂道は、信州に来て一番の、色鮮やかな紅葉を映していた。
そして坂道を上ること、15分ほどで七味温泉に着いた。
そこは松川渓谷の最上流のようで、川幅も狭く清流の水嵩も少なかった。
 
車を降り、松川に架かる小さな橋から、上流を眺めると、七味温泉が松川沿いに、立ち並んでいた。
そして高山温泉郷、最奥にある七味温泉に別れを告げ、雷滝へ下った。
雷滝に到着すると、かろうじて駐車場が、乗用車一台分空いていた。
  
車を置き滝へ、狭く急な階段を、滝見を終えて上る人と、すれ違いながら下る。
辺りの木々の黄葉が、陽光に照り返され、黄金に輝く。
やがて眼下彼方に、松川渓谷の清流が顔を出し、瀬音が響く。


階段を100mほど下りきると、前方に巨大な雷滝の雄姿が見える。
凝灰角礫の岩肌を切り裂く、高さ30メートル、幅5メートは圧巻である。
その姿は想像したより、はるかに迫力があり、私がこれまで見た、日本三大瀑布にも負けないほどである。
  
切り立った岩場から、轟音を響かせながら落ちる、水量と迫力に圧倒される。
「裏見の滝」の別名を持つ通り、滝の直下に、庇のように迫り出した、岩棚の下へ行く。
すると頭上から流れ落ちる滝水が、水煙をあげながら、見るものに飛び散ってくる。
 
さらに滝の飛沫に濡れた階段を下ると、小さな見晴らし場があった。
見上げると滝水が、怒涛のように落下している。
秋色に染まる岩壁と、滝の純白がコントラストを描き出していた。
 
そして滝つぼに目をやると、舞い散る滝水が、朝の陽光に煌めいていた。
その清冽な水は、清流となり高山村を下り、須坂と小布施の狭間を流れ下り、やがて千曲川に合流する。
見晴らし台にも、冷たい噴霧となって、滝水が吹きよせる。
 
見晴らし台を後にし、少しぬかるんだ階段を上り、滝下に来る。
先ほどいた大勢の見物の人たちが、姿を消し閑散としていた。
そして滝下から階段を上ると、左手に黄葉した木々が、青空を背に輝いていた。
 
このあたり一帯の松川渓谷は、日本の紅葉百選にも選ばれ、紅葉の名所として有名であることを思い出す。
秋色に映える階段を上りきると、正午近くの陽光が眩しかった。
そして道を下り、山田温泉郷に別れを告げ、須坂を経由して、東京へ戻った。