新劇小史と演劇鑑賞会

 ヨーロッパの近代演劇は、アンドレ・アントワーヌ(1858年-1943年)により、「自由劇場」が、1887年旗揚げされた時に始まる。
 その時、サラ・ベルナール(1844年-1923年)などに代表される、スターシステムを否定し、戯曲と演出家を核とした、リアリズム演劇が産声を上げたのである。
 その後1897年に、コンスタンチン・スタニスラフスキー(1863年-1938年)らにより、「モスクワ芸術座」が誕生し、
マクシム・ゴーリキーやアントン・チェーホフの作品などを上演し、リアリズム演劇を確立してゆく。

 日本ではヨーロッパの近代演劇に魅了された小山内薫(1881年-1928年)が、「自由劇場」を、二代目市川左団次(1880年-1940年)と創立し、近代演劇を志向する。
 当時、二代目市川左団次は、歌舞伎の革新を目指し、9か月間、演劇状況の欧米視察をすまし帰国した。
 そして演劇革新を目指す小山内と意気投合し、1909年に「自由劇場」を設立したのである。

 「自由劇場」は1919年までに9回の公演を重ね、第1回はヘンリック・イプセン作・森鴎外訳『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』を「有楽座」で公演した。
 主役のボルクマンを左團次が演じ、左團次一座の若い歌舞伎役者たちが出演した。
 当時の日本に歌舞伎俳優などはいたが、近代演劇を演じる役者がいなかった。

 その時、小山内が標榜したのが、歌舞伎俳優の「玄人を素人にする」であり、「歌舞伎でも新派でもないある新しい演劇」の創造であった。
 それが現在まで使われている「新劇」なる言葉である。
 だが今ではほとんど死語に近く、新劇世代の私たちには少し寂しいことなのだが……。

 その後の1924年に、「築地小劇場」が小山内薫と土方与志(1898年-1959年)により、築地の地にある、土方与志邸の一角に設立された。
 土方与志は爵位を持つ大富豪で、ヨーロッパに渡り、ドイツで演劇の勉強をしていた。
だが1923年に関東大震災が起こり、東京が壊滅したのを知り、土方は帰国した。

 その結果、ヨーロッパで使う予定の金が、膨大な額で残った。
 その時、日本に近代演劇の理想を持つ旧知の小山内薫と構想を練り、ヨーロッパの劇場にも遜色のない、最先端設備を備えた「築地小劇場」を創立したのである。
 そして「築地小劇場」から、丸山定夫、山本安英、千田是也、滝沢修などの俳優が育つ。

 やがて1928年に小山内薫が急逝し、「築地小劇場」は分裂。
 土方与志たちは「新築地座」を創立し、演劇活動を再開した。
 だが日本は満州事変を経て軍国主義化し、第二次世界大戦に突入してゆく。

 1931年に日本プロレタリア演劇同盟(プロット)が結成され、1934年には「新劇の大同団結」等がはかられた。
 その後、戦時体制下になり、演劇人は次々と逮捕・投獄され弾圧を受け、劇団活動が不可能な壊滅状態に陥った。
 やがて終戦を迎え、民主主義のもとで演劇人は復活し、劇団「俳優座」や劇団「文学座」が息を吹き返し、劇団「民芸」が誕生した。

 だが日本における新劇の存在基盤は弱く、劇団活動の経済的側面は脆弱であった。
 日本は欧米諸国と異なり、ロングランシステムが組めない。
 そのために公演活動は、全国を巡演しなければならない。

 公演活動には、莫大な費用と時間がかかる。
 「より良い演劇を安く観る」をテーマに、劇団の経済的基盤を支えるため、1948年に東京に勤労者演劇協議会(労演)が組織された。
 そして新しい演劇を求める、若い労働者や学生たちの支部が、全国に立ち上がった。

 新劇は時代の悪しき予兆を告発する。
 またギリシャ演劇やシェークスピアなど古典の上演は、永遠不滅な人間の悲喜劇を描き、感動を与える。
 今まで観ることのなかった演劇に、観客は大きな発見と感銘を受けた。

 やがて劇団「俳優座」の養成所を卒業した俳優たちが、劇団「青年座」、劇団「仲間」、劇団「新人会」 (現在の劇団「朋友」)、劇団「三期会」(現在の劇団「東京アンサンブル」)、
劇団「俳優小劇場」などの俳優座衛星劇団を組織し、さらに様々な個性あふれる劇団が誕生した。
 1960年代になり、既成劇団にアンチテーゼを突き付けた、劇団「天井桟敷」や劇団「状況劇場」などのアンダーグラウンド演劇(アングラ演劇)が活況を呈する。

 日本の行政は劇場などの箱物は次々と作る。
 だが肝心な文化への深い理解に乏しく、昔も今も文化行政は劣悪である。
 劇団も国からの援助や助成に頼らず、独立採算により演劇活動を展開している。

 その経済的基盤の支援のために、かつて勤労者演劇協議会が結成され、現在の演劇鑑賞会が、全国で劇団の公演活動を支えている。
 劇団は公演活動をすることが使命であり、一人でも多くの観客に感動を与えるために活動している。
 そして劇団は一世紀にわたる日本の新劇を継承しながら、演劇文化を次の世代へ精力的伝えている。

 その演劇活動を劇団と演劇鑑賞会が、緊密な連携と相互協力をしながら支え、より良い演劇の創造を可能にしている。
 演劇鑑賞会は、会員の自主的協力により、企画・制作・協力し、手作りで演劇を鑑賞する団体である。
ピーポッポ・田村聰明
(第183回板橋演劇鑑賞会会報に掲載)
2016年5月28日