盂蘭盆会、秩父聖地公園「あんどん祭り」を訪ねて
2015年8月16日
夏休みは毎年秩父で過ごす。
秩父は山並に囲まれた盆地である。
夏の暑さは厳しい。
だが夜になると、涼気が流れ、昼間の酷暑を和らげてくれる。
秩父へ来て2日目の昼下がり、ぶらりと散歩に出かける。
秩父へは数えきれないほど来ているが、さて何処へ行くかとなると、目的地が定まらない。

とりあえず秩父市内へ出て、今日飲む日本酒を買いに、武甲酒造へ、出かけることにした。
そこは秩父神社に近い、江戸時代宝暦3年(西暦1753年)に創業の蔵元で、特別純米酒無濾過生原酒「のんべえ」を購入した。
それから秩父市内を見渡す丘にある、秩父聖地公園へ出かけた。

私のお店のお客様から、聖地公園に両親のお墓があると、たびたび聞いていた。
秩父が第2の故郷の私としては、一度は訪ねてみたかった。
武甲酒造から市内を抜けると、ほど近いところにあった。
公園にはたくさんの人が溢れ、駐車場へ向かう車が列をなし、整理員が汗だくで、車の誘導をしていた。
車を駐車し公園を散策する。
公園の遊び場では、子供たちがブランコを楽しんでいた。

今日はお盆の送り日、聖地公園は「あんどん祭」なのであった。
たくさんの露店が出て、まさにお祭りさながらの、賑やかさである。
さすがに場所が共同墓地、露店の人の威勢の良い呼び声は聞こえない。
露店の立ち並ぶ道を行くと、秩父聖地公園メモリアルホールがあり、その隣に秩父地産品を商う売店があった。
その横の広場で、大勢の見物人が、特設舞台を見ている。
舞台から秩父屋台ばやしの、勇壮な太鼓の音が響き渡る。
秩父の子供たちが、男女混成で、激しく巧みに太鼓を叩いていた。
その音は躍動的で、聞くものに懐かしい郷愁を呼び起こす。
子供たちの顔は輝き、秩父に誇りを持ちながら、太鼓をたたいている。
舞台の前には出番を待つ子供たちが、祭りの腹掛け衣装で、舞台を見つめている。
今日は秩父神社の夏祭り、「川瀬祭り」以来の晴れ舞台であろう。

伝統文化を継承する、未来の祭りを担う子供たちの心意気を、見るようである。
すでに時間は夕刻の6時を回っている。
広い墓地の先祖のお墓の前に、たくさんの供養の人たちが、座っている。
遥か彼方、折り重なる山並が、薄靄に包まれていた。
聖地公園「あんどん祭り」と書かれた、大きな行灯に灯がともされ、素朴な絵が浮かび上がる。
場内放送が、あんどん祭りの花火は、8時に打ち上げられることを伝えていた。
露店の立ち並ぶ道は、ますます多くの人たちで溢れている。
そして道の彼方を望むと、車が次々と途切れることなく訪れている。
やがて陽が落ちる頃、「あんどん祭り」は、最高潮になるのであろう。
例年、1万基にのぼる墓前行灯や、絵行灯が灯り、秩父花火師により、約1200発の花火が、夜空に輝く。
華麗に染まる空の下、無数の墓前行灯が灯り、卒塔婆の焚き上げ供養も、盛大に催される。
先祖の墓前に集う家族に、柔らかな笑顔が溢れる。
花を手向け供物を添え、先祖の霊と語りながら、持ち寄った食べ物とお酒を頂く。
祖先の霊の冥福を祈りながら、今生きていることに感謝をする。
やがて陽は落ち、山々は残照に輝き、やがて薄紫を帯びた、墨色が空を染める。
その時、次々と打ちあがる花火が、夜空を染め上げ、月遅れの盂蘭盆の精霊送りの輝きが満ちる。
先祖の霊に協奏しながら、ともに盂蘭盆会を愉しむ。
今までこのようなお墓参りを見たことはない。
今は亡き故人の霊と交感しながら、持ち寄った供物を共食する姿は美しい。
   
先祖を敬い大切にする心は、家族を大切にし、他人を思いやり、ひいては祖国を愛する心に通底する。
聖地公園に夕靄が忍び寄り、たくさんの行灯の明かりが灯り輝き始めた。
大勢のお墓詣りの人たちの顔に、柔和な喜びが溢れている。
 
だが、これだけ大勢の人たちがいるのに、聖地公園に音がなく静寂でさえある。
そこには聖なる静謐な空間が広がっていた。
そしてさらに老若男女が、先祖の供養のために、この地へ訪れている。
偶然に訪れた聖地公園。
素晴らしい光景に出合い、久しぶりにすがすがしい感動を覚えた。
秩父の新しい風物詩は、先祖の精霊を、無事にあの世へ、送り届けてくれるであろう。