演劇鑑賞記「板橋演劇鑑賞会176回公演」
作:レジナルド・ローズ 翻訳:酒井洋子 演出:西川信廣
「十二人の怒れる男たち」

雨交じりの今日は、演劇鑑賞会の例会である。
5時半ごろ、会場の板橋文化会館へ行く。
玄関前に置かれた、板橋演劇鑑賞会の幟旗が、微風にはためく。
会館の中に行くと、劇団の制作の人が、今日の芝居の進行の説明をしていた。
その前に本日の鑑賞会の担当の人たちが、説明を熱心に聞き入っていた。
そこには午前に行われた、大道具や舞台装置の搬入を、手伝った人たちもいる。
演劇鑑賞会は、会員の自主的協力により企画・制作・協力する手作りで、演劇を鑑賞する団体である。
私が若い頃は「労演()」と言い、全国に組織され学生や会社員に、絶対的な支持を受けていた。
日本が高度経済成長に入り、労働組合と大企業は、鮮烈な対立と闘争を繰り広げる。
そして当時の国鉄はゼネストに入り、東京の交通網は遮断された。
労働組合は先鋭化し、その組織を支持する若者たちは、全国に溢れていた。
当時の若者たちで音楽好きは「労音(全国労働者音楽協議会)」に入り、演劇を好きな者は「労演(勤労者演劇協議会)」へ入会した。
日本の若者たちが、熱い季節に燃えていたころの話である。
だが「労演」が政治色を失い、「演劇鑑賞会」へ移行するころから、全国の会員数は衰退し始めた。
すでに消滅したものや、滅亡の危機を迎えているところもあまたある。
だが板橋演劇鑑賞会は地道な努力がみのり、毎回会員数を微増させている。
だが会員は高齢化している。
若い会員が入会し、板橋の演劇文化を支えてほしい。
制作の説明が終わると、今日の運営担当者たちは、それぞれの持ち場に立つ。
玄関の前に会員たちと待ち合わせる人たちがいる。
雨は小雨ながらやむこともなく、肌寒いなか会員たちが玄関前に溢れ始めた。
そして6時に開場した。
会員は手帳を差し出すと、担当者がティケットのもぎりをする。
すべてが会員、顔なじみの人たちが、笑顔を交わしあう。
2か月に1度会う仲間は愉しそうである。
そして入場する会員にチラシを配る人も真剣である。
時間とともに会員が続々と入場してくる。
続々と入場する人たちと、迎える会員の顔に、さわやかな笑顔が溢れている。
会場ではパンフレットを勧める人の声や、挨拶を交わす声が賑やかに響く。
しばらくすると開演が近いことを印すベルが鳴る。
会員は座席に着き、開演を待つ。
そして板橋演劇鑑賞会の会長の挨拶が終わる。
場内の明りが落ちドラマは幕を開けた。

板橋演劇鑑賞会は、随時、会員を募集しています。
板橋演劇鑑賞会【住所】東京都板橋区大山東町24-10-202【電話】03-3962-7105
演劇鑑賞記「十二人の怒れる男たち」を観て

この作品は1954年に、アメリカ合衆国のテレビで放映され好評を博し、1957年に映画になる。
映画はアカデミー賞の数部門でノミネートされたが、「戦場にかける橋」に敗れ、アカデミー賞を逃した。
だが陪審員8号を演じた、ヘンリー・フォンダが好演し、非常に感銘を受けた記憶がある。


その後、演劇台本として書き下ろされた。
スラム街に住む18歳の少年が、父親殺しの第1級殺人罪で死刑に問われた。
無作為に選ばれた12人の陪審員は、死刑か否かの究極の司法判断を迫られる。
陪審員たちは様々な職業で、スラム街育ちや移民もいる。

裁判所でのすべての審理を終え、夏の日の暑い裁判所の1室で、12人は予備投票を行う。
その結果は、有罪11票、陪審員8号だけが無罪を示した。
評決は全員一致でなければならない。

陪審員たちの空気は、明らかに陪審員8号に冷たかった。
「なぜ1人だけ、みんなと違うことを言うんだ…。どこにでもいるんだ、そういう奴って…」
しかし陪審員8号は、6日間にわたる証人の証言に疑問を感じる。

さらに弁護士は明らかに、事件に対し手抜きをしており、状況証拠と目撃者の証言にも、信憑性が欠けると主張する。
「人の命を5分で決めてもし間違っていたら? 1時間話そう」
陪審員たちはしぶしぶと、議論を交わし始めた。

陪審員8号の強い意志と主張により、やがて陪審員たちの姿があぶりだされる
そして一人二人と、真実と向き合うようになる。
裁判所の一室で展開されるドラマは、濃密な空間をうみだし始める。

父親殺しの少年の真実を証明するために、陪審員8号は他の陪審員と誠実に向き合い語りかける。
やがて議論は白熱し、事件の検証がなされ、真相が明らかになる。
そして評決は徐々に、死刑反対の票が増えてゆく

舞台装置は簡素であり、舞台の転換もない密室劇で、ダイナミックな行為もない。
そこには一人の人間の生命が左右される、濃密して緊張した時間が流れる。
そして舞台で怒りや憎悪の激しい発言の応酬がある。

舞台には最後まで死刑の評決を主張する人物の、差別と憎しみの怒声が響く。
だが登場人物が叫ぶほど、人物像は希薄となり、役の陰影が浅くなる。
激しい感情を俳優が抑制することで、人間の心の闇と深淵をあぶりだすことができる。

その極限の抑えることの出来ない情念が、表出されることにより、劇的緊張と葛藤が生まれる。
ドラマとはまさに、登場人物の精神の葛藤のリアリティーであり、観客はそれに感動する。
陪審員11号の透明性のある演技に好感をもった。