最後尾4年の縁 2015年3月12日 1824年はジョージ・スミスが所有する、グレンリベット蒸溜所、が国家公認の蒸留所になった年です。 それ以来、正式な酒製造業者ライセンス持つ、グレンリベット蒸留所は、堂々と製造販売に乗り出す。 だがスコットランドにおいては、依然として密造酒が製造されていた。 密造酒製造者たちは、不利な立場に立たされ、ジョージ・スミスに反感を持つ。 ジョージ・スミスは身の危険を感じ、絶えず護身用の拳銃を、肌も離さず持ち歩いたという。 なぜ密造が横行したのか? それは1707年に遡る。 その年に連合法(Acts of Union)が成立し、スコットランド王国はイングランド王国に併合され、グレートブリテン王国が建国された。 その時以来、連合王国はスコットランドで製造されるウイスキーに増税をかけた。 それに反発する人々は増税を避け、渓谷の奥地へ逃げ込み、密造酒を盛んに造った。 その結果、偶然に発見されたのが、使い捨てられたたシェリー樽に、熟成することであった。 夜陰にまみれ僅かに市場へ売りだされたウイスキー以外は、深い渓谷の湿潤な気候の中に眠る。 そして長い眠りから覚めたウイスキーは、馥郁とした香りを湛え、琥珀色の宝石の輝きに満ちていた。 その1824年の100年後の1924年(大正13年)、寿屋(現在のサントリー)が、 |