読書日記
大正文壇に見る、人生の皮肉
2015年2月23日

夕食前の一時間、近くの喫茶店へ出かけことにしている。
パン屋さんの奥に喫茶店はあり、レジの前に並ぶと、顔見知りの女性の店員さんは、笑顔を送ってくれる。
私はコーヒーのストレートを、トレーなしのカップだけを何時も注文する。

馴染みの女性店員さんは、私が注文しなくてもトレーなしで、コーヒーをさりげなく出してくれる。
テーブルに文庫本を置き、皮ジャンパーとマフラーを椅子に脱ぎ座る。
広々とした店の中、お客様の僅かな喧噪のなかで、一人静かに読書をするのが好きだ。

今は広津和郎著「同時代の作家たち」を読んでいる。
広津和郎(1891−1968)と同時代の作家たちの若き頃の交友と、その時代の空気を彷彿と描いている。
そこにはやがて巨匠や人気作家となる、芥川龍之介や菊池寛や宇野浩二など、綺羅星のごとき作家たちが登場する。

さらに上野や湯島、浅草などを舞台に、さまざまな青春群像が展開し、当時の作家たちの熱い友情や軋轢などが、赤裸々に描かれる。
大正時代の文壇が、村社会のような、太い絆で結ばれている。
或る日のこと、精神病の発作に苦しむ宇野浩二のことで、
青山脳病院の院長で、歌人の大家でもあった斎藤茂吉のもとへ、広津和郎と芥川龍之介は相談に行く。

そして紹介状を書いてもらい、後日、王子にある脳病院(当時、精神病院のことを脳病院といっていた)へ、宇野浩二を連れていった帰りのこと。
芥川龍之介と画家Y・Nと広津和郎の三人が、暗い気持ちで上野の広小路の山下へ円タクで戻る。
すると思いもよらず、物静かな芥川龍之介が、「どこかに行って一つ騒ごうか」と突発的に言った。

そして電車通りを渡り、三人は三橋亭に入り、芥川は覚えたばかりのウイスキーを飲み、あとの二人は珈琲を飲む。
三橋亭は私が上野で料理屋の支配人をしていた時のお隣さんで、当時の主人・塚原心丸さんと、上野のれん会でお会いしたことも懐かしい。
明治から大正にかけ、文人墨客が馴染みにした、老舗洋食屋三橋亭も今はない。

三橋亭で一息ついた三人は、陰気な気分を吹き払うために、円タクを飛ばし亀戸の岡場所に出かけた。
そこで芥川たちが繰り広げる、抱腹絶倒の場面が、リアルに躍動的に描かれる。
その芥川龍之介は数年後に自殺し、重度の精神病で苦しむ宇野浩二は、奇跡的に回復する。
そしてその後20年間創作活動をし、宇野浩二は文壇の大御所となった。