秩父郡小鹿野町散策、そして秩父市内を巡り、寶登山神社へ
2015年2015年1月2日〜3日

元日の翌2日、昼食を済ました後、小鹿野町へ出かけた。
長閑な往還は、冬の日が優しく降り注いでいた。
冬錆びた赤平川を渡り、しばらく行くと、小鹿野町に到着した。

町には人影もなく、昔ながらの家並みが、懐かしい風情を醸している。
そして江戸時代享和3年(1803年)年創業の、太田甘池堂へ行く。
太田甘池堂の二代目が、江戸日本橋の甘林堂で修業し、小鹿野に伝えた練り羊羹を今に伝える。
江戸の情緒を湛える、玄関の木戸を開け、中へ入る。
創業当時の看板だろうか。
古色がにじむ木製の看板に、秩父元祖練羊羹と、墨痕もが鮮やかに刻まれていた。

店内は静寂が漂い、雅趣に溢れている。
そして今に伝わる秘伝の練羊羹を買い求める。
(「太田天池堂練羊羹食感」
羊羹を包む、枯れ竹色の包装紙を開ける。


すると鶯色をおびた、飴色の羊羹が艶やかにに輝く。
包丁で羊羹を切り分け、漆黒の漆皿へ盛る。
鈍い漆の光沢と、羊羹の深い飴色が、典雅に響き合う。


丹念に練り込まれた、羊羹の切り口に、微細な砂糖の結晶が、宝石の輝きを見せる。
楊枝の黒文字で切り分け、口に含むとつるりとした食感のあと、口の中に優雅に甘味が広がる。
その味は高雅な趣さえ漂わす。


かの食通で有名な文豪・池波正太郎も、その味に賞辞を贈ったことに納得する)
そして太田甘池堂を後にして表通りへ出る。
正面に旅館越後屋が、昼下がりの陽光に輝いていた。

越後屋旅館の大広間には、碁盤40面、将棋盤15面など、対局に必要なものが全て揃う。
私の店のお客さまで、税理士会囲碁クラブの仲間が合宿に通う。
さらに毎年、宿主主催の囲碁大会も開催されている。
瓦屋根に漆喰の白壁、1階の壁は黒と白の格子模様のなまこ壁が、情緒を膨らませる。
旅館の前の通りを進むと、左手に路地があり曲がる。
日本の古い家並には、必ず入り組んだ狭い路地がある。

その路地を進むと、小さな祠やお地蔵やお堂があることが多い。
やはり路地の突きあたりの角に、古雅な風情のお堂があった。
その名前は鷹巣下薬師、小鹿野町の中央に鎮座する。
昔、この境内に大樹があり、鷹が巣を掛けていたと言う。
お堂の中には、鷹巣下薬師厨氏子、紙本着色十二神将像、鰐口(元禄12年銘)が納められている。
古くよりこのお堂に願掛けをすると、目の病が治ったと信じられていた。
さらに行くと白亜の土蔵が見えた。
そして路地裏の余情を愉しみながら歩くと、広い道路に出た。
その路傍に大きな銅像が建ち、福田赳夫書、加藤彰久翁像と彫り込まれていた。
加藤彰久氏は長い間小鹿野町町長を務めた人で、衆議院議員加藤卓二氏の父君である。
その銅像は威厳に満ち、堂々としていた。
そして像の前を通り過ぎ、小鹿野町のメーンストリートに戻る。

遠くにはかつて本陣であった旅館寿屋が見える。
日射しも陰り、肌を刺し始める冷気の中、江戸の情趣を愉しみながら、本陣の前へ行く。
だが残念なことに休館であり、寿屋旅館はすでに廃業し、現在は観光交流館になっていた。

玄関の右手に、宮沢賢治宿泊の宿の看板が、掛けてあった。
盛岡高等農林学校2年生の大正15年(1916年)、教員や仲間たち25人と秩父を来訪。
古い地質が表出した崖「ようばけ」を訪れ、地質研究をした。

その時宿泊した宿が寿屋であり、当時の旅館主人の記録が、平成23年に発見され、判明したのであった。
残念ながら休館で中へ入れず、さらに小鹿野町散策を続けた。
町に人影はなく、傾きかけた冬日が寂寥を奏でる。
かつての繁栄を印す商家の家並、古錆びた木塀が時代の趣きを添える。
歴史が薫る町並みを逍遥すると、雅趣溢れる山門の前に出た。
山門前の石柱に、真言宗智山派常木山十輪寺と刻まれていた。
山門を潜り参道を進むと、本堂と先ほどの山門の真ん中に、四柱の山門があった
左右に阿形と吽形が置かれ、素朴な寄せ木造の金剛力士像が、目を剥き逞しい姿で迎えてくれた。
檜造りの像の製作年代は不明だが、推定は室町時代で、像高は六尺(180cm)を越す。
山門を潜り進むと、正面の本堂が西日を浴び、陰翳を深くしていた。
本堂の中には、十一面観世音菩薩が、安置されている。
毎年5月の連休、ツツジの季節になると、お釈迦様の生誕を祝う花まつりが、この境内で開かれる。
たくさんのお店が市をなし、ミニコンサートの音が響き賑わう。
本堂でお参りを済ませ参道を戻ると、5体のお地蔵さんが並んでいた。
頭に朱色の帽子を被り、白い前掛け姿が、陽光を浴びている。
寒い秩父に住む人たちの、お地蔵さんへ注ぐ情愛が、ほのぼのと伝わる。
そして山門を潜り、さらに散策を続けた。
すると大正ロマンを醸す、木造の建物が見える。
木壁は風雨に晒され、捲れあがり、建物は無残な姿を見せる。
すでに人が住まなくなって、かなりの歳月が経つのであろうか?
建物の傷みは激しく、痛々しい程に荒れている。
玄関に廻ると、荻野医院の表札が掛かり、玄関扉は閉ざされていた。
主人の居ない刈り込まれた庭の木々の常緑が、西日を浴び眩しかった。
そしてまた散歩に繰り出した。

町の辻々に、小鹿野歌舞伎のポスターや、看板が飾られている。
時は文化文政(1804−1829)の頃。
江戸で歌舞伎修業をした、下吉田井上出身の板東彦五郎が、板東の名前を頂き、秩父へ歌舞伎を伝えた。
それ以来、歌舞伎を見れない秩父の人々に、秩父歌舞伎は祭りとともに、最大の娯楽となる。

さらに秩父の老若男女が歌舞伎を学び継承し、手造りの歌舞伎として現在に至る。

らに行くと須崎旅館のへ前出る。
その前に朝日通りの看板が見えた。

この通りの奥に、かつては映画館があり、遊郭で賑わう歓楽街があった。
遊郭で遊んだ男衆が、この路地を通る時、降り注ぐ朝日に照らされたことから、朝日通りの名前がついたと言う。
だが今は既にその面影はない。
路地を通り抜けると、昔ながらの風情が、懐かしさを誘う。
その途中、メルヘンタッチの床屋さんがあり、看板が愉しげで洒落ていた。
古いものと新しいものが調和している。

すでに日は大きく傾き、小鹿野町に冷気が忍び寄る。
そして新年の参拝へ、秩父神社へ向かった。
秩父神社に午後4時半頃に到着した。
山門前の境内に、案内に従い車を駐車した。
秩父神社の山門脇の大提灯に、すでに灯がともり、神社の文様を浮かび上がらせていた。
石段を上り山門を潜ると、真っすぐ続く参道の先に、拝殿が見える。
拝殿前に大勢の参拝客が並んでいた。
参拝を終え社務所で、干支の破魔矢を頂戴する。
すでに陽は弱くなり、秩父神社に漂う空気が、肌にひしひしと凍みる。
参道を戻り山門を潜り、秩父神社の大鳥居の前に出る。
大鳥居横の石柱に、「秩父神社鎮座弐千壱百年」と刻まれていた。
第十代崇神天野時代に、秩父は神社創建され、昨年の平成26年に、皇紀2100を迎えたことを示していた。

秩父神社を出ると、秩父夜祭りの時お世話になる、あさひ診療所の灯りがついていた。
玄関を開け中へ入ると、男の人が出て来た。
今日は閉院ですと言われたので、院長先生に正月の挨拶に寄りましたと伝えると、院長先生が笑顔で迎えてくれた。
そして新年の挨拶を済まし外へ出る。
代々秩父神社の氏子である家の甥っ子の案内で、本町の獅子舞を見に行くことにした。
獅子舞は夕刻の5時頃から、本町を2班で廻る。
獅子舞は何処を巡り始めているのであろうか?
すると遠くでお囃子の音が響く。
やがて獅子舞の一団が遠くに見えた。
その中に甥っ子のお父さんの姿は見えず、他の班が廻っていた。
私たちは獅子舞の一団について、夕刻の獅子舞巡りをする。
秩父市内の繁華街の商家や民家を、メモ帳を見ながら、お囃子に合わせ獅子舞が訪れる。
夕靄に包まれた町を、一軒一軒訪ね歩く。
そしてお店のシャッターを開け中へ入り、獅子舞を躍り御祝儀をいただく。
訪れる人も迎える人も笑顔こぼれ、正月の華やぎに満ちていた。
陽は陰り町に夕靄が深く漂う。
町には街灯がともり、冷気が肌を刺し始める。
冬の黄昏の中、獅子舞連はお囃子の音を、賑やかに響かせながら進む。

今年も獅子舞が町々を巡り、人々の幸福招来、無病息災の祈りを届ける。
正月の祝祭を、獅子舞が躍り祝う。
すでに夕刻の5時、町々の帳が落ち始めていた。
さらに獅子舞連にお伴すると、曹洞宗の禅寺・爪龍禅寺に着いた。
寺の甍は黒光りし、壁の漆喰の白と褐色の柱と戸の色調が、静寂な佇まいを醸している。
獅子舞連は玄関を入り姿は消え、お囃子の音が境内に響く。
やがて獅子舞の一行が、玄関から姿を見せる。
住職さんがにこやかな笑顔で、送り出している。
すると住職さんが私たちを呼びとめ、寺の奥へ入り戻ってきた。
そして私たちに、つくば根をプレゼントしてくれた。
さらにまた寺の中へ戻り、招福の干支付の鈴を届けてくれた。
つく羽が厄を払い、鈴が幸福を招いてくれますよと、にこやかに教えてくれた。
寺の参道を戻ると、すでに獅子舞連の姿は見えず、遠くにお囃子の音が響いている。
そして参道を出ると、庚申尊のお堂がひっそりと灯っていた。
桜の季節、爪龍禅寺の枝垂れ桜が満開の時、庚申堂の庚申縁日は賑わう。
すでに陽は落ち、遠くに秩父の象徴・武甲山が威容を見せていた。
秩父市内は夕暮れがたちこめ、商家の玄関が煌々と灯る。
昔ながらの佇まいの木造の建物が、眩いほどに浮かび上がる。
灯りに照り映える姿に、歴史の郷愁を愉しみ、秩父の正月2日は終わった。
正月3日、小鹿野町に別れを告げ、午後2時過ぎに東京へ向かう。
明日の4日も正月休み、長瀞径由でゆうくりと帰ることにした。
秩父神社の前の八幡屋で、名物の秩父自慢饅頭を買い、国道140号を行く。

20分ほど行くと、宝登山神社の大鳥居に着く。
境内へ続く真っすぐな道を行くと、駐車場を待つ車の列が見える。
そして交通整理の係員の案内に従い駐車する。
秩父の神社は、どこも駐車場が無料なのが嬉しい。
駐車場から境内に向かう途中、今年の干支の羊の、大絵馬がたっていた。
その絵馬を背景に、代わる代わる記念写真を撮っていた。
そして境内を進み、手水舎で手を清め口を漱ぐ。
さらに拝殿に続く急峻な石段を上った。
階段を見上げると、宝登山と染め抜かれた提灯が灯っていた。
石段を上るに従い、拝殿の屋根が見える。
石段を上り切ると境内に出た。
境内は大勢の参拝客で賑わっている。
権現造りの拝殿は、傾き始めた陽光を受け、燦然と金色に輝いていた。
幕末から明治にかけて再建された拝殿は、眩い光が放射されている。
第12代景行天皇の御代、西暦110年に創起されお社は、神々しく絢爛な光に満ちていた。
石段を降り駐車場への道、小さな池があった。
見れば鯉たちが、池の真ん中で身体を寄り添い、身動きもしない。
冬の秩父の厳寒を耐え、やがて来る春を待つかのようである。
すると亀が一匹、池の中を泳いでゆく。

その速度は遅々とし、朦朧と力ない姿で、水面に微かな波紋を描きながら、視界から消えた。
すでに陽は翳り、薄黒い空に煌々と月が輝く。
秩父の正月の3日が、ゆっくりと過ぎて行った。