橋と箸の関係に潜む日本文化
2014年3月14日



私の好きな作家に白洲正子(1910年 - 1998年)さんがいる。
『プリンシパルな日本』の著作もある、日本の戦後、日本を影で支えた白洲次郎氏の妻である。
樺山 愛輔(かばやま あいすけ)伯爵((1865年ー1953年)の娘で、少女時代にアメリカ合衆国へ留学している。

留学生活が長かったことが、日本を深く理解する能力を磨いたのであろう。
日本の美術や芸術に対し、深い造詣が彼女の書く随筆に滲んでいる。
その理解の仕方は自分の目で見て触れ、既成の権威にはたよらないところが良い。

そして素晴らしいものであれば、歳や地位など無視し、最大限の理解と賛辞を送る。
さらに魅力溢れる匠の世界に出会うと、生存の作家であれば、万難を排し礼をつくして会いに行く。
彼女も書いているが、腕の良い職人ほど頑なであり、人と会うのを嫌がる。

だが一度心を許すと、純真であるだけ優しく思いやりに溢れている。
日本に昔から伝わる焼き物・染色・木工などの職人たちの匠の技と、職人気質や人間模様を描く『日本の匠』を読み、私の以前からの、ある疑問が解けた。
「それはハシの文化ー市原平兵衛」の項であった。

日本語にはハシと言う言葉は無数にあり、それは全て関連していると言う。
そして橋と箸も同じ意味を持っていると。
橋とはこちらのハシとあちらのハシを繋ぐものであり、ひいては此岸と彼岸を結ぶものである。

天の橋立や天の浮橋は、天上と地上を結ぶ橋であること書き記す。
そして私たちが日常に使う箸に言及する。
箸は人間が生きるために、欠くことの出来ない食物と、人間の命をを繋ぐものである。

私たちが子供の頃、両手の親指に箸を挟み、「頂きます」と礼拝してから食事したことも、神さまへの感謝と箸への畏敬の念を現す。
また人が死んだ時、ご飯を盛った上に箸を立てるのも、神の依り代を意味し、天地を結ぶ箸により、成仏することを願う。
また人が死んで荼毘に付された後、骨を拾う時、箸から箸へ渡すのも、霊界への橋渡しをしているのであると。

日本は俎板と包丁と箸の文化で、ヨーロッパは鍋とナイフとフォークの文化である。
それは魚と肉を食する食文化に、大きく影響している。
そして箸により日本の食文化は完成している。

日本には様々な材質や形の異なる箸が、600種類は下らないと言う。
毎日の食事に欠かせない箸、古から続く深遠な意味を味わいながら、食事を愉しむことにする。
箸の中に日本文化の本質が潜んでいる。