埼玉県東松山市の岩室観音を訪ねて
2014年12月28日
今年最後の日曜日は微風快晴、埼玉県東松山市にある岩室観音へ出かけた。
関越道東松山ICで降り 、国道254から407へ、さらに県道27号を進む。
田畑は枯れ錆び、冬の寂寥な景色が広がる。
やがて市野川を渡り左折し、川沿いの街道を進む。
その道の先に吉見百穴があることを、先ほどの標識が教えていた。
その吉見百穴手前に、目的地の岩室観音はある。
左折してすぐ、前方右手の崖に、観音堂があった。
観音堂に駐車場はなく、すぐ先にある吉見百穴の駐車場に車を停めた。
嬉しいことに、今時珍しく駐車場は無料であった。
昼下がりの陽光は、燦々と降り注ぎ、目的地まで300メートルほどの散策も愉しい。

駐車場を少し歩くと、前方左に観音堂が、優雅な佇まいをみせる。
観音堂の前に立つと、歴史の風雪に耐えた凛々しさが漂っていた。
そして急峻な石段を上り、観音堂へ。

観音堂は私たち以外人気なく静寂である。
お堂の中に岩盤を刳りぬいた祠があり、祠の岩壁は灰褐色の鈍い光を放つ。
その岩壁に包まれるように、たくさんの石像が、楚々と建ち並んでいた。
その祠と反対側に、大きな岩山があり、その山肌をくり抜いた祠があった。
その祠の両側に、四国八十八箇所の本尊を模した、石仏が建ち並んでいた。
その像の形は微妙に異なり、表情も優しく慈愛に満ち、それぞれ特徴を異にしている。
くり抜かれた窓から陽光が差し込み、石仏に深い陰翳を与え、窓外に広がる世界を、見守っている。
時間と共に陽光の降り注ぐ位置は違う。
その時々により、光を受ける石仏たちは、様々に表情を変えるのであろう。
そしてまた春夏秋冬により、光の量も強さも異なる。
外界の景色に彩られながら、石仏たちの姿は神秘的でさえあろう。
飾り気のない、素朴な観音堂の中は、幽玄な世界を映し出す。
石仏の数は88体あり、四国八十八カ所巡りを示している。
その石仏に祈りをささげることで、四国八十八カ所巡りをしたと、同じ功徳があると人々は信じる。
古きこと遡れば嵯峨天皇の御代、弘法大師がこの地を訪れ、小さな観音像を彫り上げ、この岩殿に納めた。
それ以来この岩殿を、岩室山と号している。
その後この地を支配する松山城主が、岩室観音を庇護し信仰した。
だが天正18年(1590年)、豊臣秀吉の臣下が北条攻めを画策し、関東へ攻めのぼる。
その時、石田光成の臣下による大軍が、松山城を攻略。
城は火炎に巻かれ焼失し、麓にある観音堂も燃えあがり灰塵に帰した。
だが奇跡的に、観音像は焼失を免れたと言う。
現在の堂宇はその後、江戸時代の寛文年間(1661〜1673年)に、龍性院第三世堯音が、再建したものである。
お堂の造りは京都の清水寺と同じ懸造り様式で、江戸時代の建築としては、めずらしいと言われる。
太い柱に支えられ天上が高く重厚である。
お堂の裏手を見ると、岩を切り裂くように、上りの道が見える。
道は雨に濡れ、木漏れ日に光っていた。
その道を上り行くと、松山城城址に続くのであろうか?
堂宇から二階へ上る階段が、右手と左手にある。
階段はどちらも、急峻な木造りである。
階段越しに遠く眺めると、裏山の緑と美しい諧調を、映し出している。
左手の階段を上ることにした。
正面に胎内くぐりの標識があった。
ここをくぐると諸難を除き、そのたのねがいごとが叶うと書かれていた。

階段を上ると、堂宇の廂の奥の灰色の岩に、陽光に照らされた木々の影が、濃緑色の文様を刻んでいた。
胎内くぐりと言うので、薄暗く狭い回廊でもあるのかと想像したのだが、階段を上がると二階の参拝所に出た。
そこは能舞台のような正方形に近く、遠く彼方を洋々と見渡せた。
人影はなく岩に抱かれた堂宇は、ひっそりと清雅に包まれている。
すでに初冬の陽は傾いていたが、日射しは強く広がる景色を、鮮やかに照らしていた。
冬枯れた長閑な風景の中、一筋に細い流れの市野川が、水面を煌めかせていた。
裏手の山側に目をやると、降り落ちる冬日が、岩と常緑樹の寂寥を醸していた。
太いに柱は、寄席文字や籠文字で書かれた、たくさんの千住札が貼られている。
ここを訪れた参拝者の、祈りを込めた千社札に、温かい人間の温もりを感じる。
堂宇の高い天井に張りめぐらした梁にも、数え切れないほどの千社札が貼られていた。
最近は千社札を貼ることを禁止する、寺社仏閣が多いが、千社札をみると、ほのぼのとした情感が流れる。
昔から伝わる民間信仰の風習に、懐かしさをおぼえるからなのであろう。
観音様を安置するお堂の前に、 足形が彫り込まれた木板が置かれていた。
これは弘法大師様の足形を、示しているのであろうか?
その上に乗り手を合せ瞑目する。
観音堂の二階からの下りは、上りと違う階段をおりた。
階段の下に巨岩が影を映す。
注意しながら降りると、先ほどの堂宇の1階に着いた。
人気のない堂宇は、霊妙な空気が流れていた。
都会の喧騒の中で生活する者にとって、音のない世界に霊性を感じる。
沈黙の世界は、それだけで聖域なのであろう。

お堂から外に出ると、薄靄が陽光に滲み、遠く市街地が霞む。
空は青々と澄み渡り、燦々と冬日を降り注いでいた。
そして岩室観音を後にし、吉見百穴を見学することにした。