秋の訪れ、コスモス畑を訪ねて 2014年10月12日 沖縄に大型台風が近づく日曜日、東京は薄雲り。 久し振りの遠出で、埼玉県鴻巣市吹上まで、コスモスを見に出かけた。 東京の板橋区から国道17号線を行き、1時間半程で目的地に到着した。 そこは「コスモスアリーナ吹上」、駐車場にはすでにたくさんの車が駐車されていた。 私たちも車を置き、なだらかな坂を下り、荒川河川敷のコスモス畑へ向かった。 曇り空とはいえ、時折雲間から陽光が射し、遠くから微風がそよぐ。 朧に霞む遠方に、日本一長いと言われる水管橋(送水管)が、モダンな姿を浮き立たせていた。 その上空をパラグライダーが、優雅に飛び越えて行く。 沿道には秋を待つ草が、微風に揺れる。 なだらかな坂を下りきると、小さなから空堀に、木橋が掛っていた。 その橋を渡るとちらほらとコスモス畑が広がり、更に進むと散策道は凸凹となる。 先日、本土を襲った台風18号が、残した爪跡なのであろう。 そしてひび割れた赤土の道を行くと、澄み切った小川に架かる木橋に出た。 木橋の下に流れる小川の中を、緑色の水草が泳いでいた。 若い家族連れの人たちの顔には、愉しげな笑顔が広がる。 そして若い女性2人ずれは、機能満載の一眼レフで、写真撮影をしていた。 荒川河川敷に広がるコスモス畑には、約1,000万本にも及ぶコスモスが咲き匂う。 だがまだ時期が早く、本格化するのは例年10月25日頃のようだ。 その時には様々なイベントが開かれ、フリーマーケットや地元農産物の販売や、色々な模擬店も出る。 アリーナ前はかなりの賑わいをみせ、コスモス畑も多くの見物客で溢れることであろう。 今日はさすがにまだ3分咲き、満開を待ちきれない人が、コスモス畑を愉しんでいる。 秋桜とも呼ばれるコスモス(英語: Cosmos)はキク科コスモス属(学名:Cosmos)で、 語源,は秩序や調和を意味するギリシャ語のKosmosに由来する。 原産地はメキシコの高原地帯であり、日本には明治初期に渡来したと伝えられ、秋の季語にもなっている。 小川の水は雲間から漏れた日を浴び、きらきらと輝き、枯れ落ちた倒木に、波紋を描いていた。 秋の長閑なコスモス畑で三脚を立て、本格派のアマチュア写真家の真剣な眼差し。 昼下がりのコスモス畑には、柔らかな秋色が広がる。 赤に白に黄や橙や桃色に染まるコスモス畑に、秋の華やぎが匂う。 そしてさらにさらに、水管橋の方へ向かって歩いてゆくと、コスモス畑が終わり、ヒマワリ畑が広がっていた。 どうやら夏の間、コスモス畑はヒマワリの花園であり、秋の到来と共に、コスモス畑に変身したのである。 真夏の盛り、荒川河川敷の広大な土地には、ヒマワリの花が金色に咲き誇る。 その景色は壮観であり、絢爛としていたことであろう。 映画「ヒマワリ」のせつなく哀しい、ソフィア・ローレンの顔を思い出す。 生命の消滅、滅びゆく時を晒すことは残酷である。 来た道を引きかえすと、秋の草花が路傍に咲いていた。 夏の花々の豪奢さに比べると、秋の花々は楚々として可憐である。 慎ましやかな花色で、ひっそりと静かに、短い花の命を主張しているようである。 コスモス畑へ戻り歩くと、一面のコスモスは台風の烈風にあおられ、横倒しになっている。 か細い茎に楚々として健気に咲くコスモスに、秋の花の雅な風趣が漂う。 風に煽られ雨に打たれ、乾きひび割れた道を進むと、先ほどの小川に出た。 透通る小川に木橋の影が映り、木橋を渡る人たちの姿を写していた。 午後3頃、先ほどに比べて見物の人が増えている。 やはり3連休の2日目、明日も休日のためなのであろう。 三々五々、秋の柔らかな日射しを浴びながら、コスモスの花々を愛でている。 そして家族に車椅子を押されながら、コスモスを愉しむ老女の顔に、笑顔が溢れていた。 雨に打たれ乾いた道は、綿のように柔らかい。 それは雲の上を歩くような、不思議な感触である。 そして遠く振り返ると、コスモス畑には先ほどにも増して、さらに大勢の人がいる。 その花園の彼方に、水管橋と低い丘が、秋の陽を浴びながら霞んでいた。 |