モーレ・ラファージュ&雄さんの思いで すでに20年位は経つであろうか? 私の店に初老の紳士が、深夜に来店した。 とてもダンディーで、俳優の芦田伸介に似ていた。 着るものは派手ではないが、洒落た着こなしでセンスの良さを感じた。 そしてカウンターに座ると、ブランデーを注文した。 私はモーレ・ラファージュを、ブランデー・グラスに注いだ。 氏はブランデー・グラスを右手に持ち、いとおしむようにグラスを揺らし、やがて口元へ近づけ香りを愉しむ。 そこだけはまったりとした、緩やかな時間が流れていた。 当時、私の店には大学生や大学を出て日の浅い若者や、若い噺家やミュージシャン達が多かった。 やがて若者達と和気あいあいになると、氏は若者たちに「ジャンジャン、バリバリ飲みなさいッ!」と酒を勧め奢る。 その頃私の店には法政大学のボクシング部など、格闘技系の若者が多かった。 体育会の明るいノリで「頂きますッ!」と言ってお酒を頂く。 若者たちが飲めば飲むほど、氏は笑顔になった。 それ以来氏は私の店に毎週顔を出してくれた。 時折大きなボストンバックを持って来店した。 その時「マスター、1000万円位は入っているから、そっちに預かってくれないか」と頼まれる。 バックを預かると、ずしりと重かった。 やがて氏は○○雄であると、名前を明かしてくれた。 それ以来私たちは、雄(ゆう)さんと呼ぶようになった。 或る日のこと、雄さんがた退店する4時頃、同じマンションに住むKさんと、一緒に帰ることになった。 雄さんは早稲田大学中退で、Kさんは早稲田大学の現役で、ボクシングジムに通うボクサー。 Kさんはしっかりとボストンバッグを、肩にかついで店を後にした。 二人ともふらふらと揺れ歩きながら、店の近くのマンションに消えて行った。 二人は何かとうまが合う。 その翌日、Kさんが来店して真顔で私に言った。 「マスター、エレベーターの中で、雄さんに言ったの。このボストンバッグ、開けていい? って。 そしたら雄さんが頷くから開けてみたの。初めて見ました、あんなにたくさんの一万円札!」 ゴムで丸めた10万円の束が、ボストンバッグにぎっしりと詰まっていたのだ。 雄さん曰く「ゴルフで刈り取って来た」と言っていた。 さらに時々店で酔っ払い、店内に他のお客様がいない時のこと。 ズボンや上着の全てのポケットから、ゴムで無造作に巻いた10万円の束を、カウンターに積み上げた。 とりあえず20束は下らなかったであろう。 それは多分裏カジノで儲けたお金のようだ。 早稲田の学生時代は、賭けマージャンで向かうところ敵なしだったと聞く。 もちろん積め込みやすり替えのイカサマなどは、お手のもので百戦錬磨だったようだ そして大学を中退したあと、紆余曲折の後、服飾系の会社を経営した。 会社の経営は順風満帆、かなり稼いだと言っていた。 そしてお妾さんを持ち、庭付きの一軒家を与え、雄さんの表現を借りれば、女性を「活けていた」と語っていた。 車も外車を乗りまわし、運転の腕もかなりであったようである。 とにかく謎の多い人で、裏稼業のことでも聞いたことのある有名な親分の名前が出るかと思えば、 超大物の経済人や政治家とゴルフもしている。 その言葉には脚色もなく、真実に満ちていることが分かる。 さり気なく小さく語る言葉に真実が多く、誇張や強調に満ち声高で語られる言葉には、真がないことが多い。 雄さんの何気なくさらりと語る言葉に真実を感じた。 雄さんはその頃、何時もニトログリセリンを携帯していた。 心臓発作を起こした時に飲むためである。 数年前に脳梗塞で倒れ、左手に後遺症が残り、左目は見えないと言っていた。 その頃は競馬のブームで、私の店でも大きなレースの前は、競馬の予想で盛り上がっていた。 或る日のこと、雄さんが「マスターも競馬をやるだろ?」 「お客様とのお付き合いで、ちょこっとだけですね」 すると雄さん、上着の内ポケットから、帯封のついた新札100万円を出し、帯封ををぱちッと切り、 「この100万で、マスターの好きな馬を、1点買って来てくれないか」 私は即座に断った。 「嫌ですよそんな大金」 「いいんだよ、何でもいいから、好きなのを1点、買ってくれれば」 私は頑なに断ると、雄さんはしぶしぶ、お金を元の場所へ収めた。 その話を店の御客様にしたら「マスター、買ったことにして飲んじゃえばいいのよ」などと、無責任なことを言う人もいた。 小心者の私には、とてもじゃないが出来ない相談。 雄さんとは5年くらいの短い付き合いだった。 店を終えて雄さんの奢りで、8人位で近くの焼肉屋へ行ったこともある。 その時私は「今日は雄さんの奢りだから、全て特がつくものを注文することッ!」 雄さんもにこにこしながら頷く。 2台のロースタから、次から次と特上カルビ、特上ロース、特上ハラミが煙りを上げながら焼き上がる。 みんな若かったのでよく食べた。 すると誰かが「マスター、特がないけど注文したいのですけど」 「何?」 「野菜です!」 お腹の膨れたみんなが、声をたてて笑ったことを、懐かしく思い出した。 そんな雄さんとも別れの時が来た。 或る日のこと、店の前で雄さんと出会う。 「雄さん、どちらからの帰りですか?」 「大宮競輪」 雄さんは競輪の大ファンでもある。 その日は競輪グランプリが、大宮競輪で開催され、その帰りであった。 「雄さん、元気そうじゃないですか」 「いやそうじゃないの。明後日入院するのよ、癌でね・・・・・・」 私は言葉がなかった。 すると「今度は多分、シャバに戻って来れないな。これで一巻の終わりさ・・・・・・」 雄さんは寂しげに笑いながら私に告げ、私たちは店の前で別れた。 それ以来、私の店に顔を出すことはなかった。 暫くして同じマンションに住む女性から、雄さんが亡くなったことを教えてもらった。 亨年67歳は今の私と同じ年である。 お客さまによく言われた「マスターと雄さん、なんか似てるね」と。 モーレ・ラファージュを見ると、今でも雄さんのことを鮮明に思い出す。 雄さんはあの世でも、博打とブランデーを愉しんでいるであろう。 |