正月の秩父、秩父夜祭りの太鼓が轟いた
2014年1月2日

例年お正月は秩父ですごす。
そこはママの実家で、東京生まれで故郷のない私には、今では私の故郷の様である。
東京を離れ正丸峠を越すと、そこはすでに秩父の山間に包まれる。

車で3時間ほどで都会の喧騒を忘れ、歴史に溢れる秩父市内に到着する。
毎年の12月3日には、日本三大曳山祭り・秩父夜祭りが行われる。
町がまさに祭り一色に彩られ、夕闇が押し寄せる頃、秩父市内に祭の歓声が轟く。

そして祭が最高潮を迎えると、数え切れないほどの花火が打ち上げられ、夜空を煌びやかな光彩が染める。
江戸時代から秩父は絹の街、その栄華が5台の屋台と2台の笠鉾の豪華さを誇る。
秩父夜祭りを何度訪れたことであろうか。

いつも知り合いの好意により、最高の場所で見物させて頂いた。
元日の昼過ぎに東京を発ち、秩父のママの実家には夕方近くに到着した。
その日はおせち料理とお酒をいただき、夜遅くまで親戚の人たちと歓談をした。

柔らかく温められた燗酒に、もてなしの心を愉しむ。
昔、ママの実家の両親が生きていた頃は、沢山の親戚の人たちが、新年の挨拶に訪れていた。
今は私たちと同年代の、近しい親戚たちが集まる。

そして新年をのんびりと過ごさせていただく。
最近は私も歳を取ったのであろう。
余り深酒をすることもなく、夜更けと共に眠気が押し寄せる。
 
だからその分、目が覚めるのも早い。
翌日目を醒ますと快晴であった。
清々しい涼気が流れ、山の背から朝日が上り、稜線を明け染めている。

2階に上がり窓を開けると、美味しい空気が漂い流れる。
朝日は更に高く上り、空は雲のない一面の青空が広がる。
木々の梢の霜は朝日に溶け、柿の木に残る干し柿のような、蜜まじりの柿の実が、陽光に照り映えている。

すると灰黒色の鳥が飛び寄り、辺りを切り裂くように鳴き、柿の実を啄む。
そしてまた一羽また一羽が飛び寄り、そして飛び去った。
するとまた先ほどの鳥より、深緑に飾った鳥が2羽3羽飛びより飛び去った。
 
窓辺で日光浴をしながら野鳥見物も愉しい。
遠く眺めると冬枯れの野に降る霜が、陽光に煌めいている。
そして柿の木の梢を透かし見ると、幾星霜、冬の寒さに耐える欅の老樹が、葉の枯れ落ちた梢を、蒼穹に張り出していた。
 
聞けばこの欅の老樹が大地に根を張り、ママの実家をしっかりと支えているのだと言う。
確かに陽光を受けた古木には、長い風雪に耐え大地に根を張り、逞しく生き続けてきた神々しさが光る。
正午になると秩父市内に住む姪っ子の義父と義母が訪れた。
 
私も混じり箱根駅伝を観ながら、お酒を飲みよもやま話を愉しむ。
その後親戚の人は近くにある日帰り温泉「薬師の湯」へ出かけた。
私たちも娘を西武秩父駅へ送り、秩父神社にお参りに行くことにした。
 
外に出ると暖かな陽光が燦々と降り注ぐ。
その陽気に誘われながら近くを散策した。
冬枯れの畑田の野辺に、野草たちが微かに流れ来る風に揺れている。
 
さらに緩やかな下りの道を進むと、生垣に南天の実が朱色も鮮やかに、陽光に照らされている。
初夏にもなるとこの辺りの街道には、様々に色鮮やかな花々が咲き、畑には蕎麦の白い花が楚々と咲く。
すると右手にクヌギの材木が、積み重ねられていた。

この辺りでは椎茸も栽培される。
きっとそれに使われる木々であろう。
その向こうには春を待つ梅の古木が、冬錆びた大地に超然と立ち、神韻を奏でている。

枝にはすでに小さな蕾が見える。
季節とは正直なもので、時期をたがえることなく、時分の花を咲かせる。
2月の末になれば、赤と白の花を咲かせ、山里に春が忍び寄る。

行き交う車も少ない戻りの道を歩き、ふと目をやると枯れ野の中に、桑の木の古木が日に照らされていた。
かつて秩父は絹で栄え、この山里には養蚕農家が沢山あった。
だが今は蚕を育てる農家は皆無に等しい。

今でもこの辺りの土地人は、お蚕さんと呼び愛情あふれた響きが伝わる。
そんな農家のお蚕さんを支えたのが、新鮮な桑の葉であった。
長い歴史を支えた桑の木は、威厳に満ち崇高である。

そして昼下がり、降り注ぐ陽光を愉しみながら進む・
日は少し傾き始めているが、青い空を煌めかしていた。
ママの実家に戻ると、すでに外出の用意が出来ていた。
 
小鹿野の長閑な道を進み、秩父ミューズパークに囲まれた道を進むと、右手に秩父市内が見渡せる。
そして町を守るかのように、武甲山が青空に堂々と屹立していた。
さらに下りの道を進むと前方に、荒川に架かるハープ橋が正面に見える。

何時見ても優雅で気品に満ちている。
真っすぐに秩父市内へ向かって橋を進むと、眼下に寂寞とした荒川の清流が見える。
その景色は渓谷の趣き、山に包まれ断崖となった様は絶景である。

右手を見ると武甲山の山肌が、うっすらと雪で化粧されていた。
橋を越すとそこは秩父市内、秩父の象徴・武甲山が勇壮に照り輝いていた。
やがて西武秩父に到着し娘と別れ、一路秩父神社に向かった。
 
すでに日は傾き始め、日脚に力が陰りはじめる。
秩父神社境内に到着した時は、午後4時を回っていた。
想像していた程混雑は無く、境内の中の駐車場に車を停め、朱色の山門を潜る。

さすがに正月二日の夕暮れ時、拝殿前に人影は少なかった。
日が傾き始めると、秩父はさすがに寒さが滲みる。
先ほどまでの冷涼さから、寒冷へ移行するのが肌で感じられる。
 
並ぶこともなく参拝を済ませ社務所へ。
やはりお正月は社務所が賑やかだ。
今年の運勢を占うお御籤を引く人。
 
家内安全と商売繁盛や健康長寿を願う、破魔矢を求める人で華やいでいた。
私たちも例年秩父神社で破魔矢をいただき、去年の破魔矢を神社に納めさせていただく。
境内に設えた円い台には、沢山のお御籤が結わえられ、新年の縁起を祈願していた。
  
すでに境内は夕靄が忍び寄り、森閑とした空気が流れ始めている。
先ほど潜った山門へ向かい左手を望むと、老樹が注連縄で飾られていた。
そして山門の前から遠く望むと、彼方に昔懐かしい露店の幟が見える。
 
昨日は大変な人出で、露店商も大賑わいであったであろう。
今は微かにその余韻を残しているだけである。
山門を潜ると門前の献灯に灯が入り、正月の華やぎを演出している。
 
山門の前の階段を降り、露店の前の道を歩く。
やはり祭礼には露天商が似合う。
そして何時も立ち寄る、秩父神社近くの酒屋で、武甲酒造の新酒「あらばしり」を購入し、駐車場へ戻った。
 
山に囲まれた秩父、5時近くになると日は傾く。
先ほどの露店を見ると、店の裸電球は灯り、お店の暖簾を鮮やかに浮き上がらせている。
時刻はすでに午後5時になろうとしていた。
 
そして駐車場を出て、夕暮れの秩父往還を、小鹿野へ向かう。
やがて遠くに夕靄に霞む武甲山が、静寂を湛えていた。
荒川に架巴川橋を渡り、ハンドルを左に、荒川の渓谷沿いに走る県道を進む。

そして昔ながらの佇まい醸す、巴川旅館の前を右に折れ、一路小鹿野へ向かう。
上りの坂道を進むと雑木林は深くなり、山間の道は深く闇に包まれていった。
秩父ミューズパークの前を通る頃、すでに武甲山の山影は深い漆黒に包まれ、山の背に微かな残光を輝かしていた。
 
下りの急峻で九十九な峠道を下り切り、小鹿野の実家に到着した。
部屋の中に入ると、太鼓の音が聞える。
私たちの帰りを待ちくたびれた親戚の子供たちが、秩父夜祭りのリズムを刻んでいた。
 
大太鼓は小学生の1年生、小太鼓は1歳半に満たない弟が叩く。
そして幼稚園の年長のお姉ちゃんが参加し、大太鼓を威勢よく叩いた。
秩父夜祭りは次代を担う子供たちが、確実に継承しているのだ。