今年最後のお墓参り
2013年12月17日




一昨日の日曜日、12時半に家を出て、お墓参りに出かけた。
首都高から東名へ出て一路南下する。
小春日和の陽光を浴びながら、和泉多摩川を渡りゆくと、やがて前方に丹沢山系の山並みが見える。

その峰々を支配するかのように、大山が青空にくっきりと刻まれる。
空には大きな雲が陽光を浴び白銀に輝く。
渋滞することもなく疾走すると、やがて町田ICへ到着。

高速を降り国道16号線へ出た。
神奈川から埼玉を超え千葉まで、ぐるりと一周するこの国道は、何時も混雑し渋滞も珍しくない。
だが今日は意外に車はスムーズに流れる。

この調子だと両親と兄嫁が眠る霊園に、2時過ぎには到着するであろう。
やがて相模大野を越し県道を進む。
武蔵野の面影に抱かれた、北里大学病院の前を越して行くと、道はなだらかな下り傾斜になる。

途中横浜線の踏切を越えると、前方左手に冬枯れの田が荒涼と広がる。
坂を下ると県道508号厚木城山線に突き当る。
さらに左へハンドルを切り進むと、厚木市上依知(かみえち)と、相模原市南区当麻(たいま)を結ぶ、相模川に架かる昭和橋に出る。

ところが今日はどうした事か、突き当りのT字路が交差点に変わっていた。
それは開通したばかりの真新しい真っ直ぐな道だった。
思わず吸い込まれるように、バイパスと思い直進した。

ところが道は青梅から中央道を超え、海老名まで伸びた圏央道であった。
標識にUターン禁止と大きく書かれている。
仕方なく進むとゲートがあった。

ゆっくりと進むと、若い女性の姿が現れる。
事情を説明すると、丁寧に解決策を教えてくれた。
ゲートで通行券を貰い、ゲートを潜り5キロ先の厚木ICにある、お客様用の駐車場へ行ってくださいとのこと。

するとそこからこちらに戻る高速へ出れますからと教えてくれた。
説明通りに殺風景な風景の中を進むと駐車場があった。
そこには年配の男の係員が待機し、私たちのことをすでに伝え聞き、丁寧に説明してくれた。

その時、地図が書かれた案内紙を渡され、その説明通りに進むと高速道へ出た。
きっと私たちと同じような、不用意に進入する運転手が多いのであろう。
やがて元の地点に戻ると、そこは開通間際の相模原愛川IC、現在の圏央道の最終地点であった。

高速から降りると何時もの道とは違うところへ出る。
そして見知らない道を進むと、厚木市愛川町の市街地に出た。
さらに苦労しながら進むと、見覚えのある交差点に出て、ほっと胸を撫で下ろす。

そこからは勝手知った何時もの道を進むと、霊園に到着した。
1時間あまりの時間ロス。
だが異なる町並みや風景に出会えたことで、発見やら驚きの楽しいドライブが出来た。

時間に余裕があると焦らずにのんびりと、ロスした時間さえも樂しむことができる。
少し傾きかけた陽光はまだ日差しも強く、霊園の冷涼な空気を柔らかくしている。
霊園にはお墓参りに訪れた家族が散在し、静寂な霊園に子供の声が響く。

お墓に向かうなだらかな勾配の道を進み、お墓の近くの水場で、桶と柄杓と束子を借りてお墓へ。
ママはお墓の周りに伸びた草をむしっていた。
お彼岸に来て草を刈ったのだが、3ヶ月ほどで伸びるのであるから、野草とはなんと逞しい生命力か。

私は束子でお墓を磨き水で洗う。
空から降り注ぐ陽光に輝き、お墓が笑顔を見せているようだ。
草をむしりお墓を磨き、お線香をくゆらし季節のぶどうを添える。

そして手を合わせる。
私たちの家族や親戚、そしてピーポッポに来店するお客様の、安寧とご多幸を祈る。
お墓参りを終えると何時ものことだが、気持ちが晴れ晴れとする。

それはいつか迎える自分の終末の時が、それほども遠くない時期に来ることと、関係があるのであろう。
今の時を大切に生きることで、今は無き父母たちへの感謝の気持ちが、より深くなるのかもしれない。
お墓参りの心地よい感傷に浸りながら下り道を歩く。

遥か彼方に山々が折り重なり、朦朧と冬霞に包まれていた。
やがて夕闇が忍び寄り、霊園も静寂に沈んでゆく。
今年もあとわずか、何事もなく新年を迎えたいものである。