Oさんは千の風になって
2013年12月11日

暦も残すところあと僅かとなり、今年は喪中の葉書が例年になく多く届く。
故人の多くは80歳以上の高齢だが、なかには100歳近くの方もいる。
そして私と同い年で亡くなった方も。

私と同じ歳の方の逝去は少し早いと思うのだが、やはり人それぞれ、この世に生を受けた時、天寿という定めがあるのであろう。
12月も近いある日、一通の喪中の葉書が届いていた。
Oさんの苗字が裏面に記されている。

私の知るOさんの苗字は、ただ一人である。
嫌な予感が脳裏をよぎる。
差出人はやはりOさんの奥さんだった。

Oさんが今年亡くなったことが記されていた。
思い出せばOさんが最初に私の店に来た時は、26年くらい前に遡る。
Oさんはまだ大学に在学中であった。

やがてOさんは大学を卒業し、大手のファミリーレストランに就職した。
Oさんはお酒や料理が好きで、様々な飲食店の常連になる。
気さくでおおらかな性格のOさんは、どこのお店でも好かれ、たくさんの仲間ができる。

そしてそんな酒の席で、私の店を紹介してくれた。
やがて紹介された人たちが、私の店を後日訪れてくれたものだ。
Oさんは趣味の人で、私と共通する趣味も多く、色々なこだわりの世界を教えてくれた。

その一つにナイフや工具の趣味があり、Oさんの鞄はさながら、ドラえもんのポケットのようであった。
その一つにスイス・アーミー・ナイフで有名な、ビクトリノックス・スイスツールがある。
Oさんに見せてもらったツールは、男心をくすぐる機能的な工具であった。

後日上野に出向き、私も早速2万円近くで購入し、今でも店に置き重宝している。
Oさんはやがて、同じ仕事場の同僚の女性とともに、店にやって来た。
その時から2年後くらいに、その女性と目出度く結婚した。

その方が今の奥さんで、やがて2人の子供に恵まれた。
そして結婚してまもない頃、Oさんが一人で来店した。
Oさんは千葉の集中管理センターへ、栄転することになった報告であった。

Oさんは例の鞄を開け、Oさんお気に入りのナイフを、私にプレゼントしてくれた。
それはまだドイツが分裂していた頃の、西ドイツ製のナイフである。
柄は鹿の角で鈍く黒褐色に光り、刃には牡鹿の美しい文様が刻まれている。

ナイフホルダーは硬い皮で作られ微妙にカーブし、ナイフをホルダーに入れ逆さまにしても、留め金もないのに滑り落ちない。
やはり趣味人の選ぶものには、西洋の職人の匠が滲んでいた。
そしてOさんは言った。

「これからは余りお店に顔を出せないので、このナイフを置いてゆきます。店の何処かに飾っておいてください」
その言葉通りそれ以来、今でも店内にそのナイフは飾られている。
Oさんが私の店に足繁く来店していた頃、Oさんの会社が発行する、家族割引優待券を度々頂いた。

その割引券優待券は3割引で、その頃小さな子供が3人いた私たち家族は、度々その割引券で、楽しい食事をさせていただいた。
そのOさんが亡くなったことを知り、瞬時にOさんの屈託のない笑顔が浮かび上がる。
2人の子供を残して旅立ったOさん。

Oさんの努めた会社は、Oさんが栄転し千葉へ転勤してから、大変な苦境に直面した。
やがて社長交代やらリストラを繰り返し、外国企業に買収される憂き目にもあった。
そんな時代の荒波に揉まれ、責任感の強いOさんは、命を削ってしまったのであろうか。

喪中の葉書の文面に「夫はきっと千の風となって、私たちを見守ってくれていることでしょう」と認めてある。
Oさん、千の風となって、何時までも家族を見守ってあげてください。
Oさんの風は暖かく優しく柔らかく、何処までも吹き流れてゆくことでしょう。
形見となったナイフを眺めながら、心からご冥福をお祈りいたします。