宮沢湖畔、癒しの露天風呂
2013年11月17日

今週の日曜日、関越道の鶴ヶ島ICで降り、飯能にある病院へ見舞いに行った。
東京を出て1時間くらいで病院に到着した。
ホテルのような華やかな玄関で受付を済まし、エレベーターで病棟へ。

今日は私たちがMさんお見舞いの、一番乗りであった。
大きな手術を終え2週間経ったMさんは、前回お見舞いした時とは、別人のように回復していた。
苦しそうな表情を浮かべていた前回のお見舞いの時より、健康な顔色に近づいていた。

我慢強いMさんが漏した手術後の辛さは、想像以上あったのであろう。
Mさんと同階にあるロビーへ行く。
Mさんの足取りは、思いのほか軽い。

それはいよいよ退院の日が近いことを示していた。
すると下の階から上るエスカレーターに、Mさんの孫が2人、元気に笑顔で乗って来た。
さらにそのあとから、Mさんの奥さんと、娘さんと一番下の孫が、笑顔を振りまきながら、エスカレーターを上って来た。

そしてロビーに置かれた談話用の椅子に、皆んなで腰掛け、和やかに雑談が始まった。
思いもよらない病気で大手術を終え、順調に回復しているMさんの家族には、一様に笑顔が戻っている。
家族たちの声には明るさが戻り、語る言葉にも安堵が響く。

病に倒れ大きな手術を耐える精神力は、生きる渇望の強さの証なのであろう。
そしてその手術を成功させてくれる医学の、日進月歩な進歩に、思わず感謝する気持ちがこみ上げてくる。
私たちの歳になると、身体に何時変調を来たし、大事をまねくかも知れない。

がから小心者の私も、その時のために心の準備をしている。
もしそれが現実になった時、果たして今回のMさんのように、耐える力があるのか、本心のところ自信はない。
だが人間は自分が想像している以上に、強い存在なのであろうと、Mさんを見て改めて教えてもらった。

しばらくの家族との団欒を終え、私たちは家族に見送られ、病院を後にした。
そして次の目的地である、高山不動尊へ向かった。
そこは飯能の深い山に包まれ、険しい山道を上る、標高600メートルにある。

成田不動、高幡不動と並び、関東三大不動の一つと言われ、伝承によると創建白雉子5年(654年)の名刹である。
長閑な道を進む頃、すでに秋の日は傾き始めている。
山門に到着する頃には、日はとっぷりと暮れ落ち、紅葉どころの騒ぎではないであろう。

秋の日はつるべ落としのように早い。
山の日はさらに早く落ち、お不動様も夕闇の中に、飲み込まれていくことであろう。
お正月の年賀状にする予定の紅葉の写真撮影は諦め、来た道を引き返し日帰り温泉「喜楽里」へ行くことにした。

やがて30分程行くと、宮沢湖畔に日帰り温泉はあった。
広い駐車場は車で埋め尽くされている。
だが幸運にも玄関前に1つ空きがあり、そこへ車を駐車した。

今日はかなりの混みようで、受付に列が出来ていた。
下駄箱に靴を入れ列に並び、手続きを済ませ浴場へ向かった。
脱衣所で服を脱ぎ大浴場の中へ入ると、想像したほどの混雑でなく安心した。

この湯量豊かな源泉かけ流しの「喜楽里」に来るのは、3回目であろうか。
身体を湯で軽く流し、露天風呂へ行く。
一段高いところにある温泉は円い岩風呂。
10人も入れば満員になるほどの広さだが、ここが一番湯が濃いようだ。

温泉は少し熱めで、湯味はつるつるすべすべとした、弱アルカリ温泉は気持ちが良い。
湯が熱いので長湯はできないから、湯船が小さくても、湯船に入る人の回転がきく。
私も程よく身体が温まったので湯船を出て、隣の大きな展望露天風呂へ移動する。

階段を数段上ると大きな湯船が広がる。
湯船の中を歩き進むと、前方に宮沢湖が見渡せる場所が空いていた。
湯船に浸かり前方を見ると、宮沢湖に仕切られた釣り堀が見える。

すでに日は大きく傾き、夕靄に包まれ始めた釣り堀に、人影は消えていた。
ときおり湖畔を散策する人が通りすぎ、犬の散歩をする人や、ジョギングを楽しむ人が見え隠れする。
ここの湯は温めなので、ゆったりと長湯ができる。

宮沢湖は鏡のように静かに、やがて山の背に入る陽光を浴び、油を流したように湖面を金彩に変えていた。
さらに秩父の山嶺に夕日は落ち、峰々に残光が反射し、空の雲間の水色の空が薄紫に変わる。
やがて空一面が薄墨を流したような灰黒色に滲み、紅葉に色付き始めた山々は、薄闇の彼方に消えていった。

波一つない静寂を湛える湖水に、山の姿が漆のように黒く、逆さ絵を映し出していた。
湯船のを包む紅葉の森にも照明が灯り、色付いた木々を鮮やかに照らし出している。
すでに二の酉も終わり、三の酉を待つ晩秋、ささやかに一日を癒した。