高校2年のクラス会、50年ぶりの再会
2013年11月9日

久しぶりに小田急線で、町田まで出かけた。
小田急線に乗るのは何年ぶりであろうか?
少なくとも10年ぐらいの歳月が経つ。

新宿駅で発車間近の急行電車に乗る。
幸い空席があり、座ることが出来た。
やがて電車は動き始めた。

心地よく揺れる電車の振動を楽しみながら、私たちの母校・都立千歳ヶ丘高校がある、千歳船橋駅を通過した。
やがて和泉多摩川の鉄橋を通過する。
車窓の彼方に、かつて毎日見慣れたダムの姿が見える。

川面は鏡のように静かに耀き、昼近くの柔らかな陽光が降り注いでいた。
そして新宿駅から45分間くらい経ち、目的地の町田駅に到着した。
そこはかつて記憶する町田駅前とは、様相をことにした賑わいぶりであった。

今日集合することになるホテルは、駅から2分ほどのところにあるようだ。
だが案内の地図を見るが見当がつかず、駅前の交番で、地図の場所を尋ねる。
すると交番の若いお巡りさんは、親切に教えてくれた。

説明通り踏切を渡り路地を進むと、会場のホテルがあった。
クラス会は午後1時から開宴される。
30ほど早いが玄関を入りロビーへ行くと、左手のソファーに、私と同年齢とおぼしき、7人位の男女の姿が見えた。

きっと私たちのかつての級友だろうと思い近づいてみる。
すると6年くらい前に、高校の同期会で会った、本日の幹事の1人、旧姓H女史がいた。
すでに私たちが過ごした高校2年2組から、50年が経過している。

Hさん以外は全て初対面のようで、名前を聞いてもそんな同級生がいたかなと、朧ろげにげに思い出すほどだ。
人間の記憶は不確かで、歳月とともに薄れゆくことの現実を、改めて認識した。
人は長い人生の間に、様々な事が起こり、憶えきれないほどの事件に遭遇する。

忘れ去ることは、人間にとって生きることの知恵でもあるのであろう。
やがて受付が始まると、かつての旧友が三々五々集まってきた。
しかしどの顔も、全て初対面のような気がする。

お互い怪訝な顔をし、照れ笑いを浮かべながら、自己紹介をする。
やがて会場が開かれ、それぞれの席に着き、
そして1時とともに開宴された。
本日の幹事である4人の女性が、前へ進み開宴の挨拶をした。

そして同級会を開くことになる経緯を説明する。
本日の出席数は20人で、思いのほか大勢の人が参加してくれた事へ、感謝の言葉を添えた。
さらにすでに鬼籍に入った人が、同級生の1割近くもいたことを教えてくれた。

私たちは今は亡き同級生に、起立をし全員で黙祷をした。
そして乾杯の音頭が発声され、同級会は始まった。
現在84歳になる、元担任の先生K氏が挨拶をする。

高齢なので挨拶の途中、着座を勧めるが、先生は辞去し、矍鑠と挨拶を続けた。
先生はわざわざ自分のために、現在住む町田まで遠方より来てくれたことへ、感謝の言葉を述べる。
先生が私たちの母校へ赴任し、最初に担任になったクラスが、2年2組であることを、私たちはその時知った。

数学の教師であったK氏は、定年退職後、大きな手術を3回もしたらしい。
だが現在は地域のために、様々なボランティア活動を行い、社交ダンスの会に入り、楽しく晩年を過ごされている。
K氏の挨拶が終わり、いよいよ順番に自己紹介が始まった。

料理を摘みながら、程よくお酒も入り、和やかな雰囲気の中、それぞれが現在まで生きてきた道のりを、短い時間で簡潔に語る。
私たちが過ごした高校2年は、すでに半世紀の歳月を経過している。
現在までの人生行路は、時には歓喜しまた苦悩し、大波に飲まれ座礁したり、難破しそうになったこともあるだろう。

だがここに集まった同級生の顔には、人生を生きてきたことの充足と安らぎがある。
一人一人が語る言葉に、生きてきた年輪と過ごしてきた時間の重さに満ちている。
順番にまわるマイクを手に語る言葉を、元担任のK氏は穏やかな表情で、小さく頷きながら聞いている。

かつての自分の教え子たちが歩いた人生を聞きなが、万感あふれる顔に、優しさが滲んでいた。
今は殆どの同級生は現役を終え、それぞれ第二の人生を送っている。
やがて全ての自己紹介も終わり、席替えになった。

籤を引いて指定の番号の席へ移動した。
ほどよくお酒もまわり、会場は賑やかに会話が響く。
そして会話の中から、50年前の仲間たちのことを、少しずつ思いだし、自己確認するようにお互いが過去を語る。

私たちはまさに団塊の世代1期生。
生徒数が多すぎ、校舎が間に合わず、教室はプレハブであった。
そして東京オリンピックがあり、修学旅行で京都と小豆島へ、2泊3日で行ったことなどを思いだし語り合う

それは長い人生へ旅立つ、青春の楽しい序章であった。
今までは全校の同期会が、4年に1度開かれていた。
だが私たちの歳になると、4年ごとでは会える頻度に、寿命と言う物理的な限界が近づき始めている。

今年になり高校3年の同級会が、5月に新宿であった。
そして今度は2年2組の同級会である。
これから先、同期会やら同級会に、何回出席できるのであろうか。

なるべく多くの会に参加し、楽しい時をかつての旧友と過ごしたいものだ。
そのためにもまずは、仲間たちが元気でいることであろう。
幸い激動の時代の団塊の世代第1期生は、未だ元気で永遠の青年である。

やがて2時間が経ち閉宴の時が来た。
すると幹事の女性が花束を持ち、元担任のK氏のもとへ進み、花束を手渡す。
K氏は満面の笑みを浮かべ、お礼をの言葉を呟いた。

その時拍手が沸き起こる。
K氏は再度お礼を言い、会場を後にした。
私たちはK氏が会場から、姿が見えなくなるまで拍手を送った。