私の9.11
2013年9月12日

今年も9.11がやって来た。
私にとって9.11には、深い思い出がある。
その日は私のママが、病院に入院していた。

病気は生死にもかかわる、重いものであった。
病名を聞いた瞬間、私とママは愕然とした。
ママの頼みで、子供たちには病を内緒にすることにした。

そして大塚にある病院に入院し、13時間にも及ぶ手術を終えた数日後に、9.11の大惨事がアメリカ合衆国で起こった。
その頃、私は株をやっていたので、大暴落で大損失を被った。
毎日、自転車に乗り、東武練馬の自宅を出て店へ向かう。

店のスタンバイを終え、病院がある大塚まで、自転車を走らせる。
ベットに横たわるママの側に座り、何を話す訳でもなく、8階の病室から外を眺めると、広い空が夕陽に染まり始める。
そして日が落ち始める頃に病院を出て、途中で夕食をとり、店へ行く毎日であった。

その時、私の家庭には、大学生が2人と、高校生が1人いた。
お金が一番掛る時でもあった。
私は日曜日も休むことなく、50日近く働いていた。

或る日のこと、子供たちが3人揃い、長男が私に言った。
「親父が働いてくれるのは嬉しいけど、親父が倒れたらどうするの」
私ははっとした。

私が倒れたら、全てが終わりになる。
それ以来、2週間に1回、日曜日を休むことにした。
自転車で通う毎日。

その時、身体を鍛えていて良かったと思った。
自転車で通うことは苦しいことでなく、楽しいことも沢山あった。
今日はどの道を通り、帰りも昨日とは異なる道で帰宅する。

すると思いもよらぬ発見があり、気になるお店を見つけたりする。
そして板橋や豊島区の裏道などに詳しくなり、毎日が我が町探索でもあった。
苦しい時にも、小さな楽しみと歓びを持つことの、大切さを教えてもらった。

店は勿論私1人で営業した。
毎日大勢の人が来店してくれた。
店はお客様で溢れていた。

それは私1人で働いていたので、料理やカクテルが提供できなく、待っているお客様で溢れていたのだ。
事情を知っているお客様は、文句を言うこともなく、じっと待っていてくれた。
そして料理やカクテルが出て来ると、それを飲みほし、料理を食べ「マスター、また来るよ」と言って店を後にした。

1人でする仕事には、限界があると痛感した。
2人なら3人分以上の仕事も出来る。
1人では1人以上の仕事は出来ないと。

当たり前のことだが、今年も9.11がやって来た。
この日が来るたびに、今年も1年、頑張ったなと思う。
あれから12年、もう大丈夫だと胸を撫で下ろす。

私たちにとって、9.11は生きてこれたことの喜びであり、次の年への希望である。
あの12年前は、私への試練でもあった。
だがその苦境を乗り切ることで、私も少しだけ成長したような気がする。