旧お盆、短い夏休みは秩父で
2013年8月14日ー16日

今年の夏休みも、秩父の小鹿野町へ出かけた。
秩父の夏は東京に負けないくらいに暑い。
だがさすがに緑多く、空気が澄んでいるので、日影に入るとひんやりと涼しい。

やはり自然が豊かなことは、大きな恵みである。
早朝に秩父へ到着。
早速秩父市小柱にある日帰り温泉「秩父川端温泉・梵の湯」へ出かけた。

早朝の9時から開館していた。
荒川沿いにある温泉は、露天風呂に入ると荒川の清流の瀬音が聞える。
温泉に浸かり、国道299号ドライブの汗を流し、さっぱりと爽快である。

「梵の湯」の湯はヌルヌルツルツルする、日本国内最高級の重曹泉である。
その重曹泉の濃度は日本でも屈指であると、効能書にしたためられている。
確かに岐阜県下呂温泉や、静岡県寸又峡の温泉以上にヌルヌルしている。

お昼ごろに日帰り温泉を出て、ママの実家がある小鹿野町長若へ向かった。
秩父神社のある市街地は、東京と同様に焼けるように暑い。
灼熱の午後、行楽シーズンとはいえ、人影が少ない。

市街地を行くと左手に秩父の象徴・武甲山が、蒼穹にくっきりと威容を刻んでいた。
そして武甲山を背にしながら、荒川にかかる巴川橋を渡り、山間の道を上る。
やがてミューズパーク
の前を通過すると、かなりきつい九十九に蛇行する峠道を下ると蕨平のT字路。

左に折れ緩やかな下りの道を進み、小川のせせらぎ沿い行くと、ママの実家が見える。
道端には夏花が鮮やかに、咲き乱れていた。
遠くで蝉の声が賑やかに響く中、4時頃に到着した。
 
実家には既に親戚の人たちが集まっていた。
そして部屋に入り、仏壇にお線香を上げ手を合わせる。
やがてヒグラシの鳴き声が響く頃、山の背に日が落ち、夕靄が立ち込め始めた。
  
そして夕刻の宴が始まった。
主役は流しそうめん。
昼間のこと、小学生の甥が流しそうめんを食べたいと言った。
  
そして流しそうめんの機械を出すが、残念ながら故障していた。
すると実家の義兄は裏山に出かけ、青竹を切りだし半割に裂き、節を抜き即席のそうめん流しを作る。
若竹で組んだ足に青竹を乗せ、そうめんの玉を置き、薬缶から水を流すと、そうめんが流れ落ちた。
 
それをみんなで箸を出して挟む。
童心に帰った大人や子供たちが、真剣に箸でそうめんを摘まんでいた。
私は秩父の地酒・無濾過生原酒1年熟成の秩父錦を飲みながら、テーブルの料理を摘まむ。
 
1年熟成した生原酒は微かに霞み、円やかな酒質は口の中にふくよかに広がる。
大勢の親戚の若者達との愉しい時間。
私の娘に親戚の子供や、実家の人たちと過ごす宵の宴は、夜遅くまで続いた。
翌日は快晴。
照りつける陽光は強烈である。
遠くで鳴く蝉の声が灼熱に響く。
 
テレビでは甲子園で開催されている、高校野球の熱闘が中継されている。
そして昼下がり私の娘たちが東京へ戻るので、西武秩父駅まで送ることにした。
玄関を開けると庭には夏の花々が、鮮やかな色彩で咲き匂っていた。
 
ぎらつく陽光が花びらを、鮮やかに照り返していた。
家を出て山間の道を進み、荒川の清流を越して20分ほどで、西武秩父駅に到着した。
さすがに夏の行楽シーズン、駅は旅人たちで賑わっていた。
 
遠く眺めると秩父の霊峰武甲山が、昼下がりの陽光に照らされ、雄大な威容を空に映していた。
この武甲山を今まで何度見たことであろうか。
雨にけむり雪化粧をし、灼熱の陽光に屹立し、霧にむせぶ姿を見る時々に、色々な情趣を愉しませてくれる。
 
駅の前に車を停め娘たちを見送り、仲見世へぶらりと散歩した。
最近は車で秩父へやって来るので、西武秩父駅へ来ることも滅多にない。
昔は池袋駅からレッドアローに乗り、西武秩父駅で下車し、仲見世を通り抜け、少し離れた秩父鉄道お花畑駅へ乗り換える。
そして三峰口駅方面へ電車は走り、武州日野駅で降りたことを思い出す。
仲見世はたくさんの人で賑わい、土産物屋さんは盛況であった。
やはり商店街が活況を呈していると、世の中が明るく元気に感じられ、見る者を愉しくさせてくれる。

それからママの同級生が40年くらい、小鹿野町市街で経営している、喫茶店「広場」へ出かけた。
お店は広くメニューはお食事からお酒まで、たくさんの品揃えであった。
私は生ビールを飲み、ママはホットコーヒーを飲む。

やがて日は落ち、街灯が灯り始める頃、お店を後にした。
小鹿野町の帳が落ち、辺りは夕闇に包まれる。
昼間の容赦ない日射しは消え去り、夕風が爽やかに渡りゆく。
小鹿野の風情ある町並みを抜け、一路長閑な道を進む。
窓外から草木の匂いを乗せた風が吹きわたる。
暗紫色の空にたくさんの星々が輝き、月が煌々と輝いていた。
幾重にも連なる山並を、山の背に消えた微かな残光が、夜空に浮き上がらせていた。
そしてその夜、花火大会になった。
小さな甥と姪たちは、手に手に花火を持ち外へ。
家の前の路端で、花火に次々と点火された。
夏の夜の花火は、やがて子供たちの愉しい思い出になる。
時折セミの声が響き、行く夏を惜しんでいるようである。
  
山里の夜は深く、花火の音だけが響く。
子供たちの楽しげな声が、静寂の中に谺する。
やがて花火大会も終わり部屋に戻ると、虫除けの金網にカミキリムシがとまっていた。

 
翌日は私たちが秩父に別れを告げる、お盆の送りの日。
近くにあるお墓へ、お参りに出かけた。
お墓のあるお寺へ続く、狭い参道の横に広がる栗林には、青々とした栗が実り、強い日差しに照り輝いていた。

  
お墓は遠く山並を見渡す高台にある。
先祖代々のお墓に花を手向け、お線香を焚き手を合わせた。
今までの無事に感謝し、これからの安寧を祈り瞑目する。
お寺の境内の柿の葉は若緑に輝き、柿の実は青くたわわに稔っていた。
 
今では土地の人たちも、秋の稔りを代表する柿を採ることもない。
かつてはやがて来る秋の果実を、子供たちは楽しみにしていた。
だが物が豊かになった昨今、柿の実は鳥たちに摘ままれるままになっている。
そして参道を進むと百合畑が広がり、純白な百合が微かな風に揺れながら匂い咲いていた。
秩父の夏は花々が咲き誇り、鮮やかな原色が日に煌めき情熱的だ。
その花々に混じり清楚な小菊が控えめに咲き、ネコジャラシが来る秋を知らせているようである。

 
降り注ぐ陽光は相変わらず厳しいが、すでに午後3時半過ぎになっていた。
お世話になった小鹿野の義兄たちに別れを告げ、此処で別れた。
道を進むと民家の生垣からイチジクが実り、秩父の稔りの秋の豊かさを奏でていた。

 
そして小鹿野町長若から、鄙びた道を進み行くと、正面に武甲山の雄姿が姿を見せる。
秩父錦酒蔵資料館「酒つくりの森」を過ぎた辺りから見る武甲山は、荒川の切り立った渓谷を前景にし、私の大好きな眺望である。
だが武甲山は昼下がりの薄靄に霞み、蒼穹に屹立する雄大な姿を見ることは出来なかった。

 
荒川に架かる巴川橋を渡ると秩父市内になり、武甲山を右手に見てさらに暫く進むと、秩父神社に出た。
今年の正月以来になる、秩父神社へお参りをする。
神社の無料の駐車場に車を停め、秩父神社へ行く。

 
さすがに容赦なく照りつける境内に、人気は無く静まり返っていた。
鈍い朱塗りの山門を潜ると、右手に小川が流れていた。
水は澄み陽光に水面が煌めいている。

 
注連縄を巻いた檜の古木が鎮座し、その奥に小さな祠が立っていた。
秩父神社の本殿に続く石畳を進み、参拝を済ませる。
そして右手に回り、左甚五郎作・つなぎの龍を眺める。
  
その龍は人が眠る夜になると、軒端を離れ15番札所小林寺の天池へ飛び立ち暴れたと言う。
そのために社殿から抜け出せないように、鎖で繋ぎとめたと伝わる。
水色も爽やかな青龍は何処か愛嬌があり、秩父神社の東北を守護している。

 
さらに裏手に回るとそこは北辰、北辰の梟が見える。
身体は本殿へ向き、頭は正反対の真北を向いている。
それは昼夜を問わず、祭神を守る瑞鳥をしるしていた。

 
そして本殿の正面に向かい歩くと、神社の軒端に楽しげに遊ぶ、三匹の猿の彫刻が目を引く。
古来からの庚申信仰に因んで彫られた日光東照宮の三猿(さんざる)は、「見ざる・聞かざる・言わざる」。
だが秩父神社の三猿は「よく見・よく聞いて・よく話そう」のユーモア溢れる仕草から、「お元気三猿」と呼ばれる。
 
本殿を一めぐりすると、本殿正面の境内が見渡せた。
その神社の渡り廊下の端に、秩父蒸留所と書かれた、黒と白のコントラストも美しい樽が置かれていた。
2005年に創業した秩父蒸留所も、古より歴史深い秩父の地に、溶け込んでいるようである。

晩夏の秩父神社は訪れる人も少なく、ひとしきりセミの鳴き声が静寂を切り裂いていた。
2泊3日の短い夏休みは終わった。
そして次に秩父を訪れるのは、12月3日の秩父夜祭りの頃であろうか。