埼玉県行田市・古代蓮の里をたずねて
2013年7月7日
  
今日は七夕。
子供たちは青竹に願いを込めて、短冊を飾るであろう。
宵が近づき月が煌々と輝く頃、願いを心に抱いて眠りにつく。

私たちは行田にある、古代蓮の里へ出かけた。
蓮の里へ出かけるのは、4年ぶりくらいになるであろうか?
歳月が経つのは早いものである。


出来るものなら早朝に出かけたいものだが、仕事上早起きが苦手だ。
日が昇るとともに、蓮の大輪は開花する。
我々が到着したのは、陽光が燦々と降り注ぐ、午後2時頃であった。


すでに花々は花弁を閉じていた。
それでも花々の蕾が陽光に照らされ、鮮やかな光彩を放っていた。
駐車場正面の蓮池の花々は、すでに盛期を過ぎたものもある。


そして古代蓮の里の公園へ向かった。
遠くに展望タワーが真っ青な空の色に染まるように聳えている。
公園の入口近くに、行田蓮まつりの幟が、風にはためいていた。

昨日の梅雨明け宣言通り、強い陽光が照りつけ、身体に汗が吹き出してくる。
蓮池の純白と青い空と、地上50メートルの展望タワーが、強いコントラストを見せていた。
そして公園の中へ。

散策道は三々五々の人出で、のんびりとした風情を醸す。
お昼時のかんかん照りに、蓮を見物する人は少ないのであろう。
前を熟年の夫婦が、仲良く並んで歩いてゆく。

木陰の道を少し歩くと、蓮池が遠くに望める。
緑の大きな葉叢が、風にさわさわと揺れていた。
道端には黄色い花が、可憐に咲いていた。

強い日差しに黄色の花が、鮮やかに輝いている。
それにしても強い日差し。
天気予報では35度くらいにはなると伝えていた。

初夏の日差しどころではなく、まさに酷暑の様相である。
降り注ぐ日差しは強く、皮膚がじりじりと焼かれ痛いようだ。
前方に蓮池が一面に広がる。
 
手前に流れる小川は、きらきらと降り注ぐ陽光に煌めいている。
その水面には緑の水草が浮き、木々の影を落とし風情を添えていた。
その向こうの岩に、烏が降り立った。
 
漆黒の身体が陽光を浴び、さらに黒を鮮烈にしていた。
烏の影が灰色の岩にくっきりと映り、日差しの強さを教えてくれる。
烏も直射日光を浴び、何処か切なそうである。
 
そして小川に架かる橋を渡り、蓮池の中を渡り、木道へ進んだ。
池に浮かぶハスの薄緑の大きな葉と、濁って暗い池水との対比が面白い。
池が暗く澱んでいるから、陽光を浴びた葉の薄緑が反射しさらに眩しい。
 
そして強い日差しに耐えながら、薄桃色の花が微風にそよぐ。
朝に咲く蓮の花は、強い日差しは苦手なのであろう。
切なく喘いでいるようだ。
  
遠く望むと展望タワーが、一際鮮やかに青空に映えている。
薄桃色の蓮の花々が咲いているが、すでに見頃は過ぎているのであろう。
大きな蓮の葉の上に、花弁が散り落ちている。

すでに枯れ落ち茎だけとなり、シャワーの目のようになっている蓮もある。
蓮の古名は「はちす」であり、花托の形状が鉢の巣のようなので、その名が付いたと言われるのも頷ける。
その「はちす」が転訛して、「はす」となったと言われる。
  
遡ること約2,000年前の昔、この地帯はたくさんの水生植物が茂る湿地帯であった。
そこには辺り一面に、蓮の花も咲いていた。
今から30年前のこと、ゴミ焼却場建設予定地から、蓮の種子が偶然に出土した。
  
そして長い眠りから醒めた蓮の種子が自然発芽し、池に一斉に多くの蓮が開花した。
約1400年から3000年前の蓮が、偶然にも自然発芽し開花するという、とても珍しい現象であった。
その蓮の花が古代行田蓮として、訪れる人々を楽しませてくれている。
  
蓮の花は清らかで静謐な趣がある。
濁った泥池の中から緑の長い茎を伸ばし、大きな花弁を桃色や白や紫に染めながら匂い咲く。
その清浄無垢な花姿に人々は聖性を感じ、極楽浄土の釈迦の眠る蓮華の花園を、連想したのであろう。
   
仏教ではこの花に仏の智慧や慈悲の心を読みとり、様々な意匠に象徴化している。
現在この蓮池には42種類の花蓮が、約10万株の花を咲かせている。
花は散れども青々とした葉叢が、青々とそよぐ姿は壮観である。
  
花も楽しいが緑の群生も、植物の生命の躍動が伝わり心地よい。
蓮の大きな葉は葉脈を放射状に伸ばして広がる。
その真ん中に朝露なのだろうか、強い陽光に照らされ、レンズのように煌めいていた。
  
蓮池にはすでに蓮の花がこぼれ落ち、蓮の葉の間に見える水面に、蓮葉の影を落としている。
その大きな葉に目をやると、小さな蛙が大きな目をくりくりと動かしていた。
一昔前ならどこにでもあった風景だが、今となっては蛙を見ることは滅多になくなった。
  
初夏とはいえすでに猛暑の陽射しの様相を示す。
遠くに聳える展望台は大空の中、強い陽射しを受け、深い陰影を刻んでいた。
園内を散策する人たちも、さすがの暑さに閉口しているようだ。
  
蓮園は全て炎天下に散策道があり、日陰は池畔の木々の下だけである。
やはり蓮園を訪れるのは、朝の清々しい清澄な空気の下での散策が、正解なのであろう。
園内には日傘姿の人たちも散見する。

この陽気、日傘がとてもよく似合う。
陽光に煌く蓮池に、初夏の薫風が吹き流れる。
大きな蓮の葉がさわさわとそよぎ、葉ずれの音が聞こえるように大きく揺れる。

すると右手に木橋が見える。
橋を渡ると葦が生い茂り、その葉叢の間に小川が見える。
だが水のせせらぎはなく、濁った水が葦の青葉の間に、微かにのぞいていた。

  
渡りきるとそこにも、広い蓮池があった。
蓮池には先ほどと同じように花々が咲き、蓮の葉の緑が眩しかった。
手前の蓮池には水草が浮き、薄緑の水草が泥池とコントラストを描き、美しい模様を紡いでいた。

するとオニバスの標識があり、左手へ進むとオニバスの池があり、大きな蓮の葉が広がっている。
ワニの背中のように、ぼつぼつした突起が、無数に表面を覆っていた。
池そのものはそれほど広くないが、濁って灰黒色の泥池に広がる、緑のオニハスは壮観である。
 
灼熱の陽光に照らされ池面は、ぎらぎらと陽光を照り返す。
その池に陽を受けたオニバスの葉が広がり、何処か異国の趣を見せている。
最大に成長すると、どれほどの大きさになるのであろうか?
  
東伊豆の熱川にあるワニ園のオニバスは、目を見張るほどに巨大だった。
子供がそのオニバスの上に乗れると、説明板に書いてあった。

そしてオニバスの池から少し歩き、ごつごつした飛び石を歩くと、ミズアオイやスイレンの池があった。
 
その小道から池を右手に望むと、池に葦が疎らに茂り、薄紫の水草が浮かぶ。
そして池面には蘆の影が、幻想的な文様を描いていた。
強い陽光が降り注ぎ、池面が灰黒色であるゆえ、その文様が美しく浮き上がる。


すると池の水草の中、きょろきょろと目が動いた。
葦の緑と同じ色の蛙が、水面から僅かに顔を出していた。
その顔は愛嬌があり、蛙を見ると何処か懐かしさを覚え、ほのぼのとした気持ちになる。

 
石畳を渡るとそこには、スイレンやアサザなどの池があった。
そしてスイレンの説明版を読むと、スイレンはwater lillyと書いてあった。
なるほど水の中に咲く百合とは洒落ている。

 
日本には古来から1種類だけ自生し、ヒツジグサ(未草)と言われた。
それは未の刻、午後2事前後に花を咲かせるからに由来する。
その、ヒツジグサの漢名が、スイレンなのであることを後で知った。


さらに一つ良いことを教えてくれた。
それはスイレンと蓮との違いである。
スイレンの種類は100種類くらいあり、スイレンの浮き葉は水面を高く出ることはなく、花は水面に咲くと。

今までなんとなくスイレンと蓮を、どこか混同していたような気がする。
物事の疑問は疑問を感じた時に調べると、正確な知識になることを、再認識させられた。

スイレンの盛りはまだなのであろうか、花は蕾のように固く閉じていた。

そのスイレンの花を見ていると、水面に波紋が広がっている。
きっと小魚が池の中で、泳いでいるのであろう。
波紋は広がり漂うと消え、また新しい波紋が広がり始める。
 
それは池の水面に奏でられる、優雅なフーガのようである。
その池の隣にはアサザや、8月から10月にかけて咲く、ホテイアオイの生息する池があった。
すでに時間は3時を過ぎているが、相変わらず強い陽光が降り注いでいた。
 
そして古代ハスの里を巡り終え、帰路につくことにした。
すると途中にホタルの川の看板があった。
そこは葦が生い茂り僅かに川がのぞき、射し込む陽光を受け、川面が煌めいていた。
 
すでにホタルの季節は終わっている。
6月の頃には日が落ち闇に包まれると、たくさんのホタルが飛び交い、幻想的な世界を繰り広げていたのであろう。
すると遠くから和船の櫓を漕ぐような、鈍い地を這うような鳴き声が響いてくる。
 
それは牛蛙の鳴き声であった。
そして遠くから蝉の鳴き声が聞こえる。
夏はこれから本格化することを、自然界の生き物たちが教えてくれる。
 
さらに池畔を歩いてゆくと
ミズカンナが群生していた。
長く細い頼りない若緑の茎の先に、薄紫の小さな花が咲きほころんでいた。
薄紫の色は高貴な装いを花に与えていた。