板橋演劇鑑賞会第165例会・劇団東演「ハムレット」観劇記
2013年7月5日)


7月2日(火)、板橋演劇鑑賞会第165例会の劇団東演「ハムレット」V・ベリャコーヴィッチ演出を観に、板橋文化会館へ出かけた。
この劇団は私が大学2年の時、演劇教室へ通った経験があり、馴染みもひとしおである。
制作の横川さんは私の1年先輩であり、私の友人の仲間だったので懐かしい。

前回のどん底公演の時も、戯曲の翻訳者である佐藤史郎さんと来店してくれた。
今回は残念ながら来店できなかったが、演劇鑑賞
会の会長・永田佳さんと、ハムレットの翻訳者・佐藤史郎さんが来店してくれた。
さて今回の「ハムレット」について、私なりの感想を記すことに
する。

とにかく舞台がダイナミックで躍動的である。
舞台の上から太くて長いパイプが吊るされ、それがエルシノア城の王宮を暗示し、様々なシーンで諸々の意味を放つ。
時にその円柱が登場人物の心の苦悩を象徴し未来を暗示する。

舞台の役者たちは寸分の隙なく能動的にしなやかに、時には挑発するかのように動く。
演劇史を繙けば、スモスクワ芸術家の演出家・タニスラフスキーの高弟であり、演劇革新運動を展開したメイエルホリド(、1874年 ー 1940年)と言う演出家がいた。
だが残念なことに反芸術的と言う烙印を押され、スターリンに粛清された。

その演劇理論の集大成が、身体訓練法「ビオメハニカ(Biomechanics)」理論である。
社会主義における芸術のテーゼは、エンゲルスが唱えた「典型的な状況における典型的な人間描写」である。
その社会主義リアリズムの、まさに対局にいるのがメイエルホリドであった。

演劇における祝祭性と、大道芸やサーカスに見られる娯楽性である。
まさに今回の「ハムレット」にそれが随所に見られ、演劇の約束事と祝祭性を見事に表現していた。
ウィリアム・シェークスピアの演劇も、当時は娯楽と祝祭を帯びた作品であった。

ハムレットが初演された1600年の初頭にあって、旅館の内廷で芝居は演じられた。
旅籠の2階や3階から、男たちや女たちが、飲み食いしながら観劇した。
舞台のある平土間でも、観客は猥雑に鑑賞したりしていた。

その名残がエプロンステージと言われる張り出しの舞台様式である。
猥雑な人も高貴な人も、全て同じ舞台を鑑賞したのである。
ということは、舞台は絶えず変化し、観客を釘付けにするような魅力と娯楽性と躍動感を求められた。

シェークスピアにおける独白と傍白は、アドリブの世界であったかもしれない。
まさに舞台で演じられる物語は、祝祭的で刺激的で感動的でなければならなった。
そして素晴らしい舞台であったならば、観劇の後にずしりと思い感銘が訪れるのである。

それが後世になり、作品が芸術となり昇華され、歴史的な作品として後世へ伝えられる。
今回の劇団東演「ハムレット」は、1948年公開のローレンス・オリヴィエが製作・ 監督・主演「ハムレット」とはまさに対極にある。
ハムレットの苦悩と煩悶の心象風景を、原作に忠実に描ききった傑作である。

今回の「ハムレット」は王位簒奪した叔父クローディアスへの挑発と挑戦の行動的なハムレットを描く。
それは社会正義と己の名誉のために、気高い勇気の実現のために、ハムレットの心が振幅する。
そして亡霊となって現れた父王との誓いを守り、復讐と王権の復活のために、激しい心の逡巡の後に決行した。

やがて王宮はどす黒い血が流れ、王権に絡む全ての人物は非業の死を迎える。
それは新しい平和の訪れであり、一時の平安な時を迎えていた。
ノルウェー王国の王子・フォーティンブラスが、新しい時代の象徴であるが、いずれまた戦火に塗れる時代が来ることを暗示する。

観客は舞台に釘付けになるとともに、舞台で起こる事件の目撃者でもある。
目撃者は感情移入をすることなく、舞台を楽しむとともに、冷静に判断力を持って観劇しなければならない。
舞台が最高潮に達する瞬間に、迫力に満ちた音響が重低音で響く。

それは観客の理性を覚醒させる、ベルトルト・ブレヒト( 1898年- 1956年)が唱えた異化効果であろう。
久しぶりに観た3時間の芝居は見応えがあった。
役者さんたちの熱演にエールを送る!