群馬県草津白根山から万座温泉への旅
2013年6月30日


6月30日の早朝、草津から白根山へ向かった。
草津を訪れるのは1年ぶりであろうか?
10時頃の草津、ホテルや旅館をチェックアウトした人や旅行者で、すでに賑わいを見せていた。
 
懐かしい草津の市街地を通過し、白根山へ向かった。
国道292号はこのあたりから上りの道となる。
ホテルや旅館の姿が視界から消える頃、上りの傾斜は強くなり、街道筋の緑が美しく映える。
 
天気は快晴とは言えないが、時折薄日が射す陽気であった。
山間の道は益々傾斜を強め、観光バスともすれ違うようになった。
すでにかなりの高度に進み上がり行くと、硫黄の臭いが車窓から流れてきた。

左手には岩肌が焼け、褐色に爛れた荒涼とした世界が開ける。
前には白塗りも美しい観光バスが、青色吐息で進んでゆく。
やがて深い霧が辺りを包み、灰白色の幻想的な世界を現出し始めた。

上空にはゆっくりとロープウェイが、するすると上り下りしている。
それは天空を滑りぬける様である。
さすがにスピードを出せない車は、車間距離も詰まり、渋滞の様相を強める。
 
さらに進むに従い、左手は寂寞とした風景を晒し、岩肌には噴火の痕跡を残す、黒く不気味な岩石が積み上がっている。
すると前方から草津温泉行きの乗り合いバスとすれ違う。
どこから来たのであろうか、乗客は少なかった。
 
すると瞬時霧が晴れ、陽光が弱いながらも射した。
喜んだのも束の間、すぐに深い霧に押し戻された。
すでに標高はかなり高く、天変極まりない山の天気に変わっている。
 
すでに峠は頂上に近い。
さらに上りの道を進むと、霧はさらに深く厚く垂れ込める。
果たして視界は何メートルあるのであろうか?
 
車窓から新緑の山々は視界から消えている。
すれ違う車のヘッドライトが、鈍い光の輪を作り幻想的である。
辺り一面、何も見えない灰白色の朦朧とした世界である。

急峻な坂を上る大型バスのあえぎの声が聞こえる様である。
すると前方からバイクが現れすれ違って行く。
灰白色の霧の朦朧の中を、左手に傾きながらカーブを切り、通り抜ける姿にスリルを感じた。
 
峠の頂上を通り過ぎ下りに差し掛かる頃、すれ違う車の数は増えて行く。
前回この峠道の下りを進んだ時は快晴だった。
遥かに山々が見渡せ、緑も鮮やかであった。
 
そして強い陽光に照り返された山肌が、日向と日影が強い陰影を描いていた。
山肌の日影には根雪が残雪となり、陽光に照り返されて眩しかった。
その雄大な景色は、深い霧により全てが視界から消えていた。

九十九な道を降り、観光バスや車とすれ違うに従い、下りの傾斜も柔らかくなってきた。
やがて朦朧と霞む前方に、白根山と書かれた木の標識が立っていた。
長い霧の道中、視界数メートルを進むことは、やはりストレスが溜まる。
 
人間の神経が普段と異なる状況に、反射的に反応するのであろう。
さらに下るとそこは、白根山の第1駐車場であった。
入口で駐車料金410円を払い、駐車場の中へ進む。
 
そこにはすでに沢山の車が駐車していた。
車のドアを開け外に出ると、硫黄の臭いが漂い流れる。
そして吹きわたる初夏を告げる風が、爽やかで美味しかった。
 
駐車場には薄墨のような霧が流れていた。
だがその霧も、消えたり雲間から陽がさしたりと忙しない。
駐車場へは次から次へと車が到着する。

車から降りた人々は、一様に湯釜への散策道を上って行く。
やがて霧は消え真っ青な空が広がり、白い綿雲が棚引いている。
これから山頂まで、どれ程の道のりなのであろうか?
 
山道を包む木々は若緑に萌えている。
さすがに標高2180メートルの地、木々の背丈は低く、枝ぶりも同じ方向に流れている。
自然環境の厳しさを如実に表していた。
 
上りの道は想像以上に急こう配で、少し進むだけでも息があがる。
途中立ち止まり来た道を振り返ると、散策道を上る人たちの姿が見える。
その彼方に散策道の入り口近くの弓池が、木々の緑を水面に映していた。
 
その左手には駐車場の車が、列をなして並んでいた。
空はさらに青く広がり、吹き寄せる微風が爽やかに流れる。
木々の若葉が陽光に照り返され、葉裏の葉脈が浮きあがり眩しい。
  
やがてクマザサが両脇に生い茂る。
すると緑の葉蔭に、赤と白の可愛い花が咲いていた。
それは高山植物のアカモノであった。
  
白根山は高山植物の宝庫でもある。
さらに進むと白い花弁に黄色い斑点も雅な、サクラソウの仲間のツマトリソウが、楚々として咲いていた。
やはり自然の厳しさなのであろう、地面から僅かな高さに、小さな花を咲かせている。
 
見る者がそっと気配りをしながら、花々の視線に立って眺めない限り、花は姿を見せてくれない。
するとタンポポの綿毛が、ゆらゆらと風にそよいでいた。
そして空は瞬時にして霧が流れ、陽の光が薄れ冷気を増した。
 
山の天気は気まぐれだ。
決して侮ってはいけないことを教えてくれる。
するとまた一瞬にして霧が晴れ、強い日差しが空に戻った。
 
強い日差しが坂道を包む木々の緑を際立たせる。
やがてクマザサに覆われる斜面を眺めながら遠く望むと、赤茶けた山肌が霧に咽び、山頂が近いことを教えてくれた。
すると近くで老齢の男性の声がした。
 
「ほらそこに赤い花が咲いているでしょ! イワカガミって言う花です。とても珍しい高山植物なんですよ」
その声の方を見ると、花弁の先がぎざぎざな薄紅色の花が咲いていた。
さらに石畳の坂道を上ると左手に、石造りの避難小屋があった。
 
山頂から下り降りる人たちは、一仕事終えた様で、清々しい笑顔を見せている。
山道脇には赤茶けた石が姿を見せ始める。
山頂は後わずかなようである。
 
路傍の木々は風雪の厳しさを教えるように折れ曲がり、竜のように地面すれすれに這っている。
そして遠く眺めると、赤茶けた山肌の向こうに山頂が見えた。
すでにこの辺りは火口に近く、硫黄がスが充満している所もあるのであろうか?
 
朱色の大きな文字で、立ち入り禁止と書かれた看板が立っていた。
そして遥か彼方を見降ろすと、九十九に続く道が霞んでいる。
さらに上り進むと深い霧が覆い、凸凹した傾斜も強くなる道を上ると、山頂に辿りついた。

山頂には上信越国立公園草津白根山火口展望台と標す看板が立っていた。
そこには標高2180メートルと記されていた。
その看板は右手に傾き、冬季の厳寒と風雪の厳しさを物語っているようである。

晴れているならば、遠くに湯釜がエメラルド色の湖水を湛えているであろう。
だが今は薄い灰白色の霧が流れ、視界が遮られていた。
せっかくの登頂だが、湯釜を見る事の出来ない人たちが、立て看板の前で記念写真を撮っている。

山頂から眺められるのは、ざらざらと赤茶けて荒涼たる景色だけである。
山頂はかつての噴火を示す岩石や石が、至る所に転がっている。
その赤錆びた岩肌に野草が伸び、自然の生命力に目を見張る。
 
そして遠くを眺めやり、見えない湯釜に別れを告げて立ち去る人たち。
だが諦めきれない人たちは、展望台の先のロープ際で、湯釜の方向を眺めていた。
すると歓声が上がった!
 
霧が突然切れ始め、湯釜が顔を現し始めた。
見る見る内に霧は晴れ青空が広がり、乳白色に滲む翠の湖水が陽光に輝く。
さらに空は晴朗となり、湯釜が明瞭に姿を見せる。
 
予期しなかった湯釜の出現に、展望台の人たちはカメラのシャッターを次々に切る。
そしてこの偶然に感激するとともに、改めて山の天気の気まぐれに驚かされた。
するとまた霧がむくむくと湧き立ち、湯釜を視界から消してゆく。
 
僅かな湯釜の出現に、歓喜したのも束の間であった。
そして湯釜は完全に視界から消えた。
だが諦めきれず湯釜の方向を望んでいると、また霧が消え始め、薄日が射し始めた。

すると期待通りに湯釜が再出現した。
その時、オーッ! と歓声が上がった。
雄大な自然と山の天気が織りなす、壮大なドラマが繰り広げられた。
 
山の天気は千変万化。
夏山であっても登山をすると時は、山を侮らず装備だけは完全にすることの必要性を感じた。
例え観光地であっても、これだけのめまぐるしい天候の変化がある。

そんなことを感じながら、待望の湯釜を見たことの満足を感じながら、山を下ることにした。
湯釜へ上る人や下る人たちで、展望台は賑やかである。
そして来た道を下ると右手の緑の木々の間に、ナナカマドが白い花を咲かせていた。
 
楚々として奥ゆかしい白い花は、秋になると真っ赤な実に変化するから不思議である。
その見事な紅色が、山々へ秋の訪れを告げる。
遠く目をやれば空は澄み渡り、夏色の青さが広がり、綿雲が陽光に輝いていた。

帰りの道はのんびりと、辺りの景色を眺めながら下れるのが嬉しい。
時折吹き渡る風は爽やかで心地よい。
大きく吸い込むと清涼な山の冷気がとても美味しい。
 
すると木々に隠れるように、白い可憐な花が咲いていた。
この花は珍しい高山植物のマイズルソウ。
漢字で書くと舞鶴草。
 
白鶴が大空を舞い飛ぶような、その花の姿が似ているからの命名なのであろう。
さらに下り降りるとクマザサの群生が広がる。
そのクマザサの中に、這松が地を這うように伸びていた。
 
厳しい自然環境に晒されながら生きる松は、天空を目指して上に伸びながら成長することはできない。
厳しい降雪と一年中吹き荒れる烈風に煽られる松は、地上に這うようにしか生きるすべはない。
その這う姿から「這松」と名付けられるのであろう。
 
鋭い剣の形をした緑の葉に包まれた、紅色の実は雄花の蕾。
辺一面の緑の中で、紅一点の美しさを輝かす。
高山植物は平地に比べ、花々は控えめで色彩の鮮やかさには欠ける。
 
だが小振りの花々は、厳しい自然に負けない、生命力の強さを教えてくれる。
どんな自然の厳しい条件の中でも、生きることの可能性を、楚々と咲く花が示している。
途中、見晴らしの良いところにハイカーが談笑していた。
 
軽装だが山歩きの装備をしているので、見るものを安心させてくれる。
路傍にたんぽぽが黄色も鮮やかに、陽光を浴びて美しく咲いていた。
高山植物の花々には白い花が多く、黄色の花は一際光彩を放つ。

見るとその花に薄茶色の蜜蜂がとまり、無心に口元を動かしていた。
そしてさらに下ると眺望の良い小さな広場があり眼下を望む。
遠くの山々は若緑に萌え、初夏の匂いを乗せて微風がそよぎ来る。
 
するとママが青緑の茎を持ってきて私に手渡した。
私はスカンポ? と訊いてみた。
その通りであった。

だいぶ昔のこと、ママの実家の裏山へ行き、ママの叔父さんに教えてもらったことがある。
その時以来のスカンポである。
確か秩父ではシーカンポと言っていたのを思い出す。

茎を折り噛むと、少し青臭くそして薄い酸味が口に広がる。
やはり高度のせいなのか、秩父のスカンポに比べ、酢味の中に甘さが弱い気がした。
やがて下りの道は整備された石畳に変わり、幾分なだらかな傾斜になる。
  
彼方の駐車場もかなり大きく見えるようになって来た。
相変わらず山頂を目指す人たちが、山道の小路を上ってくる。
すれ違う会話も楽しそうだ。
 
「山頂はもうすぐだよ、あと一息!」などを聞くと、「まだまだ」と一言したくなる。
想像以上に山頂までは、きつい行程であった。
もうすぐ駐車場まで辿り着ける。
 
目まぐるしく変化する山の気候であったが、雨が降ることもなく、強風に晒されることもなく、無事に下山できそうだ。
そして天気は快晴に恵まれ、路傍に咲く花々も愉しませて貰った。
すると道端にに純白の小さな花が、陽を浴びて輝いていた。
 
その花は私たちに、お別れを告げているようであった。
さらに下るとそこは駐車場であり、車が次々と訪れていた。
すでに正午を過ぎていた。

私たちは展望レストランで休憩し、昼食を摂る事にした。
湯釜への上り下りの道程は、思いのほか厳しかった。
展望レストランへ入り階段を上り、2階のベランダに座り昼食を摂る。
 
身体にはうっすらと汗が滲み、彼方から吹き寄せる風が爽やかだ。
今日一日の行程はこれで終わった。
これから目的地の万座へ行き、万座の乳白色の湯で、旅の疲れを癒すことにする。