埼玉県染谷菖蒲園を訪ねて
(埼玉県さいたま市見沼区染谷2−248)
2013年6月23日

 
曇天の日曜日、午後1時過ぎに家を出て外環から東北道へ。
浦和ICから県道105号を進みしばらく行くと、目的地
染谷菖蒲園へ到着した。
武蔵野の面影を残す雑木林の中に駐車場があった。
 
関東ローム層の赤土が剥き出した簡易駐車場である。
人懐こそうなご老人へ駐車料金の300円を払い、染谷菖蒲園の正門へ。
途中、道端にアジサイが薄紫の花を咲かせていた。

 
すると道端に入園料の表示板があり、飾り気のない手書きで微笑ましかった。
さらに50メートルほど行くと、染谷菖蒲園の正門に到着した。
入口で500円の入園券を払い中へ。

 
雑木林の若緑の先に庭園が広がる。
右手には和風の建物が、ひっそりと佇んでいた。
なだらかな階段を下ると、前方に菖蒲園が広がっていた。

 
空には時折陽がさし、庭園に華やぎを与えている。
すでに見頃は過ぎているのであろう。
想像していたほどに、菖蒲は咲いていなかった。

 
散策道を進むにつれ、色とりどりの菖蒲が咲いている。
菖蒲の花は日本の初夏の風物詩であろう。
尾形光琳を始め酒井抱一など、琳派の画家が好んで描いた。

 
菖蒲田の彼方中央に、見晴らし台が見える。
そこでは楽しそうに写真のシャッターを切る人たちが見える。
菖蒲の花はすでに枯れ落ち、菖蒲の剣のように伸びる葉の若緑が眩い。

  
庭園の広さは8000uあり、さいたま市の東側に位置するこの地は、作物や植物が育たない低湿地帯であったそうである。
今のような雨期にもなれば、沼のような光景が広がり、冬には陽が届かず土地が凍結していた。
この不毛の湿地帯を如何に有効活用するか、土地所有社のご主人は考えた。
 
そして様々の紆余曲折の腐心の末思いついたのが、菖蒲園であったそうである。
それから2年の間、土地を整備し、各地の菖蒲園を廻り研究し、昭和58年に開園にこぎつけた。
その努力が実り今では様々な菖蒲が、300種類の花々を咲かせている。
 
菖蒲を愉しみながら散策すると、時折、アジサイの花々が恥ずかしげに顔を出す。
菖蒲の季節は過ぎ去り、梅雨空に匂うアジサイの季節を迎えている。
アジサイはけっして華やかな花でなく、日影や木陰が似合う。

  
その大輪の花は控えめで、けっして己を主張しない。
粛々として咲きながら、静寂のなかに楚々と咲く。
それは日本女性の母性を感じさせる。

  
庭園の菖蒲は様々な色に匂い咲き、それぞれの花に銘が刻まれていた。
時折吹き渡る風に、ゆらゆらと揺れる姿も優雅である。
薄紫に咲く花は高貴な響きに満ちていた。

  
すでに見頃を過ぎて花が散り、残された茎が薄緑の楕円形の塊となっていた。
花の盛期は先週までのようであり、園内の人出は少なく、そぞろに散策できるのが良い。
のんびりと昼下がりの陽光を愉しみながら、気ままに立ち止まり、好きなところで写真のシャッターを切ることができるのが嬉しい。

   
花の命は短く儚い。
だがその散り際の寂しさと、名残の花にもまた風情がある。
そして人間が愛情を持って手入れをして育てると、それに応えるように美しい花を咲かせてくれる。

   
日本の四季は様々な花が、その季節を鮮やかに教えてくれる。
昔は普通に野に咲く花々も、今となっては人が大切に育てなければ、花を咲かせることもできない。
四季に咲く花を愛でることは、季節の訪れを愉しむことでもある。

  
この地は昔から染谷と人々に呼ばれていた。
一説によれば染屋の職人が住んでいたことに、由来するとも言い伝わる。
だがもう一つのロマン漂う言い伝えがある。
  
その昔この地に大変に美しい娘が住んでいた。
その娘をたくさんの若者たちが見初めたので、この低湿地の谷間を「見初ヶ谷」と言うようになった。
そしてそれが何時の日か、音が同じ「染谷」に変わったと伝えられるとか。

染め色の藍色や紫に染まる谷の方が雅趣がある。
さらに若者たちの恋物語の恋情が、菖蒲にはなおさら相応しい。
空は未だどんよりと重たいが、どうやら雨が降るほどに垂れこめていない。

白く咲くアジサイの彼方の東屋が、日本庭園に風雅を添える。
木道をさらに進むと、緑も濃い雑木林を背景にして八つ橋が見える。
園内の人影も入園した時に比べると疎らになって来た。

そしてさらに散策道を進み階段を上ると、そこは踊り場のような見晴台であった。
眼下を見下ろすとそこには、菖蒲の花が忘れられたように咲いていた。
遠くを眺めやると先ほど歩いて来た道のりに、アジサイや菖蒲が微かに振り落ちる薄日に照らされていた。

日本庭園の風情を醸すため、全ての建築物は天然の木を使い、金属やコンクリートを避けている。
雨風に晒された木の橋や欄干に、木道の木目や年輪が美しい文様を描いていた。
そして八つ橋から下を見下ろすと、灰色に濁った池の水面に、鈍い緑色の藻が浮いていた。
園内巡りの1時間が、ゆっくりと過ぎてゆく。
人影はさらに少なくなり、園内は閑散としてきた。
遠く眺めると入口近くの見晴らしの東屋は人気なく、緑の木々の陰となり陰影を深くしていた。
そして先程下った階段を上り振り返り見ると、見晴台ですれ違ったご老人がまだ写真を撮っていた。
階段脇にはアジサイの花が、私たちに別れを惜しむように咲いていた。
階段を上りきり右手を見ると、庭園の一角に佇む茶室が、静寂を湛えていた。
 
書院造の茶室の枝折り戸を開け中へ入る。
路地に敷いた飛び石を踏みしめ進むと、右手に背の低い蹲踞があった。
茶室の
にじり口は開け放たれ、茶室の中が望まれる。
 
その解放された障子戸の奥に、若緑が鮮やかに萌えていた。
昔ながらの日本家屋に触れると、かつての懐かしい日本を思い出させてくれ心が和む。
都会から木造家屋が、急速に姿を消しているせいであろうか。

 
そして茶室を後にして出口へ向かう。
若緑も鮮やかな木陰越しに、遠く庭園を眺め渡すと、庭園を散策する人が僅かに見える。
そして土産物屋さんの前の緋毛氈の縁台に、ぽつり茶釜が寂しげに置かれていた。