加須市浮野菖蒲園(浮野の里・多門寺・北篠崎地内)を訪ねて
2013年6月17日

朝起きると天気は愚図ついた雨模様。
昼下がり東北道を北上し加須ICで降りしばらく進むと目的地・浮野の里に到着した。
幸いにも雨は上がり弱い日差しさえ降り注ぐ。

指示の看板に従い狭い農道のような道を進むと駐車場に出る。
砂利敷きの駐車場は無料だった。
車を置き早速、花菖蒲園へ行く。

川沿いの道を歩くと程ない距離に入口があり小さなポスターが貼ってあった。
葦が生い茂る川に流れはなく泥水の様である。
その川に懸かるうきや橋を渡ると広場になり、右手には幾軒かの露店も出ていた。

正面の彼方にクヌギ林に囲まれた小道が伸びている。
すると田堀を巡る遊覧船、田舟の乗船場があった。
そこで乗船券を200円で購入し乗船を待つ。

戻りくる田舟を待つ女船頭さんと、水色に赤の祭りの時が浮き出る半纏を着る船頭さん。
菅笠に紺色の絣に橙色の帯。
赤い襦袢に水色の前掛けも可愛い女船頭さん。

6月9日(日)〜16日(日)に開催された「あやめ祭り」名物、今週と先週の日曜だけのだの特別出演。
日曜以外は人生を刻む熟年親爺が船頭を務める。
前に広がる田堀の水面に木々や葦草の影を映していた。

やがて昔ながらの和船が船着き場に到着した。
小さな舟に私たちを含めて6人の男女が乗船した。
舟はゆっくりと田堀を進んでゆく。

空はすでに晴れ渡り、木漏れ日が水面に降り注ぐ。
木々の若緑が爽やかな輝きを見せる。
元々が低湿地帯の土地柄、土を堀り上げて水田を開発し、その時出来た名残が田掘りだそうである。

やがて正面に人影が見える。
今日の花形の女船頭さんが到着するのを眺めている。
そして乗り合いの船は舵を右に切り進む。

すると舟を待ち構え年配の男性が、カメラのシャッターを切っている。
そのカメラワークはプロのように決まっていた。
そして田堀の左手には、アヤメが色とりどりに咲いていた。

遠くを望むと湿原に伸びる木道の上でこちらの乗合船を眺める人たち。
舟縁から田堀の水面を見ると、葦の影が映り船は細かい波紋を描いていた。
田堀の散策道を支える丸太が堀から顔を出し年輪が美しく刻まれていた。


やがて船は終点の船着場に到着した。
乗船時間はおよそ5分くらいの短い船旅であった。
滅多に味わうことのない和船の乗り心地は情趣に溢れていた。

船溜りで船を降りると右手には足が生い茂る湿原が広がる。
先程の船着場を見ると次の船の到着を待つ女船頭さんがにこりと笑顔をこぼした。
きっと田堀は狭いので、船が田堀の中で交差することができないのであろう。


地元のボランティアの船頭さんも竹沢を持ち、船着き場でのんびりと待ち姿も風情がある。
船着き場の彼方、田堀の向こうに木道を散策する人たちが見える。
麗らかな初夏の風が爽やかに流れ来る。

そしてアヤメ園に続く散策道を歩いて行く。
道の両側にアヤメが疎らに咲いていた。
アヤメ園は想像したよりか栽培面積が狭かった。

係り員の人と話すとまだまだ発展途上なのだそうだ。
加須市北篠崎及び多門寺の両地区に広がら125ヘクタールに及ぶこの一帯は、
平成7年に全国「水の郷百選」に認定され、平成19年度には埼玉県より「緑のトラスト保全第10号地」に指定さている。


朝降る雨に濡れたアヤメのは花々は陽光を浴びて瑞々しい色彩を放つ。
優雅で楚々として高貴な輝きに満ちている。
梅雨時に咲におう花々は初夏の訪れを知らせてくれる。


田堀の水路の水は土色に淀み、水辺には葦が生い茂る。
そして用水路に回昔懐かしい水車が田堀に姿を見せる。
水車の姿は日本の農村風景を彷彿とさせる。

すると彼方より乗合船の舵を取る女船頭さんの姿が見える。
そのさまはぎこちなく少しはにかんだような笑顔が可愛い。

だんだんとこちらの岸辺に近づき、やがて左手に折れて進む。

この地帯は広い湿原であり、稲の刈り取り時期には、刈り取った稲の運搬に利用される。
そして度々の洪水時には様々な生活用品の運搬に利用され、人々の避難のためにも活用された。
まさにこの地区一帯の生命線でもあったのである。


乗船している家族連れの人たちもにこやかな笑顔を浮かべて、船上からの景色を楽しんでいる。
川面から僅かに浮き出た船から見る風景は、陸から望む風景と異なり新鮮である。
ツーリングカヌーのスペシャリストの野田智祐氏が語る、川からの眺めはまた格別である。


やがて田堀を曲がり終点へ向かう船頭さんたちの後ろ姿を見送る。
岸辺には葦原の若緑が陽光に映え、水面に逆さ絵の影を落としていた。
そして和船を見送った後散策道を進むと、クヌギ林の堤へ行く木の階段を上る。

階段を上り終えるとクヌギ並木が長く木漏れ日を落とながら続いていた。
そして路傍の長椅子に座り一休みの休憩をした。
階段から散策道へ降りる老人が難儀そうである。


その向こうにアヤメ園を見渡す散策道を、熟年の男女が歩いてゆく。
クヌギ並木を楽しげにウォーキングする人たちが元気に行き交う。
初夏の木々の若緑が降り注ぐ陽光に照り帰り、吹き寄せる微風にそよぎながら葉ずれの音が聞こえそうである。


この堤について明治20年の「多門寺村誌」に史実が記された。
天明天明3年(1783年)のに浅間山が大噴火した。
その時この地に大量の火山灰が降り川の底を埋め川底が浅くなった。

その結果洪水が度々引き起こされた。
その結果、洪水を防ぐために堤を造りクヌギやコナラを植え洪水を防いだ。
さらに植えられた木々が成長すると、木々は切り倒され薪や炭となり貴重な燃料となったのである

堤から川岸を見下ろすと紫陽花が薄紫色で楚々と咲いている。
さらに進むと木々の合間から澱んだ川面が昼下がりの陽光に照り輝いている。
そして岸辺には葦が生い茂り、若緑の剣のように伸びる葉の上の雨露がダイヤモンドのように輝いていた。


さらに歩き進み見晴らしの良い堤に出たとき、私たちが乗船した船着場へ変える船が、のんびりと滑るように進みゆく。
川面が降り注ぐ陽光に照り返され木々の緑を移し、乗船客の服の色を反射させながら七色に染まっている。
やがて船は木々の影になり姿を消した。


すると彼方より娘船頭さんだけを乗せた船が、鏡面のように静かな堀にかすかな漣を造りながら進んできた。
そして川辺でシャッターチャンスを待つカメラの放列へ進んで行く。
今日でアヤメ祭りも終わり、娘船頭さんの最後のご奉仕なのであろう。


そして娘船頭さんの後ろ姿を見送り乗船場へ辿り着く。
すでに人影はなく、先程の露天も全てとりはらわていた。