埼玉県鴻巣市・ポピーまつりを訪ねて
2013年5月26日

2年前になるであろうか? 鴻巣市のポピー畑を訪ねたのは・・・・・・。
荒川の河川敷に咲き乱れるポピー畑のはずが、見渡す限り小麦の若緑が広がっていた。
道端を見ると所々に忘れられたようで、寂しげなポピーの花が、微かにそよぐ風に揺れていた。

そこへ車が通りかかり、ポピー畑のことを尋ねた。
すると答えは、小麦の高騰のため、ポピー畑が小麦畑に変わったとのことだった。
今年はそんなことがないように、鴻巣市に電話を入れて確かめた。

さすが鴻巣市、花かおり課があり、鴻巣市の花情報を伝えてくれた。
運良くポピーは満開で、25日と26日はポピーまつりであるとのこと。
天気晴朗、お昼過ぎに家を出て、鴻巣市へ向かった。

高速を行くほどの距離ではなく、下の道をのんびりと行く。
中山道の下り道は意外に空いていた。
そして県道27号へ出て進むと目的地へ着いた。

そこは川幅日本一に認定された河川敷、荒川に架かる御成橋の下に広がっている。
鴻巣市と吉見町の間を流れる荒川の川幅は約2,537メートル。
普段の川幅は30メートル程と狭いのだが、国土交通省は河川敷を含めた両岸の堤防間を川幅と定義している。
 
そこで平成20年2月に、国土交通省荒川上流河川事務所は、川幅を正確に調査した。
その結果、吉野川(徳島県)の最長川幅2380メートルを、157メートル上回り、晴れて日本一となった。
長い橋を渡り切り、河川敷への狭い道を降りて行くと、前方にポピー畑が洋々と広がっていた。

すでに駐車場にはたくさんの車が停まっていた。
係員の誘導に従い駐車場へ進み車を駐車した。
入園料もなければ駐車場代もなしとは嬉しい。
 
車を降りて外に出ると、遠くから初夏の生暖かい風が吹き渡る。
見渡す限りのポピー畑が、五色に染まっていた。
畑に咲くポピーの花が、吹き寄せる風に、ふらふらと優雅に揺れる様が愛くるしい。

道端に立てかけられた看板を見ると、ポピーを摘み取ることのできる場所もあるらしい。
さすがに花の町を目指す鴻巣は太っ腹だ!
燦々と陽光が降り注ぐ蒼穹は、どこまでも蒼く晴れ渡る。
 
すると1機の飛行機が、大鷲のように大空を旋回していた。
するとまた1機が空を舞い、彼方へ飛び去って行った。
この近くには東京フライングクラブ飛行場がある。

きっとそこから飛び立ち、昼下がりの飛行を楽しんでいるのであろう。
道端に葦などの夏草が生い茂り、ここが川端であることを教えてくれる。
そして葦や小笹の若緑が、初夏の陽光に輝きながら、微風にそよいでいた。
 
幾重にも連なるポピー畑は、色とりどりの絨毯になり広がる。
その彼方、真一文字に渡された綱に、色鮮やかな鯉幟が、風になびきながら泳いでいた。
初夏の陽光とポピーの華やぎと鯉幟、初夏の訪れを楽しませてくれる。

ポピー畑には大勢の人達の姿が、のんびりと和やかな風情を添える。
所々に小麦畑も現れる。
若緑に輝く麦穂が、初夏の陽光を浴びて輝いていた。
 

空高く雲雀が鳴き、空一面をさらに清澄にしていた。
子供のころ、私が育った世田谷にもたくさんの畑があり、雲雀の声は初夏を告げていた。
雲雀の声を聞くと今でも、遠い昔を思い出させてくれる。

赤に白に薄桃色や橙色にポピーの花が咲き、四つの大きな花弁が風に揺れる。
薄緑の長い茎が支えるには、ポピーの花びらは大きすぎるのであろう。
その不自然な形状が風に吹かれ、艶かしくも愛嬌がある

ところにより未だ満開ではなく、薄緑の蕾のまま咲き頃を待っている花もある。
散策道を進むと、橙色も眩しいポピーの花園があった。
その花園の狭い散策道を進み、花園に包まれながら写真を収める人達。
 
燦々と降り注ぐ陽光に照らされ、目にも鮮やかな光景だ。
初夏の昼下がりのポピー畑は、光と色彩に満ちている。
歩き疲れた幼子を抱っこするお父さん、子供の頭上に日傘をさしながら歩くお母さんの姿が微笑ましい。
 
振り返り遠くへ目を移すと、ポピー畑の彼方に御成橋が見え、車が行き交う。
そしてその手前に、人力車が2台並んでいた。
ポピー畑の面積は約125,000平方メートルあり、1000万本のポピーが開花し始めている。

かつてはこの河川敷に不法投棄が絶えず、その防止のためにポピーが植えられた。
今では「花のまちこうのす」を象徴する、花の名所へと変貌した。
そして県外からも多くの人達が、ポピーの花々を見にこの地を訪れる。
 
4弁花のポピーは雛罌粟とも虞美人草とも呼ばれる。
その朱色の鮮やかな花は、辺りを匂い染める
遠く中国の伝説によれば、秦末の武将・項羽(紀元前232年ー紀元前202年 )に絶世の美女、虞と言う愛妾がいた。
やがて楚漢戦争が勃発し、項羽は劉邦に追い詰められ、垓下で劉邦に包囲された。

西楚の覇王・項羽は己の死を覚悟し、虞美人に贈った垓下 の歌に合わせて舞い、その後垓下を脱出する。
その時、項羽の足でまといになるまいとの思いから、虞美人は自害した。
やがて項羽の死とともに、楚漢戦争が劉邦の勝利で終結した。
そして翌年の夏、虞美人を葬った墓には、真紅も艶やかな花が、咲き乱れたという伝説がある。

空気澄み渡る季節になると、この地から眺める富士山は、富士見百景にも選定されるほどに美しいと言う。
麗らかな初夏の陽を浴び、そよぐ風に誘われながらの歩みは愉しい。
遠く眺めると陽気に温められた空気は霞み、遠くなだらかな小山が朦朧としている。

その前を色とりどりの鯉幟が、先ほどよりはさらに大きく見え、初夏の薫風にそよぐ音が聞こえるようである。
するとポピーの花々に包まれた道を、先程の人力車が走り抜ける。
遠くに鯉幟が泳ぎ、ポピーの花咲く道を走り抜ける姿は、日本人の郷愁を誘う。

空を見上げると黒い影となって、1機の飛行機が大空を優雅に旋回していた。
相変わらず雲雀の鳴き声が、空から降るように響いていた。
さらに散策道を進むと灌漑用水があり、架かる橋から水溜りを眺めると、木々の影が紺青の水面に映っていた。

 
初夏の陽射しは弱まるどころかさらに光り輝いていた。
すると散策道を黒い半被にダボシャツと、白い半股引き姿の車夫が、掛け声をかけながら通り過ぎていく。
今は観光地に行くとどこにでも、 名入れ提灯をぶら下げた人力車が走る。
 
乗客は少し照れ顔で楽しそうだ。
人々は日本の古き時代のノスタルジーを、おおいに楽しんでいるのであろう。
行き過ぎる人力車の影が、路面に長く伸びていた。

そしてポピー畑を一周する辺り、橙色も鮮やかなポピー畑が一面に広がる。
陽光を浴びて黄色混じりの橙色が、風にそよぎ煌びやかに匂い立つ。
そして少し歩くと露天の立ち並ぶ広場へ出た。

広大なポピー畑を散策し終えた人たちの顔は、どの顔も優しい笑顔に溢れている。
椅子に座りビールを飲む人や、揚げたての唐揚げを食べる人たち。
皆の顔に満足感が滲んでいた。

燦々と降り注ぐ陽光を浴びながら、一休みして帰路に着いた。
途中にシャレーポピー(六色混合)の畑があったが、残念ながら青色のポピーは咲いていなかった。
バラでもそうだが、青い花は希少価値なのであろうか?

駐車場へ向かう道端に、小麦の若穂が陽光に照り返され、穂先が針のように鋭く伸びている。
秋に種を撒き冬を越し、暖かな春が来ると発芽し花を咲かせる。
そして初夏とともに若緑も鮮やかに発育し、暑い夏に収穫される。

 
さらに進むと小笹が生い茂り、陽光に葉裏を透かしながら、若緑も鮮やかに輝いていた。
辺りは一面、初夏の彩で匂いたっていた。
やがて雑木林に向かう迂回路があり進むと、蝶々が微風に泳ぐように飛んできた。

そして若緑の小笹の葉にとまった。
白い羽に黒縞の粋な文様を浮き立たせながら、ゆっくりと羽ばたいていた。

すでに時間は午後4時になる。
 
初夏の日は長く日差しも強い。
前方に夏草も茂る雑木林が見える。
木々には緑濃い蔓草が巻き付き、昼下がりの陽光に照らされ、陰影を深くしていた。

 
所々に木漏れ日が差し込み、光の海を現出していた。
やがて梅雨を迎え、そして真夏が到来するであろう。
今年の夏は猛暑の予報だが、せめて烈夏は避けてもらいたいものだ。