彼岸過ぎ、熱海城を訪ねて
2013年3月24日

前日の天気予報は曇りの予想だった。
やはり早朝は曇り模様、東名足柄SAから、厚い雲と朝霧で富士山は望めなかった。
御殿場から県道を抜け、芦ノ湖スカイラインを行く。

晴れていれば左手の彼方下方に芦ノ湖が見え、振り返ると裾野を広げた富士山が大きく広がる。
だがスカイラインを上り進むほどに霧が深くなる。
視界10メートル程であろうか、のろのろと濃霧の中を進む。

行き交う車は皆無の道、十国峠に差し掛かる頃、霧は切れ始めて来た。
さらに下り進むとMOA美術館の標識が見えた。
左に折れて進む程に、蛇行し狭くなる道を上りゆくと、美術館に着いた。
 
美術館の開館には1時間以上あったので、今回は諦め再訪することにした。
美術館の駐車場へ車を停め、遠く熱海を眺める。
彼方には熱海のB級スポット、熱海城が見える。
 
標高100メートルの錦ヶ浦の山頂に、朧に霞んでいる。
すると曇り空に光が広がり、瞬く間に強い陽光が空を染めた。
駐車場の端に咲く桜の花々が、朝日を浴びて薄紅に輝き始めた。
 
桜の花はまだ蕾を抱いて、7分咲きであろうか。
どうやら今日は予報に反して、晴天に恵まれそうだ。
麗らかな陽気に誘われて、桜の花は一気に開花して、満開になるであろう。

伊豆や熱海には晩秋から春にかけて度々訪れる。
夏場は甲信越へ旅をして、山霊と森韻を愉しみ温泉に浸かる。
熱海や伊豆は気候が温暖で山並は小高く、海の幸に恵まれている。

そして温暖な土地柄のせいか、出会う人たちの性格も優しい。
海は碧く輝き空は高く澄み渡り、まさに風光明媚である。
天気は快晴、海は燦き静浪だ。

美術館を後にして熱海へ下った。
そして程なくして熱海の市街地へ出た。
昔ながらの観光地、熱海の市街地の道は狭く、街道沿いに店や旅館などが犇めく。

かつては新婚旅行のメッカだが、寂れた昨今といえども、さすがに熱海、早朝でもすでに観光客が溢れていた。
上り下りの蛇行した道を抜けて、貫一お宮の銅像の建つ海岸沿いの公園を見ながら進む。
尾崎紅葉が1897年(明治30年)1月1日から 1902年5月11日まで、読売新聞で連載した未完の長編小説の舞台になった熱海の海岸。

将来を誓った貫一とお宮(貫一はみーさんと呼ぶ)だが、宮は貫一のもとを去り、銀行家の御曹司・富山唯継もとへ嫁ぐことになる。
宮と母は熱海で結婚の前の水入らずの時を過ごす。
そこへ宮の父親から宮の結婚を知らされた貫一が、宮の真意をただすために、東京から熱海へやって来た。

そして貫一は熱海の海岸へ宮を誘い、宮の本心を尋ねる。
宮の父親から知らされたことは真実であり、宮は富山唯継のもとへ嫁ぐことを伝える。
貫一はすがる宮を足蹴にして、宮へあの有名な台詞を吐く。

「 いいか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、
月が・・・・・・月が・・・・・・月が・・・・・・曇ったらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ。」
そして貫一は海岸から砂浜を駆け上がり、月明かり降る林の闇の中へ消えた。
だがこれから小説は大きくうねりながら展開する。

一高を中退した貫一は、世間からクリームと蔑まれる高利貸しに身をやつし、やがて大金持ちになった。
それは金満家の浅薄な富山唯継と宮への復讐であった。
だが金持ちとなった貫一には、心の平安と安らぎや生きることの喜びと、心の充足が訪れることはない。

宮も貫一を裏切った責め苦と後悔に、毎日心を痛め悩み苦しむ。
いまだ貫一への思いを抱き続ける宮と、宮を憎み続ける貫一。
2度の再会もお互いを苦しめ傷つけるだけであった。

そしてさらに物語は続くが、尾崎紅葉の病状も進み未完となった。
その後、悔悛と人間の優しさに目覚める貫一が、どのように成長するか読みたかったのだが。
明治時代の有名な小説は、芝居や映画になり、国語の教科書にも登場するので、何とはなしに知っているような気持ちになる。

だが読んでみると、イメージしたものとは大きくかけ離れていることが多い。
最近は明治時代の有名な小説を読むことが多い。
すると日本人の美意識や社会制度、男女の心の機微も知ることができ、なおかつ江戸時代から流れる文体のリズムも愉しい。
  
貫一お宮の像の前を通り過ぎ、左手に相模灘を望み、海岸沿いに立ち並ぶホテル群の前を進む。
初島や大島へ発着する桟橋を左手に見ながら、国道135号を進み、トンネルを抜け左手に折れ上ると熱海城に到着した。
第1駐車場はすでに満杯で、さらに道を上ると熱海城入口近くに駐車場があり、500円払い車を停めた。
 
熱海城は桜の名所で、昨日から桜まつりである。
熱海で桜を見物をし、温泉を愉しむのが今回の熱海巡りである。
早速、会場へ出かけてみた。

熱海城のHPには200本のソメイヨシノが咲き乱れていると紹介されていた。
しかし会場に入ってみると、桜の木は疎らであり、樹齢の若い木々たちが花を咲かせていた。
会場には花見用の青いシートが幾つも敷かれ、カラオケがセットされた小さな舞台が設営されていた。
だがまだ時間が早いせいなのであろう、花見の宴会に興ずる人はいなかった。
麗らかな陽射しを浴びて、会場の花壇に咲く花々が咲き匂う。
春日を浴びたパンジーの花々が、色鮮やかに競い咲く。

会場の正面にはレストランがあり、その奥には相模灘を見渡せるテラスがあった。
燦々と降り注ぐ陽光を浴びる松の緑が眩い。
その彼方に波一つない紺碧の海が、きらきらと陽光を反射していた。
風もなく麗らかな春日を愉しみながら広場に戻ると、先ほどよりも観桜の人たちが増えていた。
ソメイヨシノは煌く陽光を浴びて、碧空に匂い立つ。
桜花が咲き匂う細い梢に、小鳥が一羽とまり、花の香りに酔いしれているようである。
桜の梢越しに熱海城が見える。
1959年(昭和34年)、海抜100メートルの錦ヶ浦山頂に建つ外観5重、内部9階の鉄筋コンクリート造りの建築物だ。
外観は天守閣を模し、天守閣の甍には浅野祥雲作の日本最大の金鯱を頂いている。
相模灘へ目を移すと海に突き出るようにホテルが建ち、岬の先には伊豆半島が朧に霞む。
桜の花に包まれた広場には、だんだんと人が増え賑やかさを増してきた。
青いビニールシートに座り、ソフトクリームを愉しむ家族連れ。
そして入口で900円を支払い熱海城の中へ。
正面に熱海城天守閣の屋根に踊る、金鯱のレプリカが置かれ、その上に若い女性が跨り、記念写真を撮っていた。
その横を少し進むと武家文化資料館があり、戦場で身に纏う装束や甲冑、刀剣、槍、火縄銃などが展示されていた。
美術館や博物館特有な重々しさと近寄りがたさもなく、気楽に見学できるところが嬉しい。
資料館を見終わると、売店のある広間に出た。
そこには浅野祥雲作の恵比寿様が左に、右手には大黒様が黒褐色に輝きながら鎮座していた。
  
広間から扉を開けて回廊に出ると、左右に足湯があった。
欄干越しに遠く眺めると、波一つない鏡面の輝きを帯びた碧海を、遠く霞む初島へ向かう観光船が、白い航跡を曳いてゆく。
そして振り返ると純白な棟の彼方に、澄み切った空が広がっていた。
  
広間へ戻り階段を上り3階へ行くと、そこは日本城郭資料館があった。
大阪城、名古屋城、姫路城、松本城などがマッチを使い精巧に作られていた。
一つの城郭作成に使われたマッチの数は、2万本から4万本以上という途方もない数、左官屋さんが趣味で作り上げたようだ。

さらに進むと城郭画家の第一人者、萩原一清氏が描いた城郭画が展示されていた。
長い歳月をかけて日本全国津々浦々にある城郭を訪ね歩き、描き上げた100点の原画であった。
3階の展示場を見終わり、6階のパノラマ展望台へエレベーターで上がる。
展望台の広間では、若者たちが楽しそうにゲームをしていた。
外を見れば影絵のように陰影深く、その彼方には碧い海が広がり、熱海のホテル群が蜃気楼のように輝いていた。
広いガラス張りの扉を開けて回廊に出る。
屹立するホテル郡の彼方、小高い山々の緑が眩かった。
地上43メートル、海抜160メートルの展望台からは、相模灘の彼方に真鶴岬が霞み、中央には軍艦のような姿の初島の島影が朦朧と見える。
その前を初島から熱海へ戻って来た観光船が、オレンジ色の船体を輝かしながら、白い航跡を描きながら進んでゆく。
 
さらに右手に目を移すと、伊豆半島が遠望できた。
春霞みに浮かぶ半島を背景に、朱塗りの欄干の前で携帯を見る女性が、逆光のシルエットになっていた。
そして左手眼下を見下ろすと、錦ヶ浦の岩礁へ波が押し寄せ、千々に飛び散り白い波浪を描いていた。
さらに回廊を右手に廻ると、欄干越しに麗らかな春景色を眺める人たち。
風もない穏やかな陽気を愉しみながら、熱海の明媚を堪能していた。
空から燦々と陽光が降り注ぐ中、2羽の鳶が空を駆け巡る。
  
2羽は大空を疾風のように、上昇したり下降しながら羽ばたく。
2羽の雌雄の鳶たちが飛び交う、恋の季節なのであろう。
さらに回廊をまわり甍の彼方下に、桜まつりの会場が見える。
 
お花見のために用意されたシートは、観桜の人たちで殆どふさがっていた。
展望台をひと巡りしエレベーターで1階へ下り、階段で地下1階へ降りる。
そこには浮世絵秘画館があり無料であった。
 
ポスターには意味ありげに、18歳未満の人は入館はお断りと書き込まれていた。
薄暗い部屋に入ると葛飾北斎、喜多川歌麿、狩野探幽、歌川国芳、鈴木晴信、菱川師宣、鳥居清長などの春画が、照明で浮き上がっていた。
会場では老若男女が無言で眺めていた。

それは男女の秘部が生々しく、淫猥に書き込まれながらも、江戸時代の諧謔と滑稽とユーモアを表現していた。
風景画や美人画に役者絵や相撲絵を描き、人気を博した絵師たちへ、版元から春画の注文が秘密裏になされる。
春画を描けば絵師たちは、多額の金銭が稼げる。

だが春画はご禁制の時代、見つかれば風俗紊乱などの咎で、獄門や島流しにもなる危険な行為だ。
だが絵師が危険を冒して描くのは、多額な報酬だけではないのであろう。
それは体制に対する絵師の、反逆と自由の表現なのかもしれない。

春画の露悪で淫靡な世界を、軽妙洒脱にして、機知縦横な筆を織り交ぜて描くことで、体制に反撃しているのだ。
だがその描かれた春画は、金持ちの所有物となる矛盾を孕んでいた。
それにしても春画が公然と美術館に展示されることに、時代の趨勢を感じた。
 
浮世絵秘画館を出ると、そこにはゲームセンターがあり、大勢の若者たちが遊んでいた。
ゲームは全て無料のサービスの良さ。
壁には歌川国芳(1797〜1861)の、奇想に溢れた大きな複製戯画が飾られていた。
 
顔や手などを全て人体で合成する筆力に、今更ながら江戸絵師の奔放で躍動する想像力に感心をする。
そして熱海城を出て桜の広場に出た。
すると先ほどにも増して、大勢の人たちが桜を愉しんでいた。