今年も佐野厄除け大師を訪ねて
2013年1月6日

正月の松の内、今年も佐野厄除け大師に出かけた。
例年の我が家の行事のようになっている。
すでに私もママも厄が明けて軽い身分。

だが子供たちはこれからそれぞれに厄年を迎える。
そんなこともあり子供の厄除けと、自分たちや親戚とお店のお客様の無事息災とご多幸を祈りに、佐野まで出かけた。
東北道の佐野藤岡ICで降り、昔ながらの街道を進と、程なくして佐野市街地に出る。

そして佐野厄除け大師さんの前を通り過ぎ、秋山川に架かる橋を渡ると、広い無料の駐車場がある。
だが駐車場へ辿り着くまでに、有料の駐車場が犇めいていた。
私たちも最初に佐野厄除け大師へお参りに来た時、無料の駐車場を知らず、有料の駐車場に停めた記憶がある。
 
駐車場は待つこともなく、すんなりと入ることができた。
すでに時間は2時頃であった。
さすがにここは栃木県、まだ日が高いとはいえ、外に出ると外気が冷たかった。
 
お薬師様へ向かう道から遥か遠くを望むと、雪をいただいた山陵が白銀に輝いていた。
危険を孕む雪山は遠くから眺めれば崇高で壮麗である。
秋山川を渡り川面に目をやると、清澄な水が流れ降り注ぐ陽光に煌めいていた。

正面には厄除け大師様の朱塗りも鮮やかな堂宇が、一面に広がる碧空に浮かんでいる。
道に面して、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派、時宗の開祖とされる一遍上人の銅像が建つ。
その奥に時宗天明山涅槃寺の堂宇が見える。
  
道路の歩道は参拝の人たちが行き交い、さすがに山門が近づくに従い人で溢れて来た。
道路沿いに建つ佐野名物のラーメン屋さんや、土産物屋さんの呼び込みの声も威勢良く響く。
山門の前に建つ露店も賑やかである。
 
山門を潜り境内へ出ると、去年にもまして露店が立ち並んでいた。
その先を見ると厄除け祈願の人たちの長い列が出来ていた。
やはり長い不況のせいなのであろう、毎年のこの時期、祈願の列の長さに驚かされる。
 
すでに参拝を済まし、頂いたお守りを大切に手にする女性。
着物を着た女性が正月の華やぎを艶やかにしている。
境内にはたくさんの露店が賑わい、正月のハレを演出していた。
本殿前には小さな列が出来ていた。
本殿の中を金網越しに人の列が見える。
金網が張り巡らしているには、お祓いの人の不正侵入を防いでいるのであろうか?

参道の左手には護摩壇で護摩焚きの祈祷を待つ長い列で賑わっていた。
程なくして本殿の前に着き、お賽銭をあげて手を合わした。
参拝を済まし隣の寺務所に行く。

 
娘の厄除けの御札と、お客様へ差し上げる健康長寿のお守りをいただく。
松の内、寺務所は大賑わいである。
白衣に緋袴姿の若い女性が、忙しそうに仕事をしている。

そして先程の本殿を望むと、金網はなく中の様子が見える。
多分孫(であろう子供を抱いたお爺ちゃんの、微笑ましい笑顔が覗く。
その列を整理し誘導する、若い僧侶の真剣な顔が見える。

寺務所の賑わいの対面には、たくさんのおみくじが、白い縄に思いを込めて結えられていた。
寺務所の前の人混みの中を、順路に従い進むと、懐かしい子育地蔵尊の石像に出る。
子育地蔵尊は何時でも人気者だ。

子育地蔵尊はお掃除小僧とも言われ、子供たちに愛されている。
昭和53年、水子地蔵尊が建立された祝いに、建てられた石像であった。
子供達や家族が、小僧さんの頭から水をかけ流し、子供たちの無病息災を祈りながら、ごしごしと束子で身体を洗ってあげている。

 
その祈りが届き子供たちは健やかに、良い子に育つと信じられている。
そしてさらに進むと大香炉があり、お線香の煙りが濛々と漂い、辺りが霞んでいる。
その薫香は何処か心に安らぎを与えてくれる。
老若男女がそれぞれに自分の体に、思いを込めて念じながら燻煙を撫で付ける。
そして左手には江戸中期を代表する、精緻で華麗な建物の東照宮が見える。
短い参道は参拝客で溢れ、おみくじを見交わす若者たちの笑顔が眩い。
  
参拝を終え参道を戻ると、東照宮の入口の横手にも社務所があり、お守りを求める人たちで溢れていた。
すでに日は傾き、冬日に照らされて影が長く伸びていた。
ぶらり境内を歩くとたくさんの人が溢れ、露店も賑わいを見せていた。
そして夕暮れも近く陰影を濃くした山門を潜り、道路を挟んで正面に建つ、佐野観光物産館へ出かけた。
会館内は正月の装いで賑わっていた。
 
売り子は背中にさのの文字が朱色に染め抜かれた、緑も鮮やかな半纏を着ていた。
壁には大きな武者絵の凧が飾られていた。

  
佐野の地酒・開華純米吟醸と佐野名物・佐野ラーメンを購入し会館を後にした。
そしてお大師様の山門前のラーメン屋さんで、名物の佐野ラーメンを食べる。
その名も厄除けラーメン、具の麸に厄除けと刻印がしてあった。