伊豆天城峡湯ケ島の秘湯を訪ねて
2012年12月16日

秋も去り初冬、 伊豆天城峡湯ケ島へ出かけた。
首都高から東名を走り、箱根の麓は足柄のサービスエリアの朝、遠くに雪を頂いた富士山が光る。
空は青く澄み渡り、富士山の雪が朝日に照らされ神々しい。

足柄を後にしなだらかなスロープを走り、幾つかのトンネルを越して走りゆくと沼津へ到着した。
沼津ICで高速を降り沼津市街を抜け、一路天城に向かい国道414号を走り進むと、左手に狩野川の清流が陽光に煌く。
伊豆特有の小高く愛らしい山々が遠くに重なる。
 
清流沿いの昔ながらの街道は、長閑な景色に包まれる。
やがて修善寺の温泉街に入ると、早朝にもかかわらずすでに観光客の姿が目立つ。
伊豆は何度目の旅になるであろうか?

昔ならば修善寺に来ると必ず修善寺へ参拝するのであるが、今回は修善寺前を通り抜け湯ケ島へ向かった。
街道の左手に広がる桂川の渓流の中に、独鈷の湯が見える。
昔は旅館立ち並ぶこの露天風呂に、男女が混浴で湯浴みしたというから度胸がある。

窓を開けると早朝の爽やかな風が、初冬の匂いを運ぶ。
伊豆の往還、山はすでに紅葉も終わり、僅かに名残の黄葉紅葉が見え隠れする。
すでに冬枯れ温暖な伊豆にも冬が忍び寄っていた。
 
やがて浄蓮の滝の前に到着した。
時間は持て余すほどにたっぷりとあった。
そして閑散とした駐車場に車を止め、浄蓮の滝を訪れることにした。
 
滝へ降りる入口横の土産物売り場は、人気なく寂しげだった。
そして朝日が降り注ぐ急勾配の階段を下りる。
階段を包む雑木林は森閑とし、階段を下りるたびに冷気を感じる。
  
やがて遠くにマス釣り場の看板が見える。
さすがに初冬を迎えた渓流に、釣り人はいないであろう。
さらに階段を下ると雑木を透かして、渓流の瀬が白い水泡となり川下へ流れゆく。
  
さらに下りると土産物屋の屋根の上遥かに、浄蓮の滝の優美な姿が垣間見れた。
その水量は以前見たときよりも豊かで、落下する勢いを増しているようだ。
階段を下りきりマス釣り場の入漁券売り場の前を過ぎると、その先に浄蓮の滝の威容が出現した。
  
正面の滝を展望する広場に人は疎らで、観光客の記念写真を撮る写真屋さんが、手持ち無沙汰で立っていた。
最近は殆どの人が携帯電話を持ち、付属したカメラで記念写真を撮る。
写真屋さんの出番は如実に少なくなっていることであろう。
  
落差25メートル・幅7メートルの滝か落下し、滝は太く白い泡の帯をひいて滝壺へ落下する。
その時水が弾け霧となり、紺青の滝壺の中に消えてゆく。
何時見ても浄蓮の滝は優雅であり高貴な佇まい、静謐で幽玄な世界を醸し出している。
  
するとがやがやと賑やかな集団が滝前に現れた。
きっと観光バスでやって来た団体客なのであろう。
静かな観光地も良いものだが、観光客で溢れる賑わいは観光地に華を添える。
  
滝壺から渓流を下る水は朝日に照らされ、水底の石は鮮やかに輝いている。
滝に目を戻すと瀧上の冬枯れた梢が、朝日を浴びて金色に照り輝いていた。
浄蓮の滝は朝日の輝やきの中、優雅な姿で太古よりの悠久な時を紡ぐ。
  
滝水の落下する音は優美な姿に似合わず轟音を響かせる。
その轟音から遠ざかると、若緑も美しいワサビ田が広がっていた。
すでに紅葉も終わり冬枯れて来た地に、この瑞々しい若緑は眩しい。
 
多年草のワサビは常に若緑に萌えている。
すでに過ぎ去った白秋から初冬へ、そして厳しい玄冬は黒で象徴される。
その冬に青春の緑が豊かに生命を漲らせていることに感動を覚える。
 
そして浄蓮の滝を後にして、急峻な階段を見上げながら上る。
流れ下る渓流を見れば、枯れ落ち葉に染まる雑木林の先にワサビ田の緑が萌え、その彼方の川面が陽光に煌めいていた。
距離にすればそれほどでもないのだが、急勾配の階段の上りは意外と厳しい。
 
上ること6分ほどで入口に到着した。
名残の紅葉の彼方、遠くの山々は靄に霞み初冬の穏やかな陽を浴びていた。
そして少し歩くと左手に小さな祠があり、朱色の鳥居の中に穏やかな顔をした半跏の弁財天が鎮座していた。
  
時間はすでに12時近く、土産物売り場の中の食堂で昼食をとり、そのあと明徳寺へ向かった。
奥伊豆の往還は長閑な風情で旅人を迎えてくれる。
浄蓮の滝から程なくして、小高い地に目的地はあった。
  
駐車場に車を置き、山門を見上げる石段の前に立つ。
右手には応永29年(1422年)に植樹された、樹齢600年の「応永の槇」と言われるイヌマキの老樹が聳えていた。
石段を上りきり山門を見上げると、棟木や梁にたくさんの千社札が貼ってあった。
 
寺によっては千社札禁止の札が立てられているところも多い。
だが私は千社札が好きだ。
千社札が貼られた姿に、昔懐かしい趣向や風情を感じる。
 
小さな山門をくぐり抜けるとお寺の境内。
明徳寺の創建は利山忠益により、南北朝の末期の明徳年間で、曹洞宗の古刹である。
東司(便所)の守護神とされる「烏枢沙摩明王
(うすさまみょうおう)」を祀っている。
 
右手に黒光りした観音様が立っていた。
その名も「ぼけふうじ観音」
前期高齢者になった私も、ぼけて他人に迷惑を掛けるのは嫌なのでしっかりとお参りをした。
 
そして社務所を見ると「霊験とご利益の肌着 『下』の世話にならないよう 身につけてください」と書かれた白い布がぶら下がっていた。
横に広い棚に並べられた薄緑のプラスチックの籠に、値段のついた男女のパンツが盛られていた。
社務所の隣には「うすさま明王堂」が清楚な佇まいで立っていた。
 
うすさま明王とは不浄なものを浄化する霊力を持ち、このお堂の中に男根を祀る「おさすり」があり、和式トイレのような「おまたぎ」がある。
その男根を撫ぜると下半身は何時までも丈夫で元気。
和式トイレのような「おまたぎ」跨ぐことで、下の世話にならずに済むと伝えられている。
 
境内には中天から陽光が降り注ぎ、境内の中央に立つ鐘楼を照らし、強い日脚の影を落としていた。
あと半月もすれば新年を迎える。
この鐘楼が除夜の鐘を響かせ、この鄙びた村里へ新年の訪れを知らせるのであろう。

鐘楼の下を潜り進むと本堂があり、お賽銭をあげて手を合わせる。
そして本堂の中を眺めていると、住職さんと目が合う。
すると住職さんの方から、さり気ない笑顔で挨拶の声をかけてくれた。

そして年配の女性が本堂へ現れ、私と目が合う。
さきほどの住職と同様に、こんにちはと声をかけてくれた。
きっとこのお寺は檀家を大切に思い、先祖代々の墓を守り、近在の人々に愛されていることであろう。
 
高圧的で傲慢で拝金主義のような寺もある現在、この寺の人々の微笑の中に本来の寺の姿を見る思いだった。
境内の隅にすらりと立つ青銅の観音が、澄み切った碧空に凛とした姿で映えていた。
境内には冬日がうららかな日差しを振り注いでいた。
 
山門を潜り抜け階段を下りきり振り返ると、山門が陰影を深くしていた。
そして駐車場に戻り見晴らすと、民家の彼方に小高い山々が幾重にも霞んでいた。
すでに時刻は2時、今日の予定は終わった。
 
これからまっすぐ本日の宿に向かうことにした。
昼下がりの長閑な路を進むと、旅館への案内板が目に入り、右にハンドルを切り進む。
道路は狭いなだらかな下りの1本道を進み、しばらくゆくと上りの道になる。

やがて雑木林は深くなり旅館が数軒姿を現す。
そしてさらに進むと道の正面に目的の宿が出現した。
まさに奥伊豆の秘湯と言われるだけのロケーションである。
 
質素で簡素な玄関の横に、朱色の大きな天狗の面が陽光に照らされていた。
駐車場に車を置き見下ろすと、世古峡の渓流の川面が燦き、川床の石が黒光りしていた。
旅館に入り記帳して部屋に向かう。

玄関は5階で私たちの部屋は、エレベーターで下りた4階にあった。
鍵を開け中へ入るとそこは角部屋。
右方向も左方向にも、名残の紅葉を残す初冬の景色が広がる。
  
旅館はまさに世古峡の中にあり、渓流の翠の川面は木々の影を映す。
遠く彼方を眺めると渓流に寄り添うように旅館の姿が見える。
心地よい瀬音を響かせながら川水は流れ下る。
  
その渓流の川面に陽光が降り注ぎ、金色の光彩を滲ませていた。
水はあくまでも清澄で川床の石が様々な色に浮き出ていた。
渓流は冬日に照らされ名残の紅葉が燦き、典雅な風情を添えていた。
  
ここ伊豆湯ケ島は伊豆半島の中央にあり、この宿は最奥地にある。
この先には宿も民家もなく、深い森に包まれる。
上流から流れ下る清流は、すでに傾き始めた陽光に燦き、木々の梢に残る葉叢を透かしながら照らしていた。
 
やがて渓谷の郷は厳しい冬を迎える。
木々の葉は枯れ落ち、針のように細い梢が寒風に晒され震えることであろう。
その寂寥な景色の中で、人はやがて訪れる春を待つ。
  
厳しい冬を耐えるからこそ、訪れる春に喜びと感動が増幅される。
一休みしているとすでに日も陰り始めて来た。
浴衣に着替えタオルとバスタオルを持って、1階にある温泉へ出かけた。
  
風呂場には人影はなく閑散としていた。
身体を洗い早速露天風呂へ。
渓谷を一望する露天風呂は、お酒を発酵させる酒樽を切ったような丸い木の温もりが心地よい風呂であった。

少し湯は熱めであったが、清澄な湯味は柔らかく、渓谷から流れ漂う冷気が心地よい。
この温泉は木太刀の湯と言い、源頼朝が発見したと伝わる。
伊豆に配流された源頼朝がこの地に来た時、渓谷の岩間から立ち上る湯煙を見て、木太刀を突き刺したところ湯が噴き出したと言われる。

そして大浴場の隣にある岩をくり抜いたような露天風呂の「洞窟風呂」へ入る。
やはり湯は熱めであったが、深く身体を沈め渓谷を眺めると、洞窟は額縁となり名残の紅葉が夕日に照り映えていた。
世古峡の絶景を眺めながら、今日一日の旅の疲れを湯の中に溶け流した。
  
翌日の朝、旅館から湯煙に包まれた世古峡を望む