名栗の里・鳥居観音を訪ねて
「白雲山鳥居観音」
開祖は平沼彌太郎 雅号・平沼桐工(1892ー1985)。
埼玉銀行(現在のりそな銀行)の初代頭取となり、参議院大蔵委員長を務め、大正から昭和の政財界で活躍。
熱心な観音信仰者の母親・志げの遺言「私にかわってお前が観音様のお堂を建てておくれ」に従い、自身の生誕地に30年の歳月をかけて築いた。
それは昭和15年に建立した観音堂(現在の恩重堂)に始まり、今日の鳥居観音に至る。

2012年11月25日

このところ小さな旅が続く。
今日も好天に恵まれ、関越から圏央道へ出て、飯能から名栗へ向かった。
青梅と飯能を結ぶ昔からの往還。
 
飯能の広い市街地を抜け、片道1車線の鄙びて蛇行した街道を進む。
やがて左手に名栗川の清流が、秋の日に煌めいていた。
街道沿いにたつ趣のある家々を眺めながら進むと目的地に到着した。
 
無料の駐車場に車を置き、鳥居観音への參道を歩く。
思いのほか人影は少なく、小石を踏み鳴らしながら進むと、左手に子育て観音を祀る本堂がたっていた。
境内には名物のお団子を売る屋台も出ていた。
 
右手には素朴で小さな子育て地蔵尊のお堂が鎮座していた。
お堂の鈴を鳴らし、お賽銭を上げ手を合わせる。
そして本堂へ向かう境内の横に、黒光りした石にレリーフのように、優雅な姿に彫り上げられた、水かけ観音がたっていた。

その前に柄杓が置かれ、その柄杓で水を掛けると、観音像が瑞々しく浮き出てきた。
名栗の山里の冷気の中、姿は美しく香気が漂ようのだが、水に濡れた姿に肌寒さを覚えた。
本堂の前の石段はごつごした大きな自然石で組み上げられている。

一跨ぎ二跨ぎしながら急峻な石段を上りきると、昭和34年に建立された単層入り母屋造りの本堂前に出た。
向拝付瓦葺きの本堂に拝礼し、靴を脱ぎ木の階段を上がり本堂の中へ入る。
天井は高く四季の花々の絵が華麗を競っていた。

正面には本尊の柔和なな聖観音を中心に仰ぎ、煌びやかで優美な七観世音菩薩が安置されていた。
その観音様の住む静謐で無明な補陀落迦山の世界を護るかのように、左隣に黒光りする大黒様が鎮座していた。
本堂の大きなガラス窓には、小川潮人作・直径1.5mの大法輪が描かれ、窓越しに外の紅葉が映る。
 
さらに反対側のガラス窓の互井開一作の絵には、山川が鮮やかに描き込まれ、人や獣の優しい表情をうつした絵が、外光に浮かび上がっていた。
本堂を出て境内を裏手に回ると右手に、仏像や仏教美術など様々な資料を展示する鳥居文庫があった。
そしてさらに進むとそこは鳥居観音へ入山する料金所があった。
料金所の人に聞いたら、徒歩では鳥居観音までは40分位かかり、車では5分ということであった。
すでに日は傾き始めている、私たちは車でゆくことにした。
車道を見やれば、観音様への道を次から次へと、上り下りの車が交差していた。
 
引き返し本堂へ戻る道、右手を見ると小高い山々の木々は寂寥の趣。
本堂から見渡すと彼方の山々が西日に燃えていた。
本堂横の寺務所を望むと、曇りガラスと軒の間の透き通ったガラスの奥に、秋色が浮き出ていた。

軒板のくすんだ木調と鏡のように磨かれた廊下のガラス戸が額縁となり紅葉を映していた。
駐車場に戻り先ほどの料金所で入山料500円を収め、狭くカーブもきつく険しい道を進む。
紅葉に彩られた鳥居観音への道は、秋の色に燃えていた。
 
すれ違う時、お互いのハンドルに細心の注意を払いながらのろのろと上る。
やがて前方に竜宮門のような逆U字形をした白と朱色の玉華門が現れた。
白い柱には狛犬が彫り込まれ、柱の上には二層の唐屋が朱色に優美な姿でたっていた。

 
この建築様式はタイの古都チェンマイのお寺に倣ったもので、軒先や欄干には竜や鬼や鳳凰の彫刻が施されている。
幸いにこれから先は下りの車と行き違うこともなく、無事に玄奘三蔵塔前の狭い駐車場に到達した。
しかしそこは満杯でさらに狭い道を進む。

左は崖が切りたち、右手の眼下は紅葉の深い谷。
赤土剥き出しの道は車が1台通ればいっぱいになる程に狭い。
そこを車が細心の注意を払い冷や汗ものですれ違う。

きっと最近までは紅葉の名所として、今ほどに有名ではなかったのであろう。
だが今は北野武監督映画「Dolls」の撮影シーンに選ばれたりして、かなりの人気スポットに変容した。
車が通る道を早いこと整備しないと、いずれは大きな事故が起こっても不思議ではない。

すると前方から小さなマイクロバスがやってきた。
鳥居観音と麓にある「さわらびの湯」を往復する地元の車だった。
崖側を走るママの車は崖に寄せられハンドルが切れない。

マイクロバスの運転手の指示で、この苦境をようやくのことに乗り切り、しばらく進むと先ほどよりは広い駐車場に着いた。
車を置き白亜の観音様を前方頭上に眺めながら、枯葉が散り落ちた階段を上る。
外気は肌を刺すような冷気を帯びていた。

やがて山頂に辿り着き見上げれば、純白に輝く 救世大観音三体が、澄み渡った碧空に聳えていた。
その足元で高さ23mの帝釈天が厳めしい顔で、威風堂々と 救世大観音を護っていた。
その下を廻りながら進むと 、救世大観音の正面に出た。
 
見上げると昭和46年に造られた高さ33mの大観音が、澄み渡る空に優雅に屹立していた。
その尊顔はギリシャの女神のように、柔和で気品に満ちていた。
基壇の高さが10mの寺院の柱は、地中海に浮かぶギリシャのクレタ島にたつクノッソス宮殿の様式を模している。
基壇の右手には青銅に輝くリアルな表情の高さ23mの脇立梵天が、右手に大太刀を持ち、遥か彼方を睥睨している。
救世大観音の前の石畳の境内から遠く望むと、小高い山々は秋色に染まっていた。
さらに先ほど通った玄奘三蔵塔の方角を望むと、玄奘三蔵塔は黄葉紅葉の木々に包まれている。
その手前、大観音の中間の面白岩に納経塔が見える。
一万巻の般若心経や多数の写経が収めらた塔は、遠くインドのガンダーラ様式に彩られ異国の風情を醸している。
秋満載の白雲山は世界平和と安寧を願うかのように、様々な国の建築様式が融合していた
 
急峻な石段を降りると見晴台があり、遠く近くの山々が朦朧と静寂を湛えていた。
秋寂びてすでに葉が枯れ落ちたた木々の梢越しに、秋色が華やかに広がる。
そして振りさけみると石段の彼方に、大観音が碧空の中に彫り深く浮き出ていた。

すでに秋の日は力なく、冷たい微風が冬の訪れの近いことを教えている。
石段を上り境内から駐車場へ戻る道すがら見ると、真っ赤に燃え立つカエデが西日に輝いていた。
さらに眼下を見渡すと、名栗の山里の家々が長閑な情趣を醸していた。
駐車場へ戻り先程の狭隘な道を進む。
やはりすれ違いは厳しく冷や汗もの、程なくして三蔵塔前の駐車場へ到達した。
すでに時刻は3時、標高460mの地の駐車場は空いていた。

車から降りて遠く眺めると、西日射す山を背にして、大観音が優美な姿で自然と溶け合っていた。
そして玄奘三蔵塔を囲む木々は、紅や黄に彩られ雅な世界を現出している。
紅にあけ染めるるモミジに燃えるこの景色が、北野武監督映画「Dolls」の舞台に登場したのも頷ける。

玄奘三蔵塔の門を潜ると參道が伸び、途中に大香炉があり、その先に風変わりな姿で純白の三重塔が聳えていた。
その前の境内の右手に経文を背にした玄奘三蔵の像が、紅のモミジを背景にしてたっていた。
そして堂塔への石段を上り礼拝する。
堂宇の柱には大きくて愛嬌のある聖獣が彫り込まれていた。
そして堂宇を巡る回廊を歩き行くと、右手正面は燃え上がるような赤に彩られ、その奥に黄葉が映え上がる。
さらに強い西日に照らされた木々は燦き、見事な王朝絵巻のようであった。
さらに裏手に回ると遠くの山々は常緑樹に包まれ、黄葉紅葉が縦縞のように伸びていた。
その木々を西日が照らし、また山陰となった暗い木々とのコントラスも美しい。
すでに午後3期半、山の冷気が肌にしみる。

そして回廊を戻り石段を降り、再度玄奘三蔵法師」の霊骨が祀られる玄奘三蔵塔を見上げる。
最上部はインド洋式の屋根を葺き、二階部分は中国洋式を取り入れ、最下部は日本様式の甍であった。
仏教がインドから中国を経て日本へ伝えられたことを象徴しているのであろう。
埼玉の奥武蔵にある名栗の里。
埼玉百選にも選ばれる「白雲山鳥居観音」は、約30ヘクタール(東京ドーム6.5個分)の山容のの中に建つ。

晩秋の紅葉に彩られ、静寂の中、静かに夕靄に包まれ始めていた。