板橋演劇鑑賞会主催
劇団青年座第194回公演「赤シャツ」観劇記
2012年11月23日

1昨日、劇団青年座第194回公演 作=マキノノゾミ 演出=宮田慶子「 赤シャツ」を観た。
場所は私の店から1分の近さにある板橋文化会館。
私も会員の板橋演劇鑑賞会主催である。

現在の鑑賞会の会員は4ヶ月連続で増加し、ついに今月は800人を超えた。
文化会館の定員は1200人くらいだから、いずれはホールを満席にしたいものだ。
最近は全国の演劇鑑賞会の地盤が沈下しているのに、増加傾向にあることは、大げさに言えば奇跡的なことだ。
私が学生の頃、労演組織として演劇鑑賞会は存在した。

60年安保世代や団塊の世代が中心になり、左翼的な傾向の強い新劇を支えた文化団体でもあった。
社会に真剣に向き合い、時代と自分の生き方や理想を照らしながら、演劇文化に触れ感動を覚えたことを思い出す。
だが現在、新劇という言葉も風化し、存在自体が弱体化している。

かつて若者たちの心を捉え、大きな影響を与えた演劇も、団塊の世代が老化するとともに、かつての光芒を失い始めている。
そのような状況にあって、演劇鑑賞団体の会員が増加している現実に喝采をしたい。
開演は6時半、時間通りに幕が上がった。

時は明治38年、日清戦争の勝利に歓喜する四国のとある城下町。
夏目漱石の「坊ちゃん」の登場人物たちが繰り広げる、悲喜交々の人間模様。
主人公は優柔不断で八方美人な赤シャツ。

素朴で実直、奔放磊落、豪放無比の山嵐や坊ちゃんに、自分にない魅力と理解を示すほどに、誤解が誤解を増幅する。
やがて赤シャツの悲しみとペーソスにドラマは彩られ、100年先の日本に絶望する赤シャツの姿は、哀しさに溢れていた。
青年座の手堅い演技と洒脱なアンサンブルに、宮田慶子の演出の彫りの深さと繊細さを観る。

芝居が終わると大勢の観劇の人たちが会場を後にする。
その歩は遅々して進まず長い列となる。
それは観客たちが高齢化し、足の悪い人や杖を突いた人たちで溢れているからだ。

かつて新劇を支えた人たちは、すでに還暦を過ぎている。
演劇鑑賞会の会員の7割近くが、そのような前期高齢者以上であろう。
その人たちが高度経済成長を支え、日本が世界で確固とした地位を築く原動力になった。

時代とともに人は老いる。
だが時代は永遠に活力をもって躍動しなければならない。
演劇鑑賞会がこれからさらにアクティブに活動するためにも、次代を担う若者の会員を増やさなければならないであろう。

(補足)
文化会館は多目的ホールで非常に広い。
役者さんの声を聞き取ることに、大変な集中力を必要とする。
後方の席であればなおさらである。

さらに高齢者にとっては、さらなる努力が必要でもある。
幾人かの観客が役者さんの声が聞き取れないとぼやいていた。
舞台の上に集音マイクを取り付けるなり、何か策を考えても良いかとも思う。