富士山5合目&忍野八海から山中湖へ 2012年11月04日 早朝東京を発ち中央高速を北上し、山梨県へ向かう。 やがて中央高速を河口湖インターで降り、富士スバルラインを進み富士山へ向かった。 朝まだき、既に強い陽光が空に広がり、高く澄みきった蒼穹に、銀色に輝く雲がたなびく。 その遠く彼方、富士山の頂上辺りに、白い雪が耀いていた。 だが11月の初旬、5合目あたりから、なだらかに伸びる麓にかけ、黒灰色の寂寥たる山肌を晒していた。 秋錆びた紅葉にはまだ早い富士スバルラインを上り、目的の5合目が近づくに従い、左手彼方遠くに朦朧と山並が広がる。 その折広がる山脈の上に、さらに険しい山容を誇る南アルプスの峰々が、雪化粧をして、真っ青な空に照り映えていた。 遠くの山々の峰々の頂きは全て雪化粧をし、厳しい季節の到来を知らせていた。 5合目が近づくに従い、木々の背丈は低く、やせ細りながら、針葉が赤枯れてくる。 それは富士山の冬の過酷な自然を象徴しているかのようである。 正午にも届かない時刻、富士山へ向かう車や観光バスは少なかった。 渋滞することもなくエンジン音も軽快に、なだらかに蛇行しながら上り進むと5合目に到着した。 無料の駐車場に車を起き、5合目の広場へ向かった。 立冬も近い4日、外は強い日差しが降り注ぎ、風もなく空気は清涼で爽やかであった。 そして横手にある小さな展望台の階段を上る。 ここに来たのは何年振りであったでろうか? 紺碧の高い空に、頂上の白銀が照り映える。 するとその高い蒼穹を切り裂くように、飛行機が右手に飛び流れて行く。 そして振り返り眺めれば、厳しい冬を迎える木々彼方、眼下に山中湖が霞み見える。 鯨の姿にも似るその姿は、愛らしい景色を映し出していた。 その遥か彼方に雪を頂いた山並が朦朧と耀いている。 さらに道すがら見れば、砂利道の脇に停まる車のナンバーが、富士山の標高を示す富士山37−76と表示してあった。 土産物売り場へ入ると、大勢の老若男女でごった返していた。 すでに時刻は11時を回り、観光バスが続々と到着していた。 1時間半ほどの5合目の滞在を終えて、先ほど来た道を一路引きかえすと、上り来る車が次々に5合目へ向かう。 下るに従い上りの車の数は益々多くなり、下る車はほとんどなかった。 すると富士スバルラインを下ってかなり降りた時、乗用車の正面衝突の事故に遭遇した。 男の人が右手に携帯電話を持ち、蒼白な表情で警察へ電話しているのであろうか? 前方がぐしゃりと潰れた小型車の乗客なのであろう。 小学生くらいの子供が2人道路脇に座り、毛布に包まって震えている。 衝突した車の回りにはガラスが飛び散り、飲み物も散乱していた。 折角の行楽、子供たち家族の旅行も粉々に壊れ、辛い記憶だけが残るであろうか? 衝突現場を通り過ぎさらに下り進む。 先ほどの事故の所為であろう、上り車線は段々と渋滞してきている。 さらに下り進み暫く行くと、事故処理の車がサイレンを鳴らして過ぎ去る。 やがて救急車が走り去り、暫くしてパトカーがサイレンを響かせながら現場へ向かった。 その事故からの時間の長さ、事故への初動の遅さに唖然とした。 やがてスバルラインを降り切り、次の目的地、忍野八海へ向かった。 向かう街道の道々、紅葉し始めた雑木林の上に、雄大な富士山が現れ、そしてまた消える。 それは神出鬼没な遊戯のように、私たちのドライブに花を添える。 山梨は何処からでも、美麗な富士山を望むことが出来るから羨ましい。 やがて忍野八海の標識が現れ、標識に従いさらに細くくねった道を進むと目的地に到着した。 私設の駐車場へ300円を払い、細い田舎道を歩いて行くと、忍野八海が広がっていた その静かなる水面に、枯葉の黄と朱が鮮やかな宝石のように浮かんでいた。 遠く眺めると広い広場には、たくさんの観光客が押し寄せていた。 ここへ来たのは何年振りであろうか? まだ肌寒い季節で、途中、何処かの広場に、氷柱が飾ってあったことを思い出す。 水底の水草が降り注ぐ陽光に照り返され、緑もひときわ鮮やかに映える。 そこへ色鮮やかな鱒が泳ぎ込み、対照な妙を演出していた。 昼下がりの陽光は強く暖かく、そよぐ風もない好天気。 鏡面のように静かな水面に、魚が微かな波紋を描いてゆく。 麗らかな陽光を浴びながら、ぶらぶらと歩きながらお土産売り場に目をやると、その前の中池に見物人が溢れていた。 土産売り場を抜け、途中、売店から中池へ向かう細い通路の脇に水場があり、柄杓に汲んで喉をうるおす。 水は思いのほか冷たくはなく、口に含むと円やかに転がり、微かな甘さを感じた。 中池へ続く狭い通路を進む。 すでに大勢の人たちが丸い池の周りに溢れていた。 池の中を鱒たちは優雅に、上になり下になりながら泳いでいた。 そして降り注ぐ陽光が、清澄な湧水を突き抜け、水底を照り返す。 波紋もなく鏡面のように静かな池を望む人たちが、池の中に逆さ絵となり影を濃くしていた。 池は水色の神秘と幽玄を演出し、水の精が覗きこむ者たちを、水底へ誘なうような錯覚を覚える。 時間は既に午後1時を回り、遠く広場を眺めると、さらに多くの観光客が押し寄せていた。 立冬も近い午後は麗らかで風もなく、湧水の里の清涼な空気が美味しい。 そして広場から池の畔を歩き、そば粉を挽く水車小屋の後ろの方へ歩いてみた。 水車は音もなく静かにゆっくりと回り、水車の水輪に着いている、水草や藻の緑が眩しかった。 私たちも少し遅い昼食をとることにした。 池の畔の食事処へ入り、池を見渡す眺めのよいテラス風の席へ着く。 私は何時ものことで生ビールを飲み、紅葉し始めて外光も鮮やかな、池畔の眺めを愉しむ 漣もない静かな水面は黄葉紅葉が映り、陽光が照り返し、雅な風情を醸している。 その水面に緩やかな波紋を作りながら、水鳥が数羽泳いでいた。 彼方には頂きの雪が銀白色に眩しい富士山が、威風堂々と神々しく聳えていた。 するとテーブルに置いたビールジョッキに、 こげ茶色の身体に、黒の縞模様も鮮やかな蜂が止まった。 生ビールの匂いに誘われたのか、ジョッキの内側に動いて行った。 私は追い払うつもりで、箸で蜂に触れた。 すると蜂は驚いたのか、ビールの中に落下しもがいていた。 その瞬間、私は「残念、勿体ない!」と思った。 仕方がないな、もう一杯新たに、飲むことにするかと観念した。 するとママがジョッキを持ってお店の中へ。 しばらくすると、お店の人が新しい生ビールを持ってきてくれた。 その時、先ほど飲んだ分だけ、儲かったと思うのだから、我ながら酒飲みはケチだと思った。 暫く食事をしながら、景色を愉しみながら休息をし、土産物屋や食事処が建ち並ぶ、賑やかな道を抜けて駐車場へ戻った。 そして紅葉の気配を漂わせ始めた街道を、一路山中湖へ向かった。 やがて山中湖畔へ到着し、優雅な富士山が、山中湖を山裾もなだらかに、優美に抱きかかえていた。 すると見事な紅葉楓が朱色に紅葉し、その前で彫りの深いアジア人たちが、記念写真を撮っていた。 湖の水色と燃えるような朱色が、景色の陰影を深くしていた。 ホテルにチェックインをし、6階の部屋に着いた頃は、すでに4時過ぎであった。 大きな一面のガラス窓の真正面に、富士山の雄姿が迫る。 やがて日が山向こうへ落ち始め、夕空を光彩が煌びやかに染める。 さらに残光が空に金彩を、広く長く棚引かせながら、夕靄の彼方に消え落ちていった。 湖畔に繋がれたバルーンの火影が、暮れなずむ宵の中に浮かび上がっていた。 やがて闇が深くなるに従い、夕闇の中に富士山の気配だけを残しながら、漆黒の海に消えていった。 深夜の12時になると、湖畔の全ての灯が消え、深い静寂に包まれていった。 山中湖の秋の宵、心地よく地酒を愉しんだあと、ぐっすりと熟睡した。 そして翌日の早朝、目を覚まし窓外を見れば、富士山の姿は朝靄に消えていた。 今年の11月、富士山・忍野八海・山中湖旅行は、息子の贈り物だった。 子供たちに心からの感謝!! 来年も楽しみにしています(^_^) |