あじさい寺・能護寺を訪ねて
2012年07月01日
高野山真言宗能満山能護寺
埼玉県熊谷市永井太田1141


7月初旬はまだアジサイが美しい時節。
今日は埼玉県熊谷市まで出かけた。
関越で北上し花園ICで降り、昼下がりの道を進む。
やがて妻沼を抜けて進むと、長閑な景色が広がり、妻沼の「あじさい寺」と親しまれる能護寺へ到着した。
駐車場に車を着ける時、小糠雨も降りだしていた。
山門で入山料の300円を納め、雨に濡れた参道を進む。
参道奥正面に、文化11年(1814年)に再建された本堂が、清楚な姿で建っていた。
能満山能護寺は、遡ること天平15年(743年)に、行基上人が開山し、国家安穏・五穀豊穣などを祈念した。
その後、弘法大師空海が大同年間(806〜809年 )に再建し、真言密教の道場にしたと伝わる

 
本堂に続く狭い参道を歩くと、アジサイが包むように、色とりどりに咲いていた。
左手を見れば咲き競うアジサイの花に囲まれながら、純白な観音様が、参詣人に柔和な笑みを注いでいる。
降り落ちる細雨に濡れ、像の白さが際立つ。
 
右手には、能護寺を再興したと伝わる、弘法大師様の緑青の銅像が立っていた。
菅笠と法衣に身を包むお大師様の顔を見上げると、厳しい眼窩が刻まれていた。
雨降りの午後、境内には思いのほか、人影が少なかった。
 
手水舎で手を灌ぎ、ご本堂でお参りをする。
本堂を覗き見ると、ご本尊大日如来が鈍い金色に耀き、辺りに光彩を放っていた。
想像していたよりは狭い境内に、アジサイ花が十色二十色に咲いていた。
その種類は50種、800株を超えるアジサイが、雨に濡れながら咲き匂う。
空は雨雲を厚くし、雨脚はさらに強くなって来た。
アジサイに雨は風情を増し、取り取りの色の花が詩情を添える。
すれ違いも難しい程に狭い、赤土の散策道を歩く。
アジサイの花々の園の真ん中に、鐘楼が雨に煙っていた。
見上げれば、黒い板に化粧された鐘楼は、堂々とした雄姿を晒す。
その中に吊られた鐘は、元禄14年(1701年)に鋳造されたものであった。
梵鐘に浮かぶ乳の間に、百字真言の梵字が、鋳込まれていると言う。
その鐘を撞く撞木がロープに繋がれ、夕暮れの時の鐘を待つ。
  
見上げるほどに高い鐘楼は、何メートあるのであろうか。
真下から見上げると、反り返りが大きく悠然としている。
飾りけもなく堅ろうな佇いなのだが、なぜかそこはかとない優美さを漂わす。
雨に煙る鐘楼は、日本の伝統の気配を漂わす。
雨に濡れ滴るアジサイの咲く細道を歩き、本堂に目をやると、木立の彼方に森厳と建っていた。
紫、青、薄紅のアジサイが、静寂な空気に彩りを添える。
雨に煙るアジサイの園に、稟全とした気配が漂う。
境内はさらに人影を失い閑散としてきた。
雨脚は強くなり、その雨に濡れ、アジサイの花々は輝きを増す。
 
やはりアジサイの花は、梅雨時の花なのであろう。
お寺の境内にひっそりと慎ましく咲き、見る者へ安らぎをもたらす花なのである。
雨雲はさらに厚く、薄墨流した様な色に変わって来た。
 
山門を見れば、先ほど入山料を管理していた婦人はいない。
そして訪れる人たちもいない、雨に濡れた境内は、さらに静寂を湛えていた。
雨が滲む参道を歩き眺めれば、山門の彼方、長閑な風景が開けていた。
山門を潜る時、天井を見上げると、剥きだした梁の木組みに、千社札が貼られていた。
千社札はかつて神社仏閣の山門には、見慣れたものであった。
だが昨今禁止している所が多く、久しぶりの千社札に懐かしさを覚えた。

 
 
山門を潜り振りかえり境内を眺める。
すると人気のなかった参道に雨傘を差しながら、アジサイを愛でる熟年の夫婦がいた。
やがてその夫婦の姿も消え、参道から人影は消えた。
ひび割れた参道に雨が滲み、過ぎ去った時をしるす文様を描いていた。