板橋演劇鑑賞会4月例会 劇団東演No138「どん底」観劇記 2012年04月10日(火) かつて42年前、京王線代田橋にあった、劇団東演の年間教室に、通っていたことがある。 夜間の演劇教室で、演出家・八田元夫氏と下村正夫氏に、演劇のイロハから教えて頂いた。 スタニスラフスキー・システムの実践を通して、演劇の基本を学んだ。 その当時、3億円事件が発生し、白バイ姿に偽装した犯人に、3億円の紙幣が奪い去られた。 土地勘があり、変装が巧みとあって、犯人は俳優ではないかと、警視庁は推測した。 その時、府中の現場からほど近い所にあった劇団東演も、警視庁に捜査されたと聞く、お粗末な笑い話もあった。 今回の上演の前、会場になる板橋文化会館へ、少し早めに出かける。 すると劇団東演の製作責任者の横川さんと会った。 彼と会うのは、7年振りくらいであろうか。 彼は年間教室の1年先輩で、私の友達の同期だった。 受付の後ろで、彼と話す。 私が劇団東演の芝居を見るのは、宮本研作「明治の棺」以来だと言った。 するとさすがに横川氏は、42年前の作品であると応えた。 あれからすでに、長い歳月が経過していたのだ。 やがてホールの中へ入り、指定席に座り開演を待つ。 舞台には、3台の大きな黒い2段に組まれたパイプが、斜めに並んでいた。 それは都会に聳える摩天楼の響きを帯びていた。 日本での「どん底」の初演は、1910年(明治43年)の12月。 小山内薫演出による、自由劇場第3回公演に始まる。 それは小山内薫がモスクワ芸術座で観劇し、日本へ寸部違わない形で移入した「夜の宿(どん底)」だった。 それ以来今日まで、様々な劇団で上演されてきた。 だが、ワレーリィ・ベリャコーヴィッチ 演出の「どん底」は、明らかに今までのものとは違う予感がした。 やがて、会場内の灯りが落ち、剥き出しの無機質で巨大なベッドだけの裸舞台に、照明が落ちドラマが展開する。 それは時代に翻弄され、社会の最底辺で生きることを強いられた人々の、坩堝となった木賃宿の地下室。 そこには泥棒以外に術のない若者、死期も近い病身の妻を救うこともできない錠前屋。 身を持ち崩し生きる気魄も失った、夢想する没落男爵やイカサマ賭博師。 かつての舞台俳優の栄光に酔いしれる、アルコール中毒の役者。 金の亡者の木賃宿の亭主と女房と、こそ泥・ペーペルの、絶望の淵の愛憎関係が織りなされる。 そこへ折口信夫が唱える、マレビトのような巡礼者・ルカが登場する。 そしてルカが投げかける光に照射されて、木賃宿の人間たちの心の闇が、次々と暴かれてゆく。 やがて登場人物たちは、人間が真実に生きること、人を愛すること、思いやることを思い出す。 人は現実の厳しさを乗り越え、未来に向けて、力強く生き抜くことを教えられる。 舞台に様々な原色の照明が、オーロラのように降り注ぐ。 役者たちは簡素な衣裳で、照明の万華鏡の中を、独白のように、激しく科白を語り出す。 その時、舞台のベッドの上で、登場人物が、激烈に語られる科白を受け、躍動的に動き躍る。 リアリズム演劇の代表作・マキシム・ゴーリキー作「どん底」を、かつてこのように表現した演出家がいたであろうか。 その舞台は構成的であり、スターリンに粛清された、フセヴォロド・ メイエルホリド(1874−1940)のビオメハ二カ(生体力学)を彷彿とさせる。 芝居は跳梁し飛翔し、光の渦の中に、音が強烈なダイナミズムを増幅していた。 そして肉体が表現言語となり、ベッド以外何もない空間を、動的な演劇空間に変容してゆく。 舞台の構造が簡潔であるからこそ、演劇における、光と音と俳優だけが、演劇空間の表現主体になる。 やがて、巡礼のルカが立ち去り、逃れようのない現実に、木賃宿の住人たちは引き戻される。 アル中の役者は、一瞬の希望を見たことにより、現実の己に絶望し自殺する。 だがイカサマ賭博師・サーチンの言葉の絶叫の中、生きることの真実と自由への希求が語られる。 3時間以上の芝居は、最近は珍しい。 昔は4時間の芝居もざらにあった。 板橋演劇鑑賞会に入っての最初の観劇は、感動的であった。 皆さまもぜひ、演劇を鑑賞して下さいね。
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