埼玉県坂戸市・慈眼寺の枝垂れ桜を訪ねて 2012年04月08日 4月8日の日曜日の午後2時頃、関越から圏央道をドライブする。 春快晴、遠く遥か、朧に霞みながら秩父の山々が見える。 やがて坂戸インターで降りると、すでに坂戸市。 田植えの季節を待つ枯れ田が左右に広がる。 昔ながらの往還なのであろう、緩やかに蛇行しながら進むと、目的地の慈眼寺。 近くの無料の駐車場に車を停め、慈眼寺へ向かう。 鄙びた街道には、慈眼寺しだれ桜の幟旗が微風にそよぐ。 街道沿いの家の庭には、紫も濃い木蓮が、昼下がりの強い陽光に照り映えていた。 やがて右手に慈眼寺の屋根が見える。 境内に続く狭い参道を進む。 左手に参道を見守るように、7体の愛くるしい石地蔵が、並んで立っていた。 正面を見れば、枝垂れ桜が薄桃色を陽光に耀かせていた。 その奥に仏教寺院の象徴である、五色の垂れ幕を飾る、慈眼寺の本堂が見える。 短い参道を進むと、本堂の左前に、枝垂れ桜が聳え立っていた。 樹齢260年以上、樹高15メートルの老樹は以外に細かった。 この樹高を支えるには、樹回りも細く、大地に張る根も弱いのではと、老婆心がもたげる。 聞けば、昨年の台風で、樹の先端が裂けた。 そこから樹芯に雨が沁み込み、内部が腐り始めているらしい。 現在、樹木医や地元の有志が、その存続に多大な努力をしている。 慈眼寺は畑の中、まさに1軒家のような風情を醸す。 周りに雑木林があるわけでもなく、嵐が襲えば吹きさらしの状態である。 260年の風雪に耐えてこれたのが、奇跡のような気もする。 だが見かけ以上に、枝垂れ桜の生命力は逞しかったのであろう。 老樹の地上に剥きだした根が、大地に根を伸ばし、地中の栄養を樹の隅々に、送りこんでいたのであろう。 老樹には、長い間の風雪に鍛えられて出来た、ごつごつした瘤が盛り上がっている。 優雅に揺れる枝垂れ桜を眺めながら進むと、本堂の前に、薄桃色の造花の桜に装われた、花御堂が置いてあった。 今日4月8日は、灌仏会の花まつり。 お釈迦様の誕生のお祝いの日。 花御堂の中に置かれた灌仏桶に、お釈迦様の似姿である誕生仏が、金色に輝いていた。 柄杓に甘酒を汲み入れ、仏さまの頭から掛け流した。 お釈迦さまが誕生した時、9匹の龍が天上に現れ、清澄な水を地上に降らせた。 その清らかな水が、お釈迦様の産湯となったと言う伝説に因み、甘茶を流して祝う習慣が生まれた。 甘茶を掛け終わると、花御堂の後ろに立つ、檀家の人であろう、笑顔で小さなカップに、甘茶を注ぎ入れ手渡してくれた。 口元へ運び飲み込むと、甘露なお茶が、するりと喉を滑り落ちてゆく。 そして本堂の前に立ち、鰐口を叩いて瞑目した。 本堂の中には、左手に優雅に座る薬師如来、右手に法剣を握る、厳しい眼差しの不動明王が立っていた。 その真ん中に、化仏が刻まれた光背に、阿弥陀如来立像が浮き立ち、鈍い金色に輝いていた。 さらに奥を望めば、ひと際大きな薬師如来像が、正面を見据えていた。 お参りを済まし本堂前から、寺の横へ回ると、微風に枝垂れ桜が眼の前で揺れる。 眼の前にそよぐ桜の花は、薄桃色と表現するよりかは、限りなく白い。 その色は無垢で、しかも可憐である。 3世紀を生き抜いた老樹から、咲き出でたる桜の花は、清楚でありながら、高貴な咲きようであった。 眩いばかりに降り注ぐ日の光に照らされ、桜の花の白が光彩を放つ。 境内の1本の老樹に咲く枝垂れ桜が、幽玄な趣きを演出している。 枝垂れ桜から離れ横道を歩くと、そこには一面の菜の花畑が広がる。 若緑の茎に黄色い花は陽光を浴び、歓び歌うように咲いていた。 春は花の季節、これからは至る所で花が咲き匂い、柔らかな微風に舞い踊る。 その向こうに慈眼寺が陽光を浴び、軒下の影を深くし、五色の垂れ幕との対照も美しい。 長閑な坂戸の町に咲く枝垂れ桜が、花まつりに華やぎを添えていた。 日が傾き始める頃、川越のビッグバンド・小江戸ジャズクラスター(KOEDO JAZZ CLUSTER)の音合わせが始まった。 小江戸ジャズクラスターは、2004年に結成され、小江戸・川越を拠点に活動するアマチュアバンド。 ジャズやラテンを得意にし、社会人と学生で構成されている。 やがて枝垂れ桜を守るための、しだれ桜保存コンサートが、5時前に始まった。 主催者の人が挨拶をし、バンドリーダーの挨拶が終わり、コンサートが始まった。 降り注いでいた日射しも陰り始め、風も心持冷たさを増して来た。 ビッグバンドのメンバーは若者が多く、日陰りの中、真剣な眼差しで演奏していた。 真言宗智山派慈眼寺は、安土桃山時代の慶長年間に、法印可説和尚により開基されたとされる。 その後の宝暦五年(1755)、第十代法流開基隆章和尚が住職につき、現在地に堂宇を建て、教化の道場とした。 住所 〒350−0206 埼玉県坂戸市中小坂285 |