早春の熱海を訪ねて
2012年2月12-13日

寒い季節は暖かい伊豆方面へ、出かけることが多い。
夏は海水浴のシーズン、伊豆は渋滞がひどいので、近寄らないことにしている。
そこで今回は、伊豆の表玄関にあたる、熱海へ出かけた。

これまで、熱海へはどれくらい、出かけているであろうか。
昔の熱海を知る人にとっては、今の熱海の凋落ぶりには、寂しい思いをするであろう。
だが熱海には、かつての賑わいを彷彿とさせる華やかさが、今でも至る所に残っている。

やはり、腐っても熱海は日本を代表する、リゾートタウンである。
早朝、私たちは東名厚木道から、小田原厚木道路へ走り、小田原西インターで降りる。
さらに小田原市街を抜け、小田原市曽我にある、曽我梅林へ出かけてみた。

日曜の早朝でもあり、国道1号は空いていた。
やがて、目的地の梅林へ到着した。
インターネットで調べた通り、今年の寒波の影響で、梅の時期には早かった。

例年のことなら、梅園の梅は咲き匂い、この辺りの駐車場は、駐車を待つ車で、大渋滞をしていることだろう。
そして、観梅の老若男女で、溢れているはずだ。
だが今は、梅のく蕾みは硬く、ほころぶ気配さえ見せない。

もちろん、あちらこちらに広がる駐車場にも車はなく、寂しげな風情を晒していた。
車を降りることもなく、梅園の前を通過して、熱海方面へ進む。
空は青く澄み、白い雲海が、青空に映えている。

やがて、真鶴を過ぎる頃から、左手には洋々と相模灘が広がり、紺碧の海を朝の陽光が照り返していた。
緩やかに、海岸沿いの道をカーブしながら、上り坂を進むと、湯河原へ到着した。
さらに進むと、遠方にホテル群が姿を現す。

広い浜辺には波が、白い小さな漣を残しながら、寄せては返していた。

ほどなくして、懐かしい熱海の市街地に入る。
道は狭く、狭隘な坂に覆われ、そこへ犇めくように、大きなホテル群が広がる。

そして軒を連ねるように、ホテルや旅館が立ち並ぶ市街地を抜け、来宮駅に向かった。
前回来た時は、来宮駅前を過ぎ、右へ折れ、ガードを潜り、来宮神社へお参りをした。
振り返ってみれば、熱海も度々足を運ぶうちに、たくさんの名所旧跡を訪ねた。

数年前までは、来宮駅を越すと、相模湾を見渡す丘に、ホテルの廃墟を目にした。
だが今回見れば、その廃墟は大きなホテルに変貌していた。
高度経済成長後、熱海にあるホテルは、様々な要因で消滅し、不気味な残骸を晒した。

だが、今日、熱海を巡れば、かつての廃墟が、ホテルやリゾートマンションなどに生まれ変わっている。
熱海に復興の兆しが生まれたのであれば、かつて繁栄を謳歌していた時代を、それなりに知る者には喜ばしい。
来宮駅を越し、左手に見える相模湾に別れを告げ、さらに坂道を進むと、もの寂しげな山間の道に出る。

そこに熱海梅園があった。
まだまだ観梅の人出も少なく、車の渋滞もない。
やはりここも、梅の開花には至らず、見れば梅花は今だ、2分咲き位であろうか。

例年であれば、梅園は紅白梅や黄梅等が咲き乱れ、雲間から照り落ちる陽光に耀いているだろう。
微かに吹く風に揺れ、辺りに梅の妖艶な匂いを漂わせる。
梅の花にはメジロが飛び交い、梅花の蜜を啄む姿にも愛嬌がある。

梅園に続く川沿いには、桃の色も濃い早咲きの熱海桜が、見事な枝ぶりで咲きながら、微風に揺れる。
だが今年の天候の異変。
いまだ春を告げる花々は、咲き誇ることを忘れている。

梅園に沿って上る道から梅園を見渡す限り、訪れる善男善女の姿はまばらだった。
かつてこの梅園を2度、訪れている。
今回は観梅に縁がなかったと諦める。

来た道を戻り、熱海駅近くの駐車場へ車を置き、熱海駅前辺りに広がる商店街を散策した。
日曜日の昼時近く、予想以上に、たくさんの観光客が溢れていた。
ここを訪れるのは、30年以上ぶりである。

昔日とは比較の外であろうが、昔ながらの観光地特有の賑わいがあった。
やがて昼時、仲店の裏路地にある料理屋さんで食事を済ませ、ホテルへ直行した。
チェックインは2時、1時過ぎであったので、ロビーで休む。

遥かに広がる相模湾は、果てしなく広がり、初島が軍艦の姿で浮かんでいる。
1時40分頃、ホテルの人の案内で、5階の部屋へ。
ホテルのエントランスにあるロビーが6階なので、エレベーターで1階降りた。
 
さらに長い廊下を進み、一番奥の部屋へ案内された。
部屋は13畳もある純和風で、手入れは行き届き清潔感あふれていた。
そして部屋には、懐かしく芳しい木香が漂う。

 
大きな窓から外を望むと、果てしなく広がる相模灘の中に、真鶴岬から像の鼻のように伸びる名勝三ツ石が、はっきりと見える

そして一休みをして、露天風呂に出かけた。
エレベーターを1階まで降り、指示に従って歩くが、その距離の長いことに驚く。
 
少し不安を抱きながらさらに進むと、間違いなく露天風呂があった。
更衣室で浴衣を脱ぎ、タオルを持って湯船へ。
湯船は3つあり深く、野趣に溢れた岩風呂造りで広く、湯量も豊富で、湯温は熱めであった。

湯船に身体を沈めると、湯は透明で清澄、微かに硫黄臭があり、身体を優しく包んでくれた。
見渡せば、洋上の彼方に、真鶴半島が霞みながら、紺碧の海に影を落としていた。
その右手を見ると、大島が蜃気楼のように浮かんでいる。

まだ日は強く、海は凪いて鏡のように静かであった。
やがて白い漁船が桟橋を後に、真っすぐと海へ突き進む。
紺碧の鏡面の海に、真っ白な一筋の航跡を残しながら、海を割って沖へ滑って行く。

今日の一日、無事に伊豆山温泉で疲れを癒す。
部屋に戻り、午後5時半、海に陽が落ち始める頃、部屋で夕食を済ます。
その頃すでに、春の日は落ち始め、望み見る海は色を失い、蒼穹の雲間に、名残の残光が幽かに光る。

そして夕食後、このホテルの名物・王朝風呂へ出かけた。

やはり大浴場も1階にあり、エレベーターから降りて、広いホール進むと、脱衣所があった。
そこで服を脱ぎ、二重ドアドアを開け浴場に入る。

その巨大なことに、暫し驚愕する。
ホテルの案内を見れば、長さ60メートル、幅30メートルあるのも、一目見て納得した。
高い天井を太く白亜の丸柱が支え、さながら古代ローマの風呂を想起する。

さらに様々な形の湯船が無数に広がり、宙に浮き支えられてるものまである。
そして2台の滑り台まであるのだから、思わず笑ってしまう。
大浴場は、薄明かりの中、立ち上り漂う湯けむりにもやり、幽暗で幻想的でさえある

大きなガラス窓から外を見ると、相模灘は暗く沈み、真鶴半島は暗い影を残していた。
風呂場には人影もさほどなく、流れ落ちる湯音が、室内に鈍く響く。
かつての高度経済成長下、日本はダイナミックで躍動的であった。

まさに企業の団体旅行全盛の時代であった。
ホテルや旅館は巨大さと贅をつくした豪華さと、奇抜なアイデアで、熾烈な競争を展開した。
それはさながら、大衆社会が求め謳歌した姿であった。

会社は好景気に沸き、接待交際費を、無尽蔵に浪費で来た。
まさに、その時代の残した歴史的な産物が、この享楽的でさえある大浴場なのであろうか。
今はその馬鹿げた狂騒も終わり、さらにバブルも弾け、社会は低迷している。

その混迷した時代には、このような巨大な入浴設備は必要とされない。
それにしても広い湯船に浸っていると、かつての日本の高度経済成長期の昂揚と狂騒を思い起こす。
ダイナミズムを失った、現在の暗澹たる日本。

無駄のなく健全な社会は、確かに美しい。
しかし、余りにも清廉な社会は、どこか躍動的な活力を失い、暗欝として脆弱な社会に移行しているような気がする。
やはり社会は、そこそこの無駄と、毒のない狂乱を必要としているのではないだろうか。

つらつらと愚にもつかないことを考えながら、様々な湯味を愉しみ、風呂を出る。
そして5階の部屋に戻り、広縁のソファーで、昼間、酒屋さんで購入した日本酒「金明しぼりたて生酒 純米原酒」を飲み始めた。
すでに浅宵はとうに過ぎ、海は玄く沈み、遠くの真鶴岬は、微かに煙る深い闇に溶け込んでいる。

金明しぼりたて生酒 純米原酒」 轄ェ上酒造店
静岡県御殿場市保主沢字塚倉850-4
アルコール分:1以上8-19未満 精米歩合55% 60%


グラスに注ぐ金明は、舌にずしりと広がり、杏の香りを放ち、黄桃の滑らかな甘さが漂う。
飲み込むと、その戻り香がゆっくりと口内を渡り、高貴な芳香が鼻先から漏れ広がる。
広いソファーに身体を持たせかけながら、旅先で酒を嗜む愉しさ。

夜空を打ち眺めれば、薄灰色が混じる重たげな空に、点々と星が輝いていた。
滅多に眺めることのない夜空の星。
悠久の時の中を旅してきた星たちの光が、歴史の滲みにもみたない存在の人間に降り注ぐ。

有史の歴史を遡れば、人間の旅は命がけであった。
このように安全で愉しい旅を許されるようになったのは、明治の時代からのこと。
かつてのお遍路さんが、手には弘法大師さまの化身である杖を持ち、頭には菅笠を被り、
南無大師遍遍照金剛・同行二人の輪袈裟に身を包む、死を覚悟の旅に立った姿にも近いものであった。

今では熱海は、高速道を飛ばせば、車で3時間足らずで到着する。
かつての箱根超えは命がけの遊行であり、さながら修業を積む乞人の厳しさがあった。
心地よい酔いに任せ、勝手気儘に、かつての旅を想像しながら酒を飲む。

遠く眺めれば、熱海市街地の北側に広がる伊豆山には、ホテルの灯が点々と光っている。
かつては東洋のナポリと謳われたたが、今はホテルの灯は、山に吸い込まれそうで悲しげだ。
真鶴半島へ続く海沿いの道には、間欠的に行き交う車のライトが光り、サーチライトのように流れる。

その光が海を、橙色を帯びた黄金色に照り返し、漣の寄せる静かな海に反射している。
ただ漫然と眺める夜の海。
すると一閃、夜空に、ナイキのマークをした流れ星が光る。

瞬時のことだが、その姿を眼が捉えた。
そして光りの短い帯を残して、すーッと消えた。
夜空に消えった流れ星、ある筈のない音が、私の脳裏に刻まれた。